つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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ガザの非人道行為、再び。―かつての共産党首脳部の「防衛は警察行為で」の言葉がよみがえる。

 今晩は。
 今日のロング記事の時間がやって来ました。テーマは…タイトル書いてますがな。この線で記してまいりましょう。

 今日のニュースで一番げんなりきたのがタイトルにも書いた「ガザの空爆」です。感想一言で語れば「そんで解決するのか」。これはひとつガザだけの問題じゃありません。最近は何か問題起きれば「〜勢力の居住区息を空爆しました」。この言い方に麻痺させられているかもしれないので、そんじゃ分かりやすい言い方にしますか。
 「共産党本部が〜起こしそうなので代々木を空爆しました」
 とすれば、先に書いた報道にある現実の馬鹿馬鹿しさがお分かりになろうかと思われます。

 なるほど、爆撃加えて何人か“排除”できるから、いいだろ思われるかもしれませんが、どんなに機器が発達したところであの程度の画像で犯人かどうかもわからんでしょ。一度無人機のカメラから見た爆撃映像見ましたが、人間の認識なんぞする気ねえ、単なる“モノ”にしかみえず、それが木っ端微塵に吹っ飛ぶ様子を見せられましたよ。木っ端微塵よ、木っ端微塵。そこには一人一人の意思も人生も尊厳もねえ、単なる的。
 射つ方の説明では「わざとこうしている。パイロットに負荷をかけさせないためにだ」と言いますがね、射たれる方は負荷どころの話じゃないんだ。終わっちまうんだよ、生きることそのものが!それも知らずに気軽語だんな言いたいですわ。

 今日のツイートでひとつ「お」思ったものがありましたので紹介します。
 塩見卓也さん(@roubenshiomi)のツイート
>『超電磁ロボ コン・バトラーV』@東映chの第47話、将軍ダンゲルが投降してきたのに対し、南原コネクションの多くの者が「こいつのせいで何人死んだか」とリンチを望む中、四ッ谷博士「いくらキャンベル星人でも正しい裁判をするんじゃ」と一喝。この作品のスタッフの心意気を強く感じる回である

 というツイートがありました。ここでひとつ、思い出したのが2001年の“9・11”。あのとき容疑者所属組織に対して、当初は「警察的対応をしてきちんと裁判にかける」方向で話が進みました。この時点でもアメリカはじめとした派遣主義の蛮行が、問題解決の邪魔をしてきた歴史を踏まえると「この方向かって何が良くて何が悪いか。認識と整頓して後続は断つでやればいい」と期待もしました。

 が。

 どこぞのボンボン大統領が“親父の敵討ち”気取りでこの流れ壊してくれまして。あっという間に「容疑者がいるかもしれない所」に空襲かましてくれまして。「ピンポイントだから民間人の犠牲はないですよ」という言葉が白々しく聞こえ、統治機能を壊して破壊しか生まなかった。その残滓が「イスラム国」などになっているのはなんかの皮肉でしょうか。

 そこから更に。
 1960年代の総選挙でしたか。この時、マスコミが面白い事をやりまして。当時国会に出ていた自民党社会党民社党公明党共産党の5党に模擬的に“内閣”を形成してもらい、他党と討論するという番組を行ったことがありました。当然共産党宮本顕治“首相”を押し立てて各党首脳とやりあうシーンが。
 その中で防衛問題でですか、共産党“内閣”が「警察力の対応」という言葉を使いました。正直、私も「?」としか思えませんでしたが、今考えてみれば、ここまで書いてきたこと鑑みて「なるほどな」思うようになりました。これは間違って処分されてなければ実家に本があるので、紹介しようと思います。

 いずれ、安直な空襲路線では、容疑者・容疑団体への必要な対応ができず、憎悪の連鎖だけが続くことになります。当然、警察行為にも危険は伴いますが、雑な対応をしてあとギザギザにして、「イスラム国」みたいなのが台頭してもいいのかな、という思いもあります。いずれ空襲で民間人がなくなっても「カワイソーダケドシカタナイネー」と語る事が大人だという目愚さい人間にはなりたかないね語りましてこの項を終わります。