つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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3月20日地震について/春先の土砂崩れに注意を。

 今日は。

 2021年3月20日午後6時9分に起きた地震、皆様ご無事でしょうか。一時は津波注意報も出されるなど、怖さを覚える地震でした。ここ1か月内だけでも宮城県沖、紀州地域などで規模の大きい地震が相次ぎ、そもそもとして環太平洋地域各所で規模大きい地震は起きているので、気がついた時に防御と震災対応見つめ直しておきたいです。

1)我が家でも震災対策の拡充を図っていて、過日Facebookでは私のモバイルバッテリー蓄電機(24000MAH、太陽光の蓄電もできる)の話をしましたが、兄貴は私の数倍の対応をするようで−しかも本格エコエネ−。いやはや、技術計職種は考え一枚上手です。

2)ここしばらくは雪解け水が流れ始める季節になっています。今年の冬は例年以上に雪が降り、それで地盤が緩んだり、土地が水を多く吸っている状況も。

 人生の中で2度ほど土砂崩れ寸前に該当箇所を通りかかったこともありますが、どっちも木のシルエットが傾いていたり、水が変なところから出ていたりして、いつもと違うという状況がありました。自然の恵みを多く受けている箇所だけに、それぞれの大きい反応が時には害となって降りかかります。気をつけるところ気をつけて、命脅かされないように生きていきたいです。

 無論政治はそれを応援する立場を取らなければならないわけでそこのところしっかと出来るように社会運動取り組んでいきます。お付き合い頂きましてありがとうございました。

緊急事態宣言解除にあたり見解。

 数日前の「打つ手なし」報道があった後で解除の報を聞いても、当事者に必要な対処をしていないから批判されているのに、それにキレて棄民政策ぶちかますのは『正気ですか』としか思えない。

 この宣言単体でなく、安倍政権からこっち積み重なった「棄民政策」に怒り、まともな政治せい、という空気つくらないと「これ以下」の施策をやられます。そんなもので「非常時だ批判やめろ“日本”一丸となって」なるアドバイスは聞く気ありません。

 「無理矢理押し通し続ければ反対の立場は消えてなくなる」とばかりの行動、さらに「立場抜きにこれだけは保たなければならないもの」をすっかり壊されました。「批判行為は分断行為」という牽強行為に屈せず、安倍→菅苛政で壊された社会の修復に努めます。

3月11日の行動より。深夜に聞いた「オールナイトニッポン」から。

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 3月11日。本来なら陸前高田にも向かう予定でしたが、陸前高田に入った後花粉症の症状が現れたため、以降の行動を打ち切って帰宅しました。高田には改めて訪れようと思います。

 帰宅中、上柳昌彦さんが震災当時周辺の事をお話しされていたのを聴きました。上柳さんは元ニッポン放送アナウンサーで今はフリー。ニッポン放送をまだ聴けていた頃は番組を聴くことがある方でした。
 ニッポン放送といや日曜日の夜放送終了時に「特別警戒警報の試験放送」が流れていた記憶があります。あの時は大震災が起きるなどと考えないで「こういうことがあれば気をつければいいか」程度に思っていましたが、現実になると……。
 上柳さんの番組中お話ししていたことの要点は下記の通りですか(ザッピング合ってからの部分)。
ニッポン放送では東海域地震に備えている静岡のラジオ局アナウンサーをを講師に研修を受けていた。特に「何を伝えて安全・安心していただくか」意識
阪神大震災の時に家財道具に埋もれ、諦めた人が隣の部屋の人の掛け声によってハッと我に返り、脱出できた、という話。
 ぽっかりと穴が開いて何もできなくなる状況に陥りやすい。そこに「気づかせてくれる」事象の存在の貴重さ。
ローカル局で震災時特別番組体制から通常番組が始まって「心に安心感が出た」様子を話しされたこと。(私も3月18日のワイドステーション―IBC―再開の模様を聞いていたので分かります)
・2011年周辺に活動していた大槌町出身の歌手臼澤みさきさんにも触れられていました。
 芸能活動は休止しましたが、人生そのものは続いているわけで、あの透き通る歌声を聞かせてくれた分だけ、自身も良ぐ生きてければいいな、と思っています。

