つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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「1910年の朝鮮支配執行はあくまでも“併合”。植民地化ではない」と言い立てる様に持つ違和感の正体は「いじめ正当化の詭弁」。

 金曜日、盛岡で行われる行事に移動している最中に聴いていたラジオでは「韓国での徴用工裁判」に関する論評が為されていました。その中で解説者氏がじっくり、じっくりと念押しするように述べていたのが「日本は朝鮮を植民地に置いていない。あくまでも朝鮮に求められて併合しただけ」。何かの罪悪感から逃れたいのでしょうか、としか思えません。

 「朝鮮を配下に置いた」行為が植民行為でないととるのは無理でないですかね。征韓論の存在、朝鮮王妃の殺害、朝鮮国内の庶民の反乱(東学党の乱)に対する介入と殲滅。東学党の部分は当時の朝鮮支配層の依頼もあったのでしょうが、朝鮮半島を支配したいという「欲」があったのはたしかで、それを「朝鮮に原因あるんだ」という方向で“空気”をつくって−この場合は「朝鮮からの要求」−為したのが「〜併合」なんでしょうよ。

 もうひとつ。徴用工の問題は1965年の日韓基本条約で解決済みだ、という言い分。これも「いじめ正当化の詭弁」でしかないな、と思うものが。「国家あるいは個人請求権」の部分で話かたりされていますが、それ以前の部分もあるのではないかと。

 まず、戦争後20年経っていたとはいえまだ戦時中の当事者は生きていたこと。

 次に、当時の社会が「市井の市民が発言を自由にできていたか」。80年代までの非民主制状態もそう。日韓条約では金銭も動いていたようですが、それに目がいった当時の権力者が黙らせていた部分もあったのでは。

 大きくは2点あげましたが、国家だったり、社会の同調圧力だったりで「揺るぐない状況を踏みつける」の図が幅を利かせて「詭弁」を基に黙らされるの構図は乗り越えないと、また別なところで牙をむく。今回の件も共産党赤旗以外は「韓国敵視」でモノを見ているのが気にかかります…というか障ります。

 もっと書けば「種族云々以外の人間としての正義」からの視点はないのか、という思いもありますが、そこまで記そうとすると冗長(ここまででも大分冗長ですが)になるので、とりあえずここまで書いた部分で考えの参考になればと願い文を閉じます。お付きあいいただきありがとうございました。

PS 低レベルの駄文?

 「そんなのしか書けない」とわかってこちとら文を書いています。何か意思示したければご自身でどうぞ。