つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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前日に続いて―安楽死積極賛成者による「諦めへの誘導」に覚える嫌悪。

 今日は。昨日よりは今日が寒さ和らぎましたか。タイヤはとっくに代えているので冬の準備、ひとつ済ましていますが、巻き込まれ・玉突きにも注意したいです。

 さて、タイトルにも書いた通り昨日の続き「安楽死積極賛成者による論難」。昨日書ききれなかったところでお話ししますと、積極〜の方々のご意見で特に障る二つのポイント(1)現況の苦しさを変えるより死ぬことで逃れようとすることに重きをおいている(2)「強要・圧力」に対する危惧に対して「それに屈するならその程度」と冷淡かつ高圧的に出ていること…ですか。

 私はある部分の立ち位置にいますが、同時に「決まりごとは効力及ぶ範囲すべての人に影響する」ことくらいは認識しています。まして、個々人の存在の基礎になる生き死にの問題の基準を統一するには相応の共通認識つくらないとわんないでしょ。ここに表れている積極〜の方々のやり口にはその欠片も見えません。

 まして「強要に屈するならそこまで」語りには…第一に怒りしか覚えませんし、そこを収めても「優生主義の発露」と思うものです。どのみち私に言わせれば「ふざけんな」以外ありません、以上述べまして項を終わります。

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 正直、こーいった言説が大手を振っているのは21世紀に入って以来の自公政権、殊に安倍政権の破壊力によるものが大きいです。いまニュースに出ている「桜を見る会」にしてもそう。この政権のみが日本人のとる道と違いますので、雑音に惑わされずに代えにいきます。おつきあいいただきありがとうございました。

安楽死推進派に危惧―垣間見える選民思想有る限り絶対反対を変えない。

 自身が病気持ちで、一般的な同世代と同じレベルの行動ができないことには罪悪感にも近い感情も。それでも「こーいう人間でも生きていていい」ってのを実践するため、あるいはそういう社会にするためにしぶとく生き続けています。そんなもので、最近見られる「生産性無きモノには安楽死などで退場を」という動きには首を縦にふることはできません。

 ところが…一部賛成派、殊に「安楽尊厳法制化協議会(Twitterアカウント@AnrakuSongen)」に属する方からは反対派、あるいは賛成派でも懐疑的な人に対して攻撃的な言葉を投げつけています。「安楽死=死ぬ権利」の要求に応じない、賛成しない者はろくでなし、と。

 これまでの歴史の中で行われてきた「社会的弱者」圧殺・虐殺案件で、対象用件見ていると私も十二分に入るわけで、それが「軽々しく安楽死に賛成するな」という思いにつながり、特に現状の日本で行われた場合は近代社会壊すレベルのものになると考えますので、そこら辺もろもろ踏まえて「反対」の位置につきます。

 安楽尊厳法制化協議会諸氏の発言には障るものも。以前、別な安楽死推進者とは「本人の意思という原則」で折り合いつきましたが、協議会諸氏は反対派の持つ懸念を「敵」と考え、反対派意見を嘲笑う者も。ここまで来ると安楽死の賛否以前に「あなたは何様よ」という思いを持たざるをえません。それを払拭したければニュージーランド安楽死国民投票結果に「(主旨)バカな反対派をねじ伏せることができた」というような言い方を控えてください。

 おつきあいいただきありがとうございました。

桜を見る会/自称元皇族氏 殴ったあと介抱する姿見せて良い人気取りは勘弁を。

 「平均」以外の他者への中傷/公の財産私物化という他者への攻撃をしておいて

 「俺は被害者告訴する」/「桜を見る会を僕が中止させました」と良い人面をする。

 それは自身が殴っておいて、それで打ち倒された人を介抱する姿見せて「僕は立派な人」と自慢するような行為。

 萩生田の「身の丈」→「民間試験見直し」にもあてはまりますね。これは「この手法含め安倍政権を許しますか」YESorNOしか選択肢はありません。安倍政権の壊した7年を元に戻す、から始めましょ。