 ニッポン放送は番組スタンスが気に障る状態になり、野球中継(ショウアップナイター)か日曜日の夜9時以降しか聴かなくなりました。そんでも、こういう取り組みの実情を話しいただいたことは貴重な機会でした。上柳さんの震災関連の活動含め、ありがとうございます。

東日本大震災から10年を経て。【3媒体共通】

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 3月11日。

 皆様はいかがお過ごしになられたでしょうか。私は通常の仕事を終えてから午後大船渡に入りました。2時半からの1時間は「10年前に自分が大船渡にいたらどういう行動をとっていたか」をなぞる行動を。その後は思い向くまま大船渡町内を歩いていました。コロナ感染が広まってからは亡き母の所用以外で大船渡に来ることはなかったので、「大船渡の空気を吸っていたい」と、それだけで町を歩いていたわけです。

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1)「10年前に『逃げ切れたか』」…10年前、母のわけ分からない電話から大船渡行きを断念した私。居住地でぼやっとしてたら大地震。生前、母に何であの日だけ用事もなく、趣味のパチンコにつれていけ、でもなく呼びつけたのか訪ねてみましたが、本人もはぐらかすでなく「わからない」としか言わないまま、20年7月に永眠しました。

 知人からは「大船渡にいれば間違いなくお前は死んでいる」と言われ、自分も自身のことはわかるからみんなの言う言葉は受け止めた一方で、「自分があの日大船渡にいたら」…でのしかかってるものはあります。

 今の自分であれば―基礎疾患を二つ持ちでも―10年前よりは動けるようになっているので、10年越しの避難行動(実証実験)してみた結果、15分程で加茂神社まで逃げることができました。

 

 ただ。

 それは今現在の話です。

 様々な経過を経た今現在の。

 

 10年前のあの時に自分が逃げ切れたかどうか言えば、正直逃げきれなかったと思います。地震のパニックに、情報得られないままの「平常性バイアス」考えると…そこらは図表をご覧ください。

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2)10年経って。新しい形でまちづくり・地域づくりは進められました。

 だけども10、11日のラジオ番組やインターネット番組で、知己の識者が述べていたことは「その街の中で生活の不安がなく生きていける場所になっているか&生きていける社会制度になっているか」の疑問、問いかけがほとんどでした。

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 ハードは揃った。

 でも、その町に住み、生き続けられない。それでは本末転倒じゃないかと。10年間の政治、大筋は、市井に向き合った政治をしてるかといえば否定的に見さざるを得ません。具体的内容などについては様々な勉強会などで再確認した上で記すことにしますが、断片的に感じるものだけでも「しっかりせなあかんよ」と言わざるを得ないのです。

3)私は大震災の敵討ちを何に求めたかといえば「津波被害、1度目は直接の波で、2度目はその後に襲いかかってくる生活難で」という先達の言葉があり、その“2度目”を起こさせないためと思って歩いて来ました。

 21世紀に入ってから権力者様は「自助だ、自己責任だ」の思考回路が巾を利かすようになっています。そんなこと言われんでも、みんな自分の人生という「一所」を懸命に生きようとする。

 だども。

 社会がそれを壊すようなやり方してんじゃどうしようもねえじゃねえか―そういう思いで、それ何とかすんべど、足りない脳みそと動かない体で自分の持てる力だけはフルに何とかしようと動いてきました。

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社会どうにかするべという時、そこには意を同じくした人の大規模な行動がありました。

4)野球の部分で。

 自分をここまで成長させてくれた大きな柱の一つは、間違いなく野球で、その野球を一生懸命頑張ってる気仙地区の後輩の背中を押そう、と。まあ応援すると言ってもいろいろな手法がありまして、自分の出来る限りのことでそれを為す。この10年間、以上のスタンスで取り組んできたつもりです。

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 ここ数年行っている野球歴史調査を見ると、戦争や災害など様々な惨事の後はスポーツに熱が入りやすい状況になりますが、その後、関係者の環境の変化・動態、仕事や私生活などの役割追加等々考えると、ボディブローのように響いて、意識を持って取り組まないと「熱」が失われてしまうという状況があることに気づきました。

