つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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関東大震災98年、「虐殺の反省」を潰す輩との闘い。【2021総選挙に向けて・序】

 ここしばらく、自分の持っている媒体共通の記事しか書けていない気がしますが、どうかご勘弁ください。

 さて9月1日ですが、関東大震災のあった日、防災の日です。調べものをしている最中に、1964年に起こった新潟地震に突き当たり、その時は新潟で予定されていた国民体育大会が中止になるなど大きな影響がありました。地震大国日本では地域社会生活を脅かすような地震が度々起きており、その中でも破壊的なものとして代表的なのが
 1923年の関東大震災
 1995年の阪神大震災
 そして東日本大震災
 10年経ちましたけども壊されたものの大きさというのをまざまざと感じさせられています。
 そしてもう一つ忘れて欲しくないのが地震そのものなく、地震で困窮状態になったところに人の弱さが現れて害をなす行為」津波でも「津波は二度人を襲う」と言いますが、地震も同じことが言えるのではないでしょうか。
 関東大震災では在日朝鮮人の虐殺が起こり、例年その追悼式が行われてきましたが、ここ数年、追悼行事に妨害が入る事態になっています。
 人数の違いを理由にして虐殺そのものをなかったことにしようとする勢力が、小池百合子知事の力をも利用して、慰霊祭に対抗的な行事をぶつけてくる。昨年は「両者相打ち」という形で慰霊式典そのものを潰しにきましたが、あまりにもひどいやり方のため異議申し立てが起こり、慰霊式典を潰されること自体は避けられました。
 しかし、依然として朝鮮人への虐殺があったことそのものを葬ろうという意思は消えていません。「震災犠牲者と同時に弔われるのだけでもいいじゃないか」という声も意見もありますが、震災とは別なところで起きた犠牲であり、その場、その社会にいる人間の弱さが引き起こしたものですから、きちんと省みる場を置き続ける。そうしなければ、隙を見つけて虐殺を正当化したり、なかったことにしようとする輩がのさばるわけで、それを許してはいけません。
 現に、近年起こった災害でも「再来」起こそうとした勢力はいたわけですから。

 苛政も、ふざけた行為も、10年単位でそれが続けられると調子に乗ってしまうもので、国を壊しかけた大日本帝国時代の反省を元にして作られようとしていた社会は崩されようとしている状態にあります。
 報道によると、菅内閣は10月に総選挙を打つ気でいますが、この数十年進められてきた権威主義・収奪主義社会を打ち返す戦いを着実にして行く。それにつきます。お付き合いいただきありがとうございました。
※“政治戦の臨戦態勢”のため、原則、タイトルに【2021総選挙に向けて】を付記します。

東京五輪などを踏まえ、スポーツとの関わりについて見解申し上げます。

 今日は。スポーツなどに関わる別ブログ記述をやめて1ヶ月近く経ちました。先日の記事で、東京五輪についての見解を書きましたが、そこに至るまでの積み重ねも手伝って、スポーツにが嫌になり、その精神状態のまま人の中にいるのも怖かった、ということで、しばらくブログの記事も書かないでいました。
 一応物音を切り分けて、整理整頓し直してようやくまとまったので以下にその見解を記します。
1)スポーツ全般に関して。
  応援しなければ非国民
  特定の民族・立場は反日
 ―2010年代の五輪・世界的スポーツイベントでは、上記の考えでなければ「許されない」雰囲気が醸し出され、その場所に身を置くのも嫌になり、全日本的なスポーツ界に関しての信頼を完全に失いました。「身近なスポーツ」に関しては、理由を別にして見届け続けようとは思いますが、それを超えた部分はもはや視界に入りません。
2)自分が関わる身近なスポーツについて。
 郷里の岩手・大船渡に対する想いもあり、その部分での関与・応援は続けていこうと。また同じ労働者…働きながら地域にも関わり、家族など身近な人と支え合いながら頑張る身近なスポーツマンは応援する、という想いは残っているので、完全に身を引くことはしません。
3)都合がいいと言われればそれまでですが、応援し続けられるものとそうでないものと切り分けて、応援し続けられるものは頑張れと言い続け、そうでないものに対しては「本来あるべき姿に戻る」までしっかり監視していこう、と考えがまとまりました。以降はこの方向性でスポーツに相対していきます。
 
