慌ただしいことが続くと、「しま(った)、忘れていた!」と呟くような出来事も起きる。間もなく来るやまゆり園事件、事件そのものは当然忘れちゃいないが、「まだ2年しか経っていないのか?」という気持ちに。何かがマヒしているんじゃないか、と言われても仕方ないですね。
社会が脆くなると、切り捨ての対象になるのは「権力強者の寵愛を受けられない者」。障害者は「あんなの生きてて意味あるのか」等と嘲笑されたこともありましたね。あとはなんでした?「透析患者は殺せ」といった長谷川豊(※)という者もいるし。
※表面的に撤回はしているが根本的な思考回路は変わっていないので「終わったもの」として扱いません
何年か前の8月に行われた障害者団体の短報で気にかかったのが「障害者対策が切り捨てのフェーズに入ってきている」という話。それから数年の間に「障害者の駆除」をはじめとして、己とその身の回りの利益以外考えられない強欲な者が、そのジャマになる対象物を排除にかかっている。
長谷川豊のやっている行為は自らの攻撃的な発言で「■■は見棄てても構わない」と思わせる扇情行為。自業自得に対して逆恨み起こして復讐に逸っているだけだが、的確に愚問は潰しましょ。