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 今ここでどうすればいいか、というのが思いつきませんが、せっかく場に居合わせたのなら納得いく歩みをしていただきたいので、考慮に入れていただければと願います。

5)東日本大震災から10年、昨夏に母をなくして8ヶ月。感情の変化激しい私ですが、この方面では泣いてる暇はないと思い、10日まで涙こぼすことをしてきませんでした。

 ですが、震災10年という時間の経過と、たまたま見てしまったある漫画で緊張の糸が切れたんでしょうかね。不覚にも涙こぼしてしまいました。

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この画像は盛駅ですがご勘弁を。

 なんとか震災の方面で10カ年、もがいて生きてきました。「10年だから一区切り」ではなく「この後も良ぐ生きるために共に伴走し力を尽くす」と。そういう趣旨でこれからも大船渡はじめとした被災経験地域を見守り、必要に応じた行動して行きたいと思っています。

 ちょっと冗長な一文でしたけど、まずこれからも頑張って生きるべ、ど、それだけ。自分もどこまで伴走できるか分かりませんが、1日でも長くできるように努めます。

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16年同窓会時、三本締めを行う筆者。

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またか…「維新ファクトチェッカー」のしている反対者潰しに。

 「3・11」を記す前に。
 
 普通、二回も大不評買えば三回目は考え変えるものですが、そうする気は一切なく、このまま「一人一人の市民が意見・意見を発することを封じ込める」スタンスを続けるようなので、もう一度…いややめるまで下記の記事を提示し続けていきます。

 大阪維新の会のファクトチェック。
 あれは何?
 1回目、2回目として出されたものは、維新に与しない人達が出した「政策への疑問」に対する難癖つけ、瑣末な言葉の違いを取り上げて「いかにも相手が間違ってる」というふうに装い、自分たちの支持者に殴りかからせるというやり方をとる。最近のポピュリズムってやつですか。手法として「敵を作って対象をリンチする」やり方。今回の行為なんかそうとしか言いようがない。
 先の都構想住民投票で、大阪市内の“流れ”考えれば維新が圧勝してもおかしくない、という見方をされていましたが、都構想なるものの怪しさに気付いた有権者1人1人の行動で否決に追いやりました。
 それで思ったんでしょうね。
 「行動した一人一人の市民」が気に食わない。 ならば対象者を打ちつけて見せしめにすれば、後はそれを見て黙ってくれると。維新は自分の持つ影響力の中で権力やマスコミは抑えていますが、それを持っても一人一人の自民の行動で目論見を打ち砕かれたものだから、今度は「気づいた市民」を潰しにかかっている。
 それ以外に維新ファクトチェッカーがとっている行動の説明がつかないんです。
 いい加減これ打破しないと、権力持った者が何をしてもいい社会になる。拙稿では「16世紀以前に時計巻き戻したいですか」と批判してきました。今の人権とかなんとかで守られている社会を丸ごとうち壊すようなやり方は駆逐されるべきもの、と指摘して項を終わります。

東日本大震災から10年―それぞれの被災地に赴いて。

 今日は。以前からの予告通り「3・11特集記事」が部分完成しましたのでここにアップします。締め切り間近に2日作業できなかった影響で完全完成といかず、一部は前年の使いまわしにもなりましたが、気仙地区外の被災地記述と野球に関しての追憶はまとめましたのでご覧ください。
 いつもの木曜日の仕事した後に大船渡に向かいます。※一部記事再編集が間に合わず、前年フェイスブックで出した記事を掲出しています。

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急きょ記述。「維新ファクトチェッカー」のしている反対者潰しに。

 11日まで記事書かないと書いたけど、それで済まされない事態起きたので投稿します。

 大阪維新の会のファクトチェック。

 あれは何?