どうせ中止させられるなら…か。富山の自称元皇族氏講演会の件。

1)何らかの引きがあり、町内の子ども(中学・高校)全員を引き込んで行おうとした講演会、当初は子どもの参加強要、次いで開催自体も中止になったようです。自称元皇族氏だけでなく、意に沿わぬ者を排外にかかる国粋右派勢力は掲げるお題目を名目にして、実際はヘイトにかかる言説をまくし立てる。火は普通に使えばなんの罪もありませんが、放火に使えば罪になる。手も暴力に使えば暴行罪。

 ヘイトも言葉の暴力でしょうに。

2)「元皇族」氏には十二分に前歴があります。ないがしろにされていても主権在民基本的人権尊重を基礎とする憲法下で「教育に適切」なものじゃないのです。あと、後援外れたわけでもないのだから開催はできる(最近は会場使用の条件に自治体後援をあてるケースもありますので)はず中止になったのはなんなのか。若年層への煽動という目的を果たせなくなったからか。

3)SNSではアンチ左派の投稿を繰り返している方が、「ガソリンまいた、という通報があった」と述べて、それが北日本新聞の紙面にも書かれる事態に。SNSで書いた人はどっからその情報を持ってきたのか、自治体の主催担当者との齟齬も気になります。北日本新聞と権力者との距離感も。中止あるいは断念が避けられないから「敵勢力にダメージ与えてしまえ」の自作自演としか疑えない。どの立ち位置であれ「ガソリン〜」持ち出すのは愚劣な行為だ、というのは基本の上で申します。

 ある意味で、いまの日本は「内戦」状態になっていると考えています。これが実際の砲火に至っていないのは反政府側の自制(いまの状態で実力で抵抗したら瞬間的に虐殺される)によるものですが…。「やつらを潰せ」と言う割には「やつらに滅多打ちにされている」と。

 ま、辛抱強くいきますか。

 気づくまで存在し続ける、ということで。おつきあいいただきありがとうございました。

真の「食わせる」社会とは。桜を見る会の話より/福島県議選共産党5議席。

 今日は。11日夜のTBSラジオ「session―22」、同テレビ「NEWS23」が相次いで桜を見る会に関する報道を行いました。様々な社会私物化行為に策を弄してきましたが、これ以上は社会壊しますよ。いつまでも野党だ左翼が、が通用すると思わないでください。「他に人がいない」というならそんな社会を作らせた時点で自民党のミスですよ。

 支持する理由として「俺たちを食わしていけるから」と述べる方は少なくありません。たしかに富裕層は肥え太り、たまたまその恩恵を受けられる位置にいる人もいい思いはしているのでしょう。が全体広げればどうだ。落ちこぼれた人を自己責任言うて池に落ちた犬をメッタ打ちにしていい気になるな。ほんに「汝の価値」、気づいてください。

 汝の…昨日書いた丸山ほだかの「下級国民」ですか。当然怒りを持つ人はいる一方、残念ながら「それでいい」と自己を卑下するばかりか「上級国民や権力者様に逆らうのはやめろ」てな言説放つ方もいます。そういう人、そういう行為が巾を利かせている社会…いまですね。どうなっていますか。「何をしても自身は安泰」と収奪行為を加速させている。こんでいま抵抗している人がなくなったら5世紀、10世紀単位で社会が巻き戻る。それは許してわんないです。

 ホントに食わしていける社会は「権力者のおこぼれ」によるものでなく、社会全体に益がが回る社会設計によってなされる必要があります。それをご考慮ください。

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 10日投開票の福島県議選。共産党は5議席維持。1年前の別選挙で味合わされた苦い思いを、社会を市民本意に変える力を失わなくて安堵しました。市井の場へのはたらきかけ大事にしていきましょ。おつきあいいただきありがとうございました。

