つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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「ゼロ」にできないから意思を表すし、諦めさせようとする目論みは見えたらへし折る。

 今は拙稿のような意見を出すのに踏ん切りというものが必要で、あまりウケもよろしくないもの。それでも完全に誰も何も言わなくなってしまうと、その意見の存在はゼロになってしまう。

 野球というスポーツもやってきたからわかりますが、抵抗する気力を失って何もしなくなれば、たとえ試合が行われていても負けは決定してしまう。自分自身は弱小プレイヤーで、高校まではチームも強いては言えなかったけども、「試合中に諦める」、それだけは耐えられなかった。その場にいる限りは有らん限りの力をもって抵抗する意思は示してきた。

 そういうクセが、今もまだ残っているわけで。

 Facebookではこの後柔らかめに書いていますが、ブログは厳しめに書きます。

 年を追うごとに『何々を殺していい』という言論が当たり前になって、それに対する反撃にはもれなく『綺麗事だ』という戯れ言がついて。要は「抵抗するのも気に食わねえ」ということですね。

 何でそんなのに俺がつきあってやらなきゃなんない。「お前らの願いなんざ叶う見込みがないざまあみろ」と言いたいがために「現実〜」ぶっているのかもしれないのでしょうが、自分たちの生きていられる幅がどんどんどんどん狭まってるわけでしょ。

 「ざまあみろ」という言葉、いつまで使い続けられるでしょうか。弱った箇所を殴って気持ちよく快感に浸りたい―たとえ自分が損をかぶっても―と。そういうふうな事象があるということは承知を越えて吐き気するくらい認識させられていますが、「そことは違う道」が完全に無くなる前に、社会の傷とその原因に気づいていただければ、と願うものです。