 1回目、2回目として出されたものは、維新に与しない人達が出した「政策への疑問」に対する難癖つけ、瑣末な言葉の違いを取り上げて「いかにも相手が間違ってる」というふうに装い、自分たちの支持者に殴りかからせるというやり方をとる。最近のポピュリズムってやつですか。手法として「敵を作って対象をリンチする」やり方。今回の行為なんかそうとしか言いようがない。

 先の都構想住民投票で、大阪市内の“流れ”考えれば維新が圧勝してもおかしくない、という見方をされていましたが、都構想なるものの怪しさに気付いた有権者1人1人の行動で否決に追いやりました。

 それで思ったんでしょうね。

 「行動した一人一人の市民」が気に食わない。 ならば対象者を打ちつけて見せしめにすれば、後はそれを見て黙ってくれると。維新は自分の持つ影響力の中で権力やマスコミは抑えていますが、それを持っても一人一人の自民の行動で目論見を打ち砕かれたものだから、今度は「気づいた市民」を潰しにかかっている。

 それ以外に維新ファクトチェッカーがとっている行動の説明がつかないんです。

 いい加減これ打破しないと、権力持った者が何をしてもいい社会になる。拙稿では「16世紀以前に時計巻き戻したいですか」と批判してきました。今の人権とかなんとかで守られている社会を丸ごとうち壊すようなやり方は駆逐されるべきもの、と指摘して項を終わります。

「反対派」封じ込めるトーンポリシングの一手法。もちろん与しません。

 いじめ加害者は「加害行為を楽しむ」性癖を持ち、様々なバリエーションをもってやり込めるのを楽しんでいる様子を見かけます。言葉の言い換えなんかもそうじゃないですか。

 トーンポリシングのやり方で最近見るものとして、『反対したかったら怒ることをやめろ』『多数派に協力して政策実現に向けて協力すればいつか有権者が認めてくれる』が。はっきり言ってそれは服従の勧めでしかないです。自分の軸もなしに屈服させられた人間は、その転向及び転向した自分に負けてそれまでの自分を否定し、その度合いを深る―この手のトーンポリシングはそれ狙いなんですよ、所詮は。いわば奴隷を作るための呪文とでも言いましょうか。

 なんでそれに付き合わなきゃなんねえんだ。ふざけんじゃねえよ。

 Twitterやれていた頃はその手の人間に対して凶暴的なまでに拒絶する態度をあらわして抵抗しました。ま、その行為がいいものでないのは私も十二分に承知で、結果Twitterからは追放食らいましたが、屈服を勧めに来る連中に対しては拒否をする。それを私の信条です―暴力行為はダメですが―。他人を壊そうとする時は、自分が壊される覚悟を持ってかかってきてください。以上忠告申し上げ、項を終わります。

「家族内の性虐待」報道で「在日かどうか」しか言えない輩は議論に入ってくるな。

 岩手内陸部は雨が降り注いでいました。昼間用事がひとつ増えた他はいつも通り。金曜日はは別な用事で図書館に行きましたが、何時間もかけて調べものして得たものはA4用紙1枚にも満たない情報料。寂しいものになりました。

 さて20日夜に放送された報道特集(TBS、IBC)では「家庭内の性虐待」が放送されました。被害者と加害者それぞれの視点から伝えられ、その中で加害者の「何が悪いか分かっていない言動」には空寒さしか感じませんでした。
 この件に関する感想をSNS検索で見てみました。大多数は「起きたこと」に対してどう考えていくか、で物事考えにいきますが、ここにまったくお呼びでない「向き合いかた」する方が。
 「朝鮮人特有の“試し腹”であって日本人はそういうことしない」「『在日特有の行為』を以て日本人を貶めるな」「被害者もかわいそうだが在日である自分を恨め」
 そんな言葉吐いて、気持ちいいんでしょうかね。犯罪行為は人種関係なく起きる危険性はあるし、それを踏まえて自分を律するのが基本思っていましたが、そうでなくただ自分の優位性を示すためだけに使って自慰行為するこんなん輩と一緒にされたくないです。これで同じ日本人だと。
 右翼の人とは話できるけど、いわゆるネット右翼ネトウヨ呼ばれる対象者とは話ができない。そう思うのは着目点の違いでしょうか。「行為」で見るか「アイデンティティーの充足」で見るか、の部分ですね。そこに権威主義、いじめっこ的習性も加わって、荒れた状態作られてるのづ、その軛は壊したいと思っています。

 2月20日小林多喜二さんの命日。「蟹工船」に代表されるように市井からのたたかいを描いた作家で、同時に社会を変えていこうと行動された方でした。先輩のような能力はありませんが、気づくきっかけになる一文を書き綴っていようと思います。おつきあいいただきありがとうございました。