どうにも生まれ、育った環境のせいか、障害者の生存権、「生産性に劣る者」の生存権に関して神経過敏になりやすい自分がいます。三年前の長谷川豊氏による「透析患者を殺せ(事実の提示)」発言もそうですが、社会の圧力が一気にかかって「邪魔者は排除しろ」という方向に崩れ、傾くと「いつ殺されるか」という不安にさらされます。
弱者保護を語ると「きれーごと」語る向きもありますが、きれーごとだれなんであれ、庇護を受けないと簡単に千切り殺される。いま現在の社会でも集団的殺戮起きますが、大方は比較的強者が比較的弱者を“殺してもいい”と判別したときに起きている。今回、この空気をつくり出した原因は古市憲寿、落合陽一両氏の対談で、年明けてから様々弁解述べられていますが、不用意な発言で“種”撒かれても困るのですよ。医療費の高騰は終末期医療ではなく先進医療が原因、てな意見もある。「それでも医療費は高いからどこかで“線引き”しないとダメだ」というのが両氏支持者のご意見なのでしょうが、それを“劣等者”切り棄て策と連動させたらどうなるか、少し考えればわかるでしょう。
「どうにもならないことは諦めろ」と言うだけに止まらず、積極的に殺しに行く言説も。自分は助かる位置にいるから振る舞える一言でしょうが、はっきり言えば「ふざけんじゃねえよ」。どんな多数にいたとしても、“劣等者”、少数者をひねり殺していいわけじゃない、そのくらいはご認識いただきますか。そして、「対象者が黙って殺されてくれる人」だけじゃない。たとえ一時多数決を間違った方向に進めたとしても基本的人権を基に跳ね返していくことを強く申し上げるものです。
安倍政権・同支持勢力による非従属者対策は「非従属者の存在そのものの否定」→「安倍政権しか視界に入らない空気の醸成」。だから反対者を黙らせる方向でひたすら動く。それが故なんですね、「黙って死んでくれる」ことを期待するようは話かたりが癖になっているのは。
そういう期待には一切応えてやらない。
以上述べて項を終わります。