                2021年8月17日 伊東  勉

戦後76年の8月15日によせて。

 大日本帝国ポツダム宣言を受け入れ、玉音放送でそれが知らしめられたのは76年前。1870年代から絶え間なく他国への侵略を図ってきた覇権主義は、それを維持しようとわずかばかりの“恩恵”と引き換えに、日本国民にも、植民地となった各所人民にも、大きなダメージを与えました。

 広範囲に付き合いの広がったいまの社会。本来共存共栄の方向で営まれなければならないはずですが、ある箇所の牽強主義がきっかけで場の雰囲気を悪くする―そういう事象がいくつも見られるようになりました。

 「紛争事を終わらすためには、どこかで“損と屈辱”を受け入れなければならない」のですが、十重二十重に対立と分断が持ち込まれてややこしくなっているのが実際。人間の脆さをくみつつ、問題解決を図る取り組みの仕方を構築することが必要ではないでしょうか。それを実効あるものにするには、権力者の研鑽と市民からの突き上げが必要か、と考えます。

 いずれにしても、戦争が引き起こす惨状に思いを寄せ、人間の脆さを認識した上で社会に向く。反動・懐古主義者による「帝国復興」の企みを排して、一人一人の市民が良ぐ生きられる社会を築くことで、二度と国をぶっ壊す事態をつくらない、これを任務として頑張ります。

              2021年8月15日 伊東  勉

東京五輪終了にあたっての声明。【2ブログ共通】

 東京2020オリンピックは8月8日に閉幕しました。今回五輪には批判的に対峙してきた者として見解を申し上げます。
一)東京五輪に対し、私は以下の理由で不信感を持っていました。
①五輪推進者により「国粋主義権威主義」に利用される危険性
②商業五輪のスタイルで選手など参加者本意の運営がないがしろにされている実情
3 それを改善していこう、という意思が見えないこと
 開催が決まって以降も経過を見守ってきましたが、上記問題が改善されたとはいえず、その過程の中で起こった新型コロナ感染拡大に対しても「開催有りき」で進められ、居住地域である日本国民の安全は顧みられませんでした。
2)五輪が終わり、日本選手団が最多のメダルを獲得したことをもって「五輪は盛り上がった、成功した」などとうたい、様々な不安から開催に反対した者に対しては「選手の活躍する場を奪う“朝敵”だ」などと攻撃がなされました。批判と中傷を一緒くたにして「批判=選手を誹謗中傷する輩」なる反対派攻撃に至っては鼻白むものがあり、不信感を増幅する因となりました。
3)五輪推進勢力が選手を盾にして、反対の位置にいる人の封じ込めを図っていたことについては厳しい目線を向けていました。それでも「現場」には、広い箇所からの目線を意識しての立ち振舞いを期待しましたが、今大会の選手団・現場サイドには権威主義、排外主義が侵食している様子も見えるようになりました。
 排外主義的な言動を通して応援する人を煽る行為
 必要以上のポジティブさを押し出して疑問的な意見を封じる言動
 近年の五輪の中で公平性が一番疎外された大会環境下にあって、それを良しとして言動を発する者
 「誹謗抽象に対する対応」を名分としての反対者攻撃
 中には意図的でなされたものでなく「結果的にそうなった」ものもありますが、それをも含めて自分の発言が社会にどのように影響を与えるかを考えない発言が目につきました。
 ライバル選手をも尊重すべき、というスポーツマンシップに則ってみた場合、恥ずべきものとしか言えない行為が続出してしまったことに猛省を求めます。
 加えて、これまで「推進勢力」と「現場」を分けて考えてきましたが、この手の行為が続くのであれば、「現場」に対しても厳しい批判を向けざるを得ない、と強く警告します。
4)IOC、JOC、東京都や日本政府含めた実行委員会といった五輪推進勢力は、五輪開催のためと、日本社会にあるソースを当たり前のように奪ってきました。殊に、コロナ感染下における医療リソースの収奪、多くの国から人が集まる「大きな人流」による感染拡大が危惧されていましたがそれを黙殺。対策もおざなりに。
 指摘に耳を傾けるどころか、反対派を敵視し荒ぶる行為の数々は、わずかにでも残っていた「オリンピック・スポーツへの信頼」を完全に失わせるものとなりました。
 「社会の中にスポーツがある」のでなく、「スポーツの世界が特権階級」と認識して立ち振舞いがなされるのなら、やがて衰退の道を辿るでしょう。
5)私は野球、ことに地域の中、社会の中に存在する野球―社会人野球を活動場所とし、スポーツに関わってきました。スポーツと社会の分断が進む、という危険性を持ち、当初に述べた理由で五輪に厳しい態度をとりました。今後も一スポーツ経験者として、スポーツと社会の共存共栄がなされるように努めます。
 
