つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ

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立ち位置が比較的弱い人に圧殺かける状態では議論が成り立たない―障害者の移動について。

 私の思いはありますが、それを話できる段階は逸してしまいました。もはやどーにもならないレベルで力関係が寄ってしまい「何を言おうがぶん殴られる」状態になっては…。
 私自身はある程度の処世術を使います。社会の中にいる以上、つっとがってばかりにもいかないのは事実。ただ私がこの方針で生きているのは、心身の状況から窮地に立たないような思考回路で動いているので「そうしていい位置」にいて、厳しい言動はしない。無論、ギリギリになれば厳しくも出ます。「お行儀良く」で改善ならないのなら。今回行動された方はそのような事情があったのだと思います。
 「女性への体当たり」の件同様、当人のみならず擁護者にも激しい指弾が起きていて、文頭に言った「議論が成り立たない」状況に。一人の非権力者が対応できないほど蹴りかましておいて尚「僕の言うことに従え」とばかりのリプライを投げつける。権力強者に対してならまだしも、もうやめろよ、としか思いませんが、それだと収まらないから殺すまでやるんですか。
 それ相応の反撃食らってもいいですね。とことん壊す/壊れるまでやれ―こう結論づけざる得ません。

 安倍→菅政権が行ってきた圧政・苛政。政策もそうだし、それを決める手段も力任せで、納得を得ようという姿勢は皆無。それを十年近くも続ければ、「意見の違い」越えた憎悪は重なります。「対決法案」以外にもその癖が出て、「力でねじ伏せる」タイプの法律案を次々に繰り出す。ここ3年くらい、国会の全会一致率、また日本共産党の法案賛成率ががた減りしているのは気のせいじゃありません。
 「国会に出せば何でも通すことができる」から、態度も悪くなる。自分から見れば「全会一致で賛成できる案件がある」ものがあることに驚きを持っています(これも大げさな考えでしょうが)が、それでも「そうする必要があるから」ってことなんでしょう。
 でもね。それができる幅は間違いなく狭まっている。盲目的な権威主義者は「特定野党も加わった全会一致がある方がおかしい!」などと語る者もいまして。だから「今まで安倍→菅苛政がしてきたことを修復しましょう」が必要だと。これ以上亀裂拡がったら、比較的弱い位置にいる人は殺されますよ。かつてのインドネシアみたいなる前にいい加減権力のくせに怖さ覚えろ。

デジタル化法案。安倍→菅政権の悪癖/小林貴虎のアウティング行為に。

 4月が始まって一週間。一連のデジタル「市民監視」束ね法案が気にかかります。
 安倍→菅政権の悪癖として、「お友達」の都合のいい法律案を何十本も束ねた法律案に紛れ込ませる、というのがあります。束ねられた部分でいいものもあるのでしょうが、致命的な法案が入っている限りは法律として成立させるものではないと考えます。
 何が悪いかは他の方が触れられているので、私は割愛しますが、一つ一つの悪法を止める、止められなければその法律を「殺す」、そしてこの悪癖を持つ政権を変えさせる…というのが当面必要な行動と思います。

 ところで。政策的対立ではなくて人間性が崩れていて、その愚かさを「武器」にする者がいます。昨日今日とマスコミで報道された三重県議・小林貴虎もその一人。自分が持っている権力の凶暴性を知っていて、あえてそれを暴力的に使う。その対象者が気に食わない人達は拍手喝采起こすのでしょうが、人権意識の発達と共に「権力者が非権力者を殴りつけていい」という考えを駆除してきたはずです。こうやってネトネトと生き残っているのが非常に残念でなりません。
 こういう方に「身の処し方を考えろ」と言っても無駄なので、小林貴虎のような人物が権力を握らない社会をつくっていく。その方向で歩いて行こうと思います。おつきあいいただきありがとうございました。

人権ないがしろにされてバカ見る社会に…ならば取り戻すために「声をあげる」。

 今まで社会活動・政治に関わって、政策で対峙することは当然にありましたが、いまでは「一人間としてどうなのや」って物事が多くなりました。先頃の池内沙織さんに対するバッシングの件に関してもそうです。

 拙稿では他者のSNSをコピペするような記事の作り方に疑問を呈してきたのですが、そもそもとして池内さんがくらった暴力ですか。被害を訴える発言に対して「お前だって悪いじゃん」といい、些細な瑕疵を見つけ出しては、それもって叩く。いわゆる二次被害・加害ですね。その醜さというのを目の当たりに。

 こういう醜さにすっかり慣れてしまって、「『正義』が嫌い」とか「あれは嫌い」が過剰に作用し、本来なら叩かれるべきでないものまで叩かれてしまう。そういうの繰り返してきた結果、強者でない人に優しくない社会になってしまいました。

