まず確認しておきたいこととして、市民・野党共闘は目的を同じくする人が共闘して行うことであって、嫌なら抜けるのは仕方がない。ただ、自民党支持で「自身の要求が実現されるのか」という疑問は覚えます。
資本家がどうしても持ってしまう癖―利潤第一主義で労働者から利益を奪い取る性格を正す階級闘争運動と、労使協調主義でおこぼれに与ろうというそれぞれの潮流があります。後者が民社党が取った行動ですか。民社党そのものは1990年代の政界再編により、政党としてはなくなりましたが、労使協調主義はひとつの潮流として根付いてしまった。痛覚神経を取り去ったら、ひどいのをひどいと感じられなくなってしまう。
労働の問題に限らずどの問題においても、「自分たちの不都合は我慢して権力者と一体となり、一丸となって対処すれば問題は解決できる」と思ってしまうような社会になったことが不幸と言えないか。
いい加減痛いのは痛い、
苦しいのは苦しい。
そういって怒る社会を取り戻さないと、それを他人が感じ取ることが出来なくなって、結果としてそういう発信はないものとされてしまう。今月中に行われる総選挙は、社会の痛覚神経を取り戻して、ゆるくない状態があればそれを認識し、根っこから問題の解決に持っていける社会を取り戻す闘いです。
腹は立てるものでなくて、据えてかかりましょうか。うろたえるのもみっともないし。嫌だと言うなら仕方がない。気づいた時に戻って来れればいい、と考えましょう。