         2021年8月14日 伊東  勉

やまゆり園事件から5年。東京五輪で現れた現象と共に考える。

※7月25日に完成させていましたがアップをしないでいました。遅れてのアップご容赦ください。

 7月26日といえば、神奈川県やまゆり園で大量殺傷事件が起きた日。あれから5年が経ち、この事件から社会が教訓を汲み取ったかと言えばさにあらず。残念ながら、「生産性のないは死ね」という意思がだんだん増しているのが現状です。

 考えすぎ?

 考え過ぎだったら、あれ以降に「透析患者は死ね」とか、社会保障を受ける人への攻撃とか、コロナ禍を利用しての「社会保障受給者の大量処分(オブラートに包んでますが実際はそうだろ)とかいう話は出ないでしょ。こういうことが相次いで、数年前から精神的なスイッチが簡単に落ちるようになっています。ずっと刃物を突きつけられているような感じがして。その過程の中で、人に対する不信感というのも持つようになってしまいました。

 そしてオリンピック。オリンピックはじめ、スポーツの国際試合を見なくなってしまったのは、「スポーツを利用した国粋主義権威主義への服従を求める動き、敵対する者への攻撃」が甚だしくなって、嫌になって。それも不信感に拍車をかけます。

 そして、始まったオリンピックので巻き起こる 不服従者への攻撃。「お前ら反対派がオリンピックを封じ込めようとしたから悪いんだ、報いは受けろ」―コロナ感染やオリンピック推進側の不備、不誠実な行動で疑問を持ち、五輪開催はできないんじゃないの、と理由示してきましたが、先に述べた部分に加え、反対派に対してずけずけと心の中にまで踏み込んで「いいじゃん楽しめよ」「もう無理なんだから応援しろ」などという言葉が飛び交う。そして少しでも容認するような態度を見せれば「おまえは応援するな」という批判と「誰々も応援するようになった、お前も落ちろよ」という同調圧力と。

 オリンピック、ひいてはスポーツという単語を聞くだけで具合が悪くなる。そんでも、このオリンピックには納得できない、してはだめだ、という旗を降ろすことはできない。これで降ろしてしまったら「強力な力の前には服従するしかない」というクセをつけてしまう。強力な力によって生きることさえ奪われてしまったやまゆり園事件と重なってしまうのはその部分。正直しんどい日々が続きますけど、辛抱強く生きていけば活路が見出せるはず、と思いなんとか生きてきます。

 お付き合いいただきありがとうございました。

東京五輪競技開始にあたり。

 東京オリンピックの競技は21日から始まりますが、私にとっては「楽しみ」と言えるものは何もありません。

 社会で生きていかなければならないということを考えて、以下に書く性格は抑えていますが、どうにも「当たり前、という言葉を使った同調圧力」が好きでありません。特に利己的な物事を圧しつけるために、その言葉を使うのが納得できないものがありまして。

 別な箇所からも。オリンピックなど日本代表による国際試合に「過剰な愛国心のかきたてと、一体としての近隣他者への罵声」がついて回るようになり、数年前から楽しんで見たことはありません。

 さらに「オリンピック」を理由としての(医療など)市民生活の不利益おっかぶせ、五輪首脳による尊厳を欠いた行動。以上のことが重なり、私個人としては東京オリンピックについて一切考えないことにしました。気を回す余裕がないのもありますが。

 私自身の感情は以上の通りですが、拙稿目にされた皆様には、賛否を越えて「オリンピックを反対する人が提示した疑問点」も片隅に置いてオリンピック期間を過ごしていただければ、と思います。

