つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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残念ながら…「辛抱さ」も必要なのが現状です。

 ブログを始めてから15年なります。記事を書く媒体があるときはほぼ毎日記述してきましたが、現在は月、火、金、土の週4日?体制になっています。調べものの作業を本格化しているので、日常の生活様々考慮するとどうしても何かは削らないと回りません。

 あと。SNS文壇はどうしても目の前に存在するものが自分だけになるので、自己中心になりがち。あちこちで「ぶつかり合い」が起きているのを見ますが、何分の一かでもいいので「余計な敵をつくらない」「“むこう”に蹴り出さない」「気づく時間をつくる」は意識していただきたいです。機会つくっても「この様」の場合は…ですが。

 きょうはこんだけにします。宿題多いですははは。

重なる陰謀論者と「一本化」強要者。

 15年の「戦争法強行」以来、約束ごとに基づいての野党共闘路線に踏みきってから4年経ちますか。それ以前はある勢力に統一すればいい、共産党は候補者を出さずにその下僕になれ、という論調が一定の巾を利かせていました。それを強要しようとする方々は陰謀論にも与しやすい方が多かった印象があります。

 数日前に愛国主義幼稚園の中心だった方が記者会見で「不正投票論」に触れ、その論に与する方が少なくなく。ふたつばり言葉入れますね。

1)開票の仕組みを知ってほしい。

2)選挙で“勝てない理由”をそこに求めて、肝心の「社会の中にうって出る行動」を止めさせるような行為は慎んでください。

 とりあえず、この2点を指摘しておきます。共産党の「多数者(の指示を得ての)革命」じゃありませんが、施策なにかやろうとしたら多くの人に知っていただかなければならいのは間違いないところ。それをくさす行為は座視できません。そこを考慮ください。失礼します。

11月3日「憲法公布の日」に9条と立憲主義から話かたりします。

 今日は。きょう(2日)は洗濯日和で都合3回洗濯機を回していました。今週中にはタイヤも取り替えておきたいな、と。労組の行事はありましたが体調あまり…ということで不参加としました。端から見れば思考回路が「臆病すぎ」に見えるかもしれませんが、「壊れてしまう」方がいまの私にはこわいと感じるものです。

 社会活動の方を見ると…3日 は憲法関連の行事が各地で行われます。9条にしても、権力の暴走を押さえ込む立憲主義にしても日本社会全般でみれば価値が低く見られているのがなんとも悔しい限りです。ほんでも、有ると無しとでは大違いです。

 9条については「9条信者」等と揶揄される向きもありますが、戦争は始まりゃ当事者の意図では止められない。権力も握った人間が抑制的な何かで押さえられなければ力に酔って暴走しがち。帝国憲法では権力施行側に寄った思考回路で、結果軍国主義を抑えられず国の破壊に至りました。

 9条の非戦主義も、権力抑制の立憲主義も、一々の市民が生きていくには必要なもの。近隣国との関係を悪くしたまま9条取り払えば「導火線に火が点く」状態になり、立憲主義を棄てて憲法も「市民住民を押さえつける道具」にさせてしまうと、権力者の“コマ”でしか存在を許されない状況に持っていかれます。

 安倍政権と財界・反動右派の支持勢力、その支持者には都合いいかもしれません。そういう考えをつくる素地も十年単位でつくられました。「日本はひとつ」を旗頭にして権力者に逆らうこと事態に否定的な世相も軽く見ません。ただ、この路線は「いい思いするのは権力者のみ」。より弱者をいたぶっても慰められることはありません。

 それ考えたうえでどーすりゃいいか。お読みいただいた皆様に御考慮お願いします。

 おつきあいいただきありがとうございました。

民間試験延期は異議を申し行動した結果。「萩生田の英断」ではない。

 11月なりました。「世界で一番熱い夏(プリンセスプリンセス)」聴いて初日の出を迎えて…そっから早くも11ヶ月。くそ暑さもひいて、今は冬用の服も揃えながら日々を過ごしています。

 で、今日は「英語の民間試験延期」の報が。機械均等の公平性が図れない以上延期は当然で「国家&権力者付随勢力のみが益を得る」やり方を見直す方向に進むのが適切なはずですが、付随勢力のとった行動は「萩生田さん並びに安倍政権の大英断!野党は邪魔をするな(以下一時間説教)」で世論を固める様子で。そこには党派を越えて「いくらなんでもそれはダメだ」と怒った市民の様子はありません。

 萩生田が安倍政権に通ずる世界観―富裕層優遇、そうでないのはモノ扱い―をあからさまにしたことでかねてから言われていた課題が一気に浮かび上がり、願ったことは全部強行したい安倍政権にして続行を断念する事態になりました。そういう意味では「見えている取っ掛かりは生かす」「余計な敵はつくらない」…矛盾する点もありますが意識して社会活動を続けていきます。