【微短文】精密に行く道を見極め歩く。桜を見る会と憲法論議。

1)いまの国会は自公安倍政権与党が圧倒的多数で、そこに維新やN国党を含めれば、市民側に軸を置く野党を無力化するのは簡単です。しかし、それを覆すのは権力強者でもひっくり返せない…ひっくり返してならない道理や理屈でしょう。いまの安倍政権は自分に都合いいやり方を進めるために「道理や理屈」を壊しにかかる。そんなん続けられたら折れる人も出てしまうのはたしかです。

 「たたかう人」への嘲笑、冷笑もそっからでしょうね。

 いつまでもこんでいいのか…は考えてほしいです。抗うのをやめたら、今までのが“序章”にされる。

2)立民・山尾しおり氏がやたら改憲行為の進行に執念見せていますが

 一)自民改憲案は反動的

 二)議論乗った際の力関係

 三)改憲派に優位な投票ルール

 くだらない善意で大体16世紀からつくられた基本的人権国民主権を投げ棄てる国にしたいのですか。山尾氏の軽挙は大概にしていただきたいです。

「天皇祝意エンドレス万歳」+丸山ほだか「“価値のない”下等国民」発言。

 昨日、きょうと天皇の代替わりに関わる行事が行われていたようですが、自分のことだけで精一杯で祝う余裕もそうする意思もありません。ただ、行事のなかで万歳三唱を過剰に何度も何度もしている光景をたまたま目にして、それには眉を潜めざるを得ませんでした。この光景を他にどっかで見たかな…思ったら「自衛隊」。
 この“万歳”を主導したのは、行事を主導した右派・日本会議ではないかと言われていますが、彼らは自衛隊についても過剰に神聖視しています。近年起きている災害に関しても「自衛隊以外は役立たず」「自己完結で行動できる自衛隊しか対応できない」と持ち上げていますが、正直彼らの“天皇・皇室”“自衛隊”に向ける持ち上げは「自分が“利用”できるものに対するへつらい、おべっか使い」でしかない。この2項目は安倍政権を脅かす存在を押さえつけるのにしばし使われますからね。
 “桜を見る会”に見られるように社会の私物化が甚だしい安倍政権、その支持勢力も「我が世の春」を謳歌するためには同じ態度とらないけませんか、てなところで。勘違いをこれ以上進ませないために冷や水は遠慮なく浴びせましょ。

 …で、記述終わらせようと思いましたが、N国党に移り議員を続けている丸山ほだかが批判者を「バリューのない(価値のない)下級国民」と語りまして。
 いやあすみませんね。近年ずっと「価値がないやつは安楽死させろ」とか、そんなん言葉ばっかりぶつけられているもので、しかもそれを正当化されたりしてこんなん社会になっているわけだからこれは怒らないと益々図に乗る。早速「正論」とかなんとか誉めそやしている方がいますが、その行為は「ある種の人を殺しやすくする仕掛け」だというのを知ってください。
 おつきあいいただきありがとうございました。

要求と併せ共産党を議会に送り無力感を突き破る一歩を―10日は福島県議選の投票に。

 今日は。先日始まったと思ったら投票日はあっという間。福島県議選は10日が投開票日です。拙稿の推薦候補は下記の通りです。敬称略します。

 △福島市区 宮本しづえ

 △郡山市区 神山えつこ

 △須賀川岩瀬郡区 丸本ゆみこ

 △会津若松市区 ふるかわ芳憲

 △いわき市区 吉田えいさく、宮川えみ子

 ※伊達市区の大橋さおりさんは無投票当選。

 全体的に細かいところ(分会・委員会)から議論に加われるには相応の議員団を形成する必要があります。原発事故以前は原発事業に懐疑的だった勢力は共産党ぐらいで、議会で瑕疵を指摘しても軽く扱われたりもしました。それが「3・11」という不幸な事故で「指摘聞いとけばよかった」という結果を突きつけられることに。