 それはイコールで生きづらい社会を生むことにも。「黙って唯々諾々従ってれば楽に生きられるものを」という言葉、ぶつけることも少なからずありますが、そうした結果どうなりましたか。今のようなバッシングされっぱなしじゃないですか。今まで沈黙を強要されてきた人が、今は黙らなくなった。なぜ黙らなくなったかといえば「ゆるくない状況を改善してほしいから」声をあげるようになったのです。

 それをことさらに踏みつけるような態度は許さずに、おかしいことはおかしい思える社会にしていかな、と思います。

 おつきあいいただき、ありがとうございました。

池内さんへの「二次加害呼込」+萩生田氏の「品のいい〜」発言。根は同じ。

 池内さおりさんが受けた暴力、更に報道機関によるコピペ記事+身勝手な解釈の拡散+二次被害誘引。一部の媒体は形のみとはいえ謝罪して記事を取り消しましたが、大方はほったらかしです。SNSの記述を貼りつけるだけの記事を「こたつ記事(〜に入りながら手先ひとつで記事をつくる、の意味?)」とネーミングされていたのははじめて知りましたが、何にしろ酷いものでした。
 一連の議論中で度々出てきたワードに「悪いことなら警察に通報すればぁ」というのが。警察にねえ…警察が関わるとなると何がどーしたって「面倒」なりますね。もうひとつ語るとすれば、この手の発言の醜悪さ。「オマエハ〜〜ニ文句アルヨウダガ、ソレダッタラ俺ノイウ〜〜ガデキルハズダ。ソレガデキナイノナラ文句イウナ」、と。ま、体のいい「トーンポリシング」でしかないです。
 何でもかんでも説明書通り『正解』だけできるものか。ましてそれ盾に「愚行の正当化」すんな。

 
 そこに萩生田文科大臣の「品のいい発言を」ですか。これにしても所詮は「黙らせたい」でしかない。ギリギリの状態になった人に「そんなのでは通用しませんよお上品に」語られても吐き気しか覚えない。多数派かつ強者にしなだれて生きる分にゃ楽に生きられるのでしょうが、そうでない人もいるわけだし、まして沈黙の強要に与したくない。そればかり述べておきます。
 おつきあいいただきありがとうございました。

他人の褌でネタをつくり「殴れ」と犬笛吹く行為について―池内さおりさんの件と併せて。

 最近の新聞・マスメディアの記事の作り方に一つ危惧を抱いています。対象者を取材することなく、TwitterなどSNSで現れた言葉だけを紹介して記事を構成するやり方。正直言ってそれは取材とは言えないだろ、という思いで並べられた記事を見てきました。

 そして今回池内さおりさんのツイートを基にした日刊スポーツなどの報道。その後の反応も含めて対象の人のに確と取材することもなく、好き勝手に扱えるようにして『エサ』与えただけのやり方に疑問。実際起きたのは片言隻句とっての「降車優先が優先、ぶつかった男は全然悪くない」という池内さんへの攻撃。

 「言ったことそのまま書いてるだけじゃん」、ではない。その結果起きることが容易に見当つくのに、あえてそれを実行した―疑問持つには十分じゃないですか。今起こっているクソみたいな連鎖、それこそが怖いもの。

 今回のやり方で多数者に抗う人たちを…言い換えれば、多数者に異議を唱える人の口を封じることができると思ったのでしょうね。降車優先は今回の男性の行為を無罪にできるものではない。更に「謝罪しろ」とか語る方いますが、チンピラの言いがかりに応じてはならない。この謝罪要求は「心を折る」のが目的で、「絶対謝ってはいけない」ものです。

 以上、見解のべておきます。

高校スポーツに「韓国・朝鮮関わるのが嫌だ」と石を投げる方に。

 今年初めの高校ラグビー、今行われてる選抜高校野球
 対象が“韓国・朝鮮”に関わるもの、と来るだけで簡単に石礫投げつける人が出てくる。
 いいなあ、常に石礫を投げられる側にいる人は。

 ひとまず野球は野球で見ろ。
 それに関わって不満な事象を覚えるならば適切な場でそれを言え。
 「日本国籍以外は日本の大会に出るな」という愚論には「勝手な定義で野球する権利を奪うな」とだけ。
 「『それはそれ、これはこれ』を都合よく使ってる」なんてのは、言いたければなんぼでも。結びつけて考える必要があればそうするし、切り離して考える必要があればそうするだけ。その基準が個々人違うだけで、そこで済まさずに排外主義の行動に出ているから気に障る。

 今回は対戦相手が近隣の高校で「〜〜高校応援します」なんての聞かれましたが、そんなんで応援されても嬉しくないでしょう。
 とにかく狭量さを感じた一件でした。何日か後にはまた繰り返されるんでしょうか。私は今やっている自分のスポーツを辞める気がありませんが、こういうことが続いているから「日本人を強く押し出す」スポーツの見方というのは忌避しています。止めさせたければ私の寿命来るのをお待ちください。
               以上。

