記述日:8月10日
1️⃣ 戦争体験継承の部分でもう一つ思い出したことがありました。
過日の岩手日報沿岸板で釜石の艦砲射撃に関するシンポジウムが行われていたという記事が載っていました。同事項はドキュメンタリー映画「廃墟と化した鉄の街 釜石艦砲射撃の記録」(都鳥伸也監督・都鳥拓也カメラマン作品)を見ましたが、それとは別回路で思い出ひとつ。
2010年にいわて労連の青年メンバーで釜石の“戦災資料館”を見に行ったことがあります。
2️⃣ 釜石の商店街にその建物があり、艦砲射撃の資料がぎっしりと並んでいました。長いことを「釜石地域の事情」によってこういう戦争経験・体験を語る独自の施設が作られない状態でいましたが、戦災被害の経験を冊子にして紹介している方を中心に設営運動が起こり、2010年にようやく開設されたわけです。
一番印象深かったのが艦砲射撃の弾丸実物。野球バットありますね。それよりちょっと大きいのに中に十分に鉄を詰めて、猛烈なスピードで降ってくる。当然、当たったら人間木っ端微塵です。当然、大きな犠牲も出たわけで、戦争は人の命を簡単にもぎ取るものだ、というのを突きつけられます。
3️⃣ ところが。
その“戦災資料館”は翌年に起きた東日本大震災・津波で破壊。資料なども散逸してしまいます。多くの人に見てもらうという性格上、人通りの多い場所に設置したのは仕方がないのですが、本当に残念な話でした。
4️⃣ 寄り合いの時に、午前の見学が終わって昼食会をしていましたが、なぜか自分が説明役をしていた千田ハルさんの肩をマッサージする担当となり。直前に祖母をなくしていたので「人生の先輩に大事にしていかなきゃ」という思いをしながら千田さんと談笑しながら肩をポンポン叩いていました。今となってはいい思い出です。
