つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

東京都水道行政の話に出てくるスパイト思考-他者を平気でなぶれる指向に危うさを覚えろ。#東京都知事選挙

※【予告】すぐ別記事を掲載します。

 少し前に東京都の「水道料金未納→打ち切り」につながる水道行政の話をしました。命綱の水道を容易く切るやり口に批判が寄せられる一方で「払わなきゃ切られて当然」の声も。東京都はこれまで「未納=何かある」として対応してきたのを「紙切れ(督促状)送っておしまい」に変えたわけですから、切り棄てることを是として対応していると批判されても仕方ないはず、です。

 前回記事後、この水道行政対応も都政の問題点とし、蓮舫氏を推し立てて改善していこうとしていますが、そこにも難癖をつけられています。ただの「一意見」でなく。

 ひとつは「そんなに難儀するなら止められた後で生活保護を受ければいい」と論ずる方たち。一見、問題解決の手法を示しているように見えますが、「弾く、受けさせない」を主流とする生活保護行政の現実を見れば「水止まるなら生活保護すればいい」発言が実効性のない空々しさしか感じ取れない。むしろ「そっち行っても“地獄”」なのをわかって誘導させているわけだから悪質としか言いようがありません。

 もうひとつ目にしたのが「元所属勢力への私怨から、制度そのものも目の敵にする」行為。資本主義社会のなかで倒れた人をいまある制度を的確に適用-「使わせたくない」という行政の意図をもちこませずに-する行動をしてきました。それが故に「共産党はナマポ(←蔑称)を“不正”に受給させている」などという攻撃をさせていますが、この行為を間違っていると思いません。

 しかし、私怨にとらわれた人は「対象物の為す行為は敵対」にしか考えられないから、後付けの理由こしらえて否定的な文言を撒いていく。生活保護もですが、水道代についても「はらえなきゃとめるなにがわるいのですか」、と。

 いずれ、こういう「自己責任論」が定着してしまい、個々人の難儀さなぞ踏みにじってしまえ、というのが当然視されるようになりました。今回、蓮舫氏を推し立てて東京都政を変えよう、とするのはそーいう社会を変えるためです。どうぞご検討をお願いします。