つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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成田悠輔の「強制安楽死」+未成年者の「老人は退散しろ」発言。生存権すら打ち壊したい人とは敵対しはね除けるしかありません。話し合いとやらは矛納めてからだ。

 しばらく、近い所に起きてしまった出来事に気を取られてる間に、「生存権すら奪われる危険性」が増長し、「生産性のないものはとっとと死ね」と言わんばかりの言論が続いてます。これまでも、各々の時点で最悪だと思って、それを産んだ事象に対峙してきましたが、尽く「最悪」を塗り替えられる状態に。都度、都度「絶望のどん底」に叩き落とされ続けて、慢性的に痛いです。
 今回のどん底は、成田祐輔による『強制安楽死』なる言葉と、群馬県で行われた子どもとのイベントでのやり取り。この二つを同時に叩き込まれて、正直、しんどい。具体的には『強制安楽死の正当化』と『“老人は日本から退散しろ”発言の正当化』。こういうの見るたびにいつ「あなたは生産性ないから死んでください」という命令下されるか。
 冗談抜きで
 恐怖を感じる。
 
 この成田なり成田に影響受けた子どもを擁護する言葉が行き交っているが、これは認めてはいけない。それがある方向からでは正解だと思ってしまうような物事でも。
 権力者が、己の施策のために一人一人の市民を コマのように扱い潰してきた。そういうのを何回も繰り返して、その中で市井の市民にも生きる権利が確保できたのに、それすらも奪われようとする。それが嫌だの声は感情論だと言って排除しようとする。
 この流れを認めちゃいけない。俺は認めない。認めたら俺は殺されなきゃならないから。
 「対案はぁぁぁぁ?」という言葉も聞き飽きた。
 完全拒否の案に対案なぞ必要ない。
 対案出したところで聞きやしない。
 こいつらの対話なるものは、自信は一歩も譲らず「お前は黙れ」を迫る一手段にすぎない。
 要は 話し合いにならない。
 そんな「従属の儀式」に つきあう必要は ない。

 下手すると、今年は「もう一つの主題」目を向ける余裕なくなるかもしんない。そんな絶望感、幾度も叩きつけられてきましたが慣れませんね。
 「老人は退散しろ」言い放った子どもに。いくら義務教育年代の要養護者とは言え、自分の放った言葉考えろ。そして、その場にいてその言葉を止められなかった全ての人間―大人だろうが子どもだろうが関係ない―を軽蔑する。「今はそれが当たり前」?なら俺は殺されるしかねえ。
 どうやら2023年は、生きていられるかどうか、それすら試される年になりそうです。では