 おつきあいいただきありがとうございました。

共産党からの脱落者による「活動封じ込め」には乗りません。

 共産党の被災地救援活動に尽く「違法」呼ばわりし、難癖つけている方々が居られますが、とうとう募金だけでなく「ボランティアも労力提供で違反」言い出すお方が現れましたか。そういった方々は共産党の政治活動に対しても「ビラまき&宣伝は道路使用許可が〜」「電話は迷惑〜」などと言い立てる。ここまで書いたことをかいつまめば「活動の足を止める」ことが第一義に語られている。

 さらに加えれば「共産党員こそ共産党に搾取されている」と述べて“ぼくはみかただよ”ポーズとっていますが、単に力を削ぐためのおためごかしでしかない。自身が嫌で離れるのは有りうるにせよ…ね。分かってて言っているから性質悪い。

 1930年代から共産党の中心にいた宮本顕治さんの「現代の共産党活動も大変だ」、て言葉は今でも生きますね。火の粉ははらいながら歩むのみです。

社会を権力者の勝手にさせないために―10月1ヶ月の様子から。

 まず最初に。拙稿は現状社会でウケをとることを目的とした記事制作をしていません。ウケが悪くても「必要だと思うこと」を、そして多数が荒れ狂うなかで浮き輪のような存在でいられるような記述をしています。そんなものだから見に来る人は少ねえ少ねえ。15年SNSやっている割には存在感ないブログです。

 10月中の1ヶ月間だけでもかなり心身ビリビリすることが相次いで起きました。社会を支えてきた柱がポキポキ折られ、支える柱が少なくなったあげく、柱の上にあるものが暴れまわったらボッキリ折れるのは必然。今の状況はその現れではないでしょうか。

 いくら「情報戦」で繕っても、実態が壊れていたら話にならないでしょう。いつまでも「野党」「左翼」のせいにだけできると思わないでください。

     ―◆―◆―◆―◆―◆―◆―◆―◆―◆―

 本来、森友・加計の問題が起きた時点で安倍政権は終わっていなければならないものでした。しかし公文書をつくりかえ、社会の私物化をごまかして“切り抜け”てしまったあとは、安倍政権も、その応援団も増長が止まらなくなった。何かあれば力ずくで「野党&左翼が悪い」とごり押しすればいい、と。

 河井氏の選挙運動員買収、菅原氏の有権者買収行為、萩生田の私利織り混ぜた大学試験改悪と並び、安倍政権の特色といえる「富裕層・オトモダチ優遇」「社会の私物化」「大多数の市民からの収奪」が露になり、当人等はそれを当然視し開き直っている様子が見えているここ1ヶ月。ここで「何でもない継続」決め込まれたら、より社会が壊れる。市民とか、いまの権力者に好ましからざるモノは既に窒息させられていて直接の攻撃も始まっています。

 繰り返しますが、「野党&左翼が悪い」で済まさないで。悪いのは悪い、納得いかないのは納得いかない、というのは示しましょ。

 おつきあいいただきありがとうございました。

「いつものパターンさ…」…で、野党悪玉論に持ち込まれる、と(怒)。

 萩生田の「身の丈」発言は、彼らがしようとしている「富裕層優遇、格差拡大」施策の発露でありましたが

・安倍政権ネットサポーター

 「キリトリ!」

 「問題ない!」

 「自己責任!」

 「励ましただけ!」

・報道

 「萩生田氏の発言に野党が反発(する理由は書かない・言わない)」

・「識者」

 「これで“入試改革”を止めては行けない!」

・芸能人(内山麿我

 「文句を言うのはいつも弱者だ」

   ↓↓↓↓↓

 それらにまぶされた結果

 「萩生田さんが正しい!野党は政治利用するな」

 …か。

 理屈は何にでもひっつきますが、自身が殺されてもいいやり方に「だって安倍さんじゃなければ」を基礎に唯々諾々ひれ伏すのはいかがなものか。何十回と思わされますが。何故「富裕層が優位になるのか(結果を得る機会が多い)」言っても「そんなものは根性で乗り越えるんだ」では話す方も疲れる。

 「安倍政権にひざまつけ」が生きる条件にされては困りますので、安倍政権ご支持者の皆様も考えていただけますか。できなければ内戦になります。とりあえず以上です。

萩生田「身の丈」発言。3日経てば表れる「与党擁護者」、我が身すら斬りますか。

 教育を受けるアクセスが貧富の差で止められることがあってならない、しかし制度は「何回も挑戦できる資力」を持つ人が優位に立てるものとなり、それを大臣の萩生田が容認してしまう様になったから怒りが沸騰しているのに

1)毎度お馴染み「切り抜き〜」

2)同じく「全文見て真意を〜」

3)「高卒をバカにするのか」&「高卒でも立派に〜」

4)「今の世の中こんなのだから諦めろ」

5)「働いて金ためてから行けばいい」

 代表的なのざっと並べましたが「教育でも格差があって当たり前」が基礎にある以上一蹴の対象にしかなりません。現に萩生田は謝罪という名目で同じ意味の言葉を吐いています。元からそーいう思考回路なのはわかっていますが、せめて大臣の位置なりに見繕うことすらできないのか。社会福祉社会保障は安倍政権成立後に削減のみを進める方向で閣議決定されていますが、いずれ教育も帝国時代のような複線化にさせられますかね。義務教育4年とか。