覆せない権力を持たせることの怖さ。一連のデジタル関係法案について。

 音声入力に慣れていたらある申請作業でスマホのギガを食ってしまい、久し振りに手製で記事書きます。

 デジタル関連法について情報つかめる状態になりましたが、やはりというかなんというか、「支配道具の強化」にしか行きそうにない法案なりそうで。しかも味噌もくそも一緒の「束ね法案」。気づいていただいて、包囲網を広げて、止める。具体的手法はいくつかありましょうが基本それ以外なし。そっから外れて奇をくらわせようとするとろくなことになりません。

 現時点で私が持つ不安。政府の苛政を地方自治体の施策でカバーするやり方をとれなくすること。「この施策に対するフォーマットをずらせない」ことをを理由に。

 これひとつだけでも不信感持ちますね。疑問でなく。

 雪が解けて移動が楽になりましたが、ニュードライバーの方も道路に入ってきます。ベテランも気をつけますが、ニュードライバーの皆様もよろしくお願いします。おつきあいいただきありがとうございました。

私が死に損なった案件で、それ思い起こさせる言動やめてくれませんか。

 千葉県知事選は前千葉市長の熊谷氏が当選確実とのこと。金光さんはじめ「新自由主義の蹂躙許さず、コロナ問題など喫緊の課題にあたる」ことに取り組まれた皆様、お疲れ様でした。

 人間、野心だのなんだのは持つ傾向がある、というのは承知の上で。昔、「とにかく共産党が引けば野党は一本化できる」とのべてくれた方がいまして。それで一番緊張が高まった選挙がありました。当初は「野党全体の取り組み」。しかし段々他勢力に気を遣えなくなり、蔑ろにされた共産党は独自の戦いを選択。その際、先方の支持者は何と言ったか。
 
 「自分等の中に来た共産党勢力はかっさらう(要旨)」
 
 ああ、そうか、と。
 当時の自分は激高すら生ぬるい怒りを覚えまして。心筋梗塞起こして動けなくなったから事なきえましたが、それ起こしてなければどうなっていたか…。そーいう経験したわけです。
 自公、更に維新のしてきた苛政に抗しようと活動続けてきました。ここうん年積み重ねた野党共闘も、当事者の誠実な態度で「じゃあ一緒に頑張るか」と思えるように。
 しかし、まだ「根っこ」はあった。
 
 「勝てない共産党ではだめだ、しかし支持者には期待できる。れいわ某に来てくれ」
 
 ―れいわ支持者の一部に「共産党を『僕』の様に扱う」人がいるのは存じていましたが、いまはそっちに構っているひまはない思って無視してきました。細くても保っている「信頼」ぶった切るのは勘弁してください。
 とりあえず、一項警告記しておきます。おつきあいいただきありがとうございました。

3月20日地震について/春先の土砂崩れに注意を。

 今日は。

 2021年3月20日午後6時9分に起きた地震、皆様ご無事でしょうか。一時は津波注意報も出されるなど、怖さを覚える地震でした。ここ1か月内だけでも宮城県沖、紀州地域などで規模の大きい地震が相次ぎ、そもそもとして環太平洋地域各所で規模大きい地震は起きているので、気がついた時に防御と震災対応見つめ直しておきたいです。

1)我が家でも震災対策の拡充を図っていて、過日Facebookでは私のモバイルバッテリー蓄電機(24000MAH、太陽光の蓄電もできる)の話をしましたが、兄貴は私の数倍の対応をするようで−しかも本格エコエネ−。いやはや、技術計職種は考え一枚上手です。

2)ここしばらくは雪解け水が流れ始める季節になっています。今年の冬は例年以上に雪が降り、それで地盤が緩んだり、土地が水を多く吸っている状況も。

 人生の中で2度ほど土砂崩れ寸前に該当箇所を通りかかったこともありますが、どっちも木のシルエットが傾いていたり、水が変なところから出ていたりして、いつもと違うという状況がありました。自然の恵みを多く受けている箇所だけに、それぞれの大きい反応が時には害となって降りかかります。気をつけるところ気をつけて、命脅かされないように生きていきたいです。

 無論政治はそれを応援する立場を取らなければならないわけでそこのところしっかと出来るように社会運動取り組んでいきます。お付き合い頂きましてありがとうございました。

緊急事態宣言解除にあたり見解。

 数日前の「打つ手なし」報道があった後で解除の報を聞いても、当事者に必要な対処をしていないから批判されているのに、それにキレて棄民政策ぶちかますのは『正気ですか』としか思えない。

 この宣言単体でなく、安倍政権からこっち積み重なった「棄民政策」に怒り、まともな政治せい、という空気つくらないと「これ以下」の施策をやられます。そんなもので「非常時だ批判やめろ“日本”一丸となって」なるアドバイスは聞く気ありません。

 「無理矢理押し通し続ければ反対の立場は消えてなくなる」とばかりの行動、さらに「立場抜きにこれだけは保たなければならないもの」をすっかり壊されました。「批判行為は分断行為」という牽強行為に屈せず、安倍→菅苛政で壊された社会の修復に努めます。