 しかし、近隣の政治戦の様子を見ると「権力強者の引きに任せればいい」という“意思”も見えて。諦めを払うには「市井の要求と共にたたかえる人が議会に出」て、目に見える形で示す。そのためにも相応しいと思う最推薦6氏への投票をご検討お願いします。

 以前はギリギリに書いて「修正利かねえ!」って慌てていたもので、いまは数時間前に記すことにしています。期日前投票の存在で「力の入れ時」も変わっているようですし。ほんでも「そさ生きる人」に声かけて社会や政治を変える、という基本は忘れずにいきましょ。おつきあいいただきありがとうございました。

共産議員に社会私物化を指摘され。「共産党」ヤジの醜さと併せて。

 今日は。ここ数日の好天が曇天、雨天に変わり、洗濯物が表に出しづらくなってきました。今日は仕事も一段落し、明日は午前がーっと掃除してしまうことにします。

 で、今日も国会は荒れる…というか、荒れちゃいかんところで荒れまして。立憲民主党の杉尾議員に対して“共産党”って。共産党って単語をネガティブにとらえる方も少なくありませんが、日本で一番権力を掌握している安倍首相が児戯に等しいことをしてわんないでしょう。私も熱くなりやすい性質な者で、そうなる心理もわかりますが、位置を考えろ、と。

 で、直後に共産党の田村智子議員から「行事―桜を見る会―の私物化」について質されましたね。桜を見る会自体は安倍政権以前からあるのは承知していますが、多様な人々の交流の域を超えて、自身の威を示し支持を得る道具に使われるのでは私物化言われても仕方ないですね。いい加減ごまかせる手段は尽きているし、更にごまかそうというなら近代社会を壊す以外に方法はありません。最低でも総辞職された方がいいかと。

 残念ながら、これまでも「ダメでしょう」というのを力業で持たせてしまってて、変な意味で“自信”つけさせています。この政権は「人権逆行」「市民からの収奪」が性格の基本ですので、いい加減除けましょ。

 さしあたっては10日投開票の福島県議選、根から市井の立場でモノを言える日本共産党候補者に一票の意思を託していただければと思います。おつきあいいただきありがとうございました。

安倍政権に「社会の見解」「権力者の矜持」はあるか。私利に溺れて省みることができなければお引き取りください。

 共産党が党大会などの議案を出したことが伝えられています。私めは活字になったのを見ることにしますが、長いんだろなー、と。最近のできては…という政党はもとより、自民党の党大会決議でもウン時間の報告が必要なほど、社会に対する見解は持てているのでしょうか。

 最近終わったマンガで、現代でいう護衛・SPの言葉として「俺たちは“えらい人”を守るのではない、“えらい人が行う仕事”を守る」、そして、“えらい人”は「自分の役目はその社会に生きる人を守る」こと、というやりとりがありました。

 では、いまの政権にその役目は果たせているか、といえば?マークしか着けません。数々の社会私物化行為、それを市民からの収奪行為で為している政権。「社会に生きる人に“えらい人”を守らせる」では本末転倒も甚だしい。しばらく前はひとつ起きれば政権ガタガタな出来事が日常茶飯事に起きてなお開き直る。

 共産党の決議案ぐらいの「社会にうったえるもの」、いまの安倍政権にありますかね。断っとくが「反動・搾取行為の言い訳」以外で。幾度も幾度も幾度も「リセット」されるデマかたり云々よりは、いったん当人の話をきいていただきたくことを願います。

 昨日書いた「宿題多いですははは」はこれも混み。30代の頃、「時間を無駄に過ごした」という負い目があるので、40代はそれを払拭しようと。もう半ばになりますけどね。やっている最中は遅々として「あ″ーお″ぜー」とか思いがちですが、形になるとほんわかくるものがあります(←なんだよ「ほんわか」って せめて「充実感」とか)。まー頑張るとしますか。

 おつきあいいただきありがとうございました。