つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

原水爆禁止世界大会─1997年・伊東参加の思い出。

記述日:8月9日

1️⃣ Facebookなどのmeta3種は最近「集中投稿」多くなっています。その場合は記述日を明示しますのでよろしくお願いします。

2️⃣ 今回の原水爆禁止世界大会には地元からも代表団が参加しています。私も1997年の世界大会に参加した経験を持ち、それまで教科書などで教えられてきたもの以上の経験者などの話を聞き、より深く核兵器の怖さを知ることとなります。

 参加した世界大会では、ある被爆者の方の発言が心に残りました。その方は原爆被害を受けた後、周りの目線を恐れた生活をしてきたようですが、それでも戦後50年近くを経て「原爆で受けた被害を償わして、核兵器禁止への運動しようという方々との邂逅」で、自分が一人ではないことを知り、行動している様子を生き生きと報告し、「今が私の青春時代です」と言っていた出来事が印象に残っています。

3️⃣ その時一緒に参加した方の1人とは、社会活動でそのまま長く行動することになった人もいます。その時から活発な人で、今ではある部門の要職についています。体重は重いのに軽職の人間と大違いですね(笑)

4️⃣ さらに苦い思い出も一つ。

 後日行われた報告会で発言がどうもあっち行きこっち行き、でバラバラ。要は限られた時間内に収めるということができなかった。

 終わった後で私の長崎行きに尽力してくださった方から「あまりにも大変なんで途中で止めたよ。でも、これきっかけにして頑張ればいいよ」と励ましてもらったことは忘れません。

 その方は2011年になくなられましたが、なくなる寸前まで非核・平和の運動を始め社会運動に積極的に取り組んでいた方でした。この方のように「最期まで生きぬく」ということも目標に頑張ろうと思っています。