 これだけ社会が高度化しているなかで、ある程度の時間はかけないと社会に出てしんどい状態になる。高校がほぼ100%に近い進学率になったのも「学ぶことが多くて義務教育では収まらない」事象の反映(その内容が安倍政権で壊されているのが…ですが)。

 アンチ左翼が安倍政権様を守りたいがために社会をも壊す傾向は頻繁に目にするので「どこまで度合いをひどくするか」は気にしていましたが、自身にかかることすら平気でクビを差し出すまねをする。本気で「緒元」潰しにかからないと、人権の感覚が「権力者の一存で庶民は駒のように扱われた」16世紀程度にまで戻されてしまいますので。そうなってからでは跳ね返すのに百年単位の時間が要りますよ。

 何度でもいいます。安倍政権を倒すには「存在を失わない」、で。おつきあいいただきありがとうございました。

教育均等機会すら壊し、反対者を徹底的に黙らす安倍政権に抗う。

 今日は。上着いくつか着ないと厳しい季節になりました。明日は挨拶向かわなければならない箇所があるので当然それに応じた睡眠もしとかないと、です。

 安閑と寝ていられる状態でいればいいのですが、そんなものくそ食らえ、という事象相次ぎましてね。安倍政権の与力者経団連による「社会保障カット」要求と、萩生田文科相の「身の丈」発言ですか。前者はいずれ医療アクセスの悪化に結び付き、後者は「社会を生きるための教育」を遮断させる危険性を持ちます。

 後者について関連語れば、いま行おうとしている「入試改革」がやっつけ仕事のあげくに機会の平等性に疑問がついていること。まして実行する会社と安倍政権の私物化的結びつきなど疑問は山積みですが、そこに萩生田の「身の丈」発言。更に私的解釈加えて擁護に走るアンチ左翼。底がない、底がないと覚悟はしていますが、ほんに突き抜けっぱなしですね。

 野党&左翼の懸念より「安倍サンノ安定性」ていう思考回路のようですが、最近では擁護するのも難しくなって、擁護する理由ぶっ飛ばして「野党叩き」を主に据えて支持をつなぎ止めようとする様子も目の当たりにします。完全にぶっ壊れて一からやり直すか、裁縫するように一針一針丁寧に縫い直すか。

 ただ、前者は1945年に一度しているわけで、その時に様々援助してもらい復興したのを、以前やらかしたのと同じ構図で再びぶっ壊したら…

 同じように援助してくれるわけありませんわな。

 いまでさえ「何かあったら無条件で攻撃していい」矢先は向けられています(敵国条項)。それがつくられた基となるやり方を再びやろうとすれば相応の態度食らってもしゃーないでしょう。

 収奪私物化の政治は、いよいよ「国民市民一人一人の存在」まで向けられるようになりました。「施策の影響で死者が出ても構わない」態度を明らかにし、これまで締め上げていた箇所ではまだ不安らしく在野の市民を吊し上げたり、告訴(世耕が大学教授を告訴)したりしています。社会全体で見ればどこまで抵抗しきれるか…活路見いだすまではなんとか存在、保てるように努めます。

 おつきあいいただきありがとうございました。

即位の横で壊されてる生活。天皇盾の苛政を許さず市井生活守ろう。

 天皇の代替わり関連で持ちきりだった世の中。私は天皇を軸にした社会を望む者ではありませんから、今日も変わりない1日を過ごしていました。個人の範囲で祝う人を邪魔する気はないが、祝意の強要は勘弁してもらいたい。

 それにしても「象徴」ですか。即位にあたっての発言で「日本国憲法に基づいて〜」と述べていたようですが、今政権を握っている勢力は日本国憲法を壊し、天皇を頂点にして市民を押さえつけた帝国憲法時代に戻そうとする勢力。彼らが天皇を使ってやろうとしているのは「天皇の存在を利用して反対者を押さえ“御国のため”と痛みを与えられる社会づくり」。

 ここ7年だけでもピン、ピンとビスはおろか楔が弾け飛ぶように社会が壊されているのを目の当たりにして来ました。これだけ凄まじくかかる圧を跳ね返す術は簡単に見つかりませんが、機を見出だすまでなんとか存在保ちます。壊されたんでは百年単位でダメージ残りますから。

 「王」を盾に「施政者」が横暴を振るう社会はこれまでにいくつもありました。その末は市民生活の破壊が常。そして、このような教訓からつくられた仕組みは「自虐」と呼んで壊そうとされてます。どっちが市井の市民に生き良いか考えましょ。

 おつきあいいただきありがとうございました。