「3・11」を記す前に。
普通、二回も大不評買えば三回目は考え変えるものですが、そうする気は一切なく、このまま「一人一人の市民が意見・意見を発することを封じ込める」スタンスを続けるようなので、もう一度…いややめるまで下記の記事を提示し続けていきます。
大阪維新の会のファクトチェック。
あれは何?
1回目、2回目として出されたものは、維新に与しない人達が出した「政策への疑問」に対する難癖つけ、瑣末な言葉の違いを取り上げて「いかにも相手が間違ってる」というふうに装い、自分たちの支持者に殴りかからせるというやり方をとる。最近のポピュリズムってやつですか。手法として「敵を作って対象をリンチする」やり方。今回の行為なんかそうとしか言いようがない。
それで思ったんでしょうね。
「行動した一人一人の市民」が気に食わない。 ならば対象者を打ちつけて見せしめにすれば、後はそれを見て黙ってくれると。維新は自分の持つ影響力の中で権力やマスコミは抑えていますが、それを持っても一人一人の自民の行動で目論見を打ち砕かれたものだから、今度は「気づいた市民」を潰しにかかっている。
それ以外に維新ファクトチェッカーがとっている行動の説明がつかないんです。
いい加減これ打破しないと、権力持った者が何をしてもいい社会になる。拙稿では「16世紀以前に時計巻き戻したいですか」と批判してきました。今の人権とかなんとかで守られている社会を丸ごとうち壊すようなやり方は駆逐されるべきもの、と指摘して項を終わります。