つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

「存在するために」新調したSNSスタイルと「何でも等しく表現されてしまう」危うさと。SNSの1年の様子を思い返す。

 ここからはしばし「1年を振り返る」記事を記していきます。まずはブログ、ツイッターFacebookなどSNSからです。

 今年の9月に拙稿SNSは大転換をすることになりました。「野球」と「社会活動」の部分の分離です。ここら辺のいきさつは以前に記しましたのでその部分を重ねることはしません。更に11月からはリプライで言い争うことを止めました。様々な意味で、私に応えるようになり、無理押しは私自身の存在する場所を失ってしまうことになるためです。最終記事でも触れますが、私自身の存在を失うわけにいきません。その存在の根幹となる位置を失うわけにいきません。それが「都合いい」というならどうぞ好きなだけ仰いなされ。

 そのお陰かどうか知りませんが、ここ二ヶ月ほどは余計な負荷もかからずにいます。罵詈雑言に対する「浮き輪」的な存在は、それにつきあわずともできますし。だども、この数年の社会の破壊は、私の予想を遥かにすっ飛ばしたものでした。

 それを考えさせられる事態が昨日のタイムラインに乗ってきました。ヘイトデモに抗議するカウンターデモ参加者の自宅に正体不明者が襲来。分かっているのは動画サイトの撮影者だ、という程度のものですが、警察も出動し、結構ないざこざになったようです。人体に影響なかったことだけが幸いです。

 ある程度の力の均衡が保っていた緊張感。それをぶった切って日本社会の私物化を進めさせられた。当事者(安倍政権)も大概ですが、それに乗っかればわがままに振る舞えると、阿漕な態度をとる「ネット右翼」の態度にもイガイガずうものを感じていました。そんでもって10月の総選挙も勝ちましたから、増長には止めどころがないな…というのを強く感じさせられています。もは、ネットの上だけで放たれる言葉で済まない、それが実際の社会で力を持ってしまう。その力の得るやり方も虐めっこ宛らだからな…。

 連中のやり方は「相手の嫌がることを延々とし続ける」。対象者には救い様のない状態をつくる。もっと言えば「延々と“遊べる”対象」でいられればいい、と。今日も集中砲火食らっている人相手に「凍結させるな、玩具がなくなる」と述べていた虐めっこいたな。どこから絡まった糸を解しにかかればいいのでしょうね。

 「存在するために逃げる」ことも立派な一手段。それしなきゃ私は首くくってますよ。逃げると同時に「存在し続ける」ことも重要。存在できなくなったら何もできません。環境・状況変わって、もう絶対愚行はできないので、このスタイルは堅持しますが、しかし一方では「黙らない」。ゆるぐねえどさいる人の…なんと言いますか、縄ばしご?その存在で居られるようには努めてまいります。SNSに関しては以上です。