東京都議選―「要求実現の推進力」を投票行動に表す意味を考えましょ。

 7月第一週についてのお題3つのうち、東京都議選について触れて来ず、二週間遅れの記述になりました。

1)最推薦勢力の日本共産党が19人の当選。これまで都議選で2回連続で伸長するも、逆襲食うパターンがありましたが、今回はこれまで培った市民・野党共闘の力も加わって共産党19議席当選+協力した勢力も今まで以上の議席を得て、都議会で市民的な立ち位置で臨むという勢力が1/6から1/4と、力を取り戻す結果になりました。

 他の2勢力―自民・公明ブロック、都民ファーストの会ブロックにしても新自由主義的な性格。本当の意味で市民都民が温まる政治をというのを行っていく力をつけたいと思う次第です。

2)選挙の論壇で「ん」と思われたのが「大丈夫論」。批判はカウンターを当てていけばいいわけですが、「大丈夫論」は…端的に言えば「褒め殺し」ですか。だけども、「一票」という実利は持って行く。これはしんどいものです。

 選挙戦の最中に「大丈夫論」であわや全滅の憂き目にあった2019年岩手県議選の経験をひいて警告を出した人もいましたが、それが間に合わず6票差で当選に届かなかった候補者もいたのが残念でした。声をかけ切る、ということが単純だけどどれほど重要なことか。なかなか力を持つことができずに「戦略的思考」にハマる人も多々見られますが、想いを届け切る ことを基本にしてやらないと、その意志を示す勢いがつかないというのを感じさせられました。

3)今年中には総選挙があります。安倍・菅政権による『市民に負担を被せ自分たちは社会の私物化で益を得る』いう政治を変えていく戦いがこれからも必要です。乗り越えなきゃなんないことはありますが、宿題出されたらクリアする、で頑張っていきましょ。

 おつき合いありがとうございました。

声明―名古屋で開催中の「表現の不自由展」に対する攻撃を許さない。

1)名古屋で開催されている「表現の不自由展」会場に爆竹入りの郵便物が送られ炸裂。展示開催不可能に追い込まれました。有形の形で攻撃をする行為で、「たかが爆竹」で済ますことはできない。この行為に強力に抗議する。

2)「表現の不自由展」は、今夏ほかに2ヶ所で開催予定だったが、東京開催は民営のスタジオ会場前で抗議の域を越えた妨害行為が行なわれ、大阪開催も妨害に加え、極右勢力に親和性のある首長に影響され会場利用ができなくなってしまった。

 その中で唯一開催にこぎ着けた名古屋開催でこのような攻撃をされたことは重大で、これを看過するなら「ある勢力は実力を持って存在を消去しても構わない」社会への変貌を許してしまう。

3)近年、濃くさせられてきた対韓国、対中国、対野党・左翼に対する「反日」視。この立ち位置にいれば“ウケる”と考える権力者、あるいは誘引する権力者によるすり寄りと併せて「攻撃しても構わない」障壁は限りなく低くなっている。

 これを考慮すれば、障壁突破されたらどんな惨劇が起こるか。

 「人間の脆さ」を認識するなら、無条件にこのテロを許さず、その方向で権力者に対応させることが必要であることを述べ、意思を表明します。。

            伊東  勉

母の一周忌と周りの人間模様、そして見習いたいこと。【7月第一週日和・1 3媒体共通記事】

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 7月5日にかかる行事は、私のプライベート、社会人野球、社会活動…何れにしても大事で、重要なものでした。それぞれを中途半端に書くわけにいかないので、母の一周忌→社会人野球→社会活動と順次記していきます。「一周忌」については3媒体共通、社会人野球「三陸沿岸クラブ大会」と社会活動「東京都議選」はそれぞれのブログで今週中に記します。


1)7月5日は母が旅立ってから1年の日。それに関して直接思いつくことは1年前に書き切ったので加えるものはありません。改めて、「してやれることは十分にして送り出した」と思っています。
 それでも悔いがあるとすれば、一般的な同年代のように生きて、心配事をも全くなく送り出したかったのですが…それが無理なのは兄も含めた家族内での共通認識。そうであるなら、せっかくこの世に受けた生を正々堂々と全うすることが俺の人生の役割、と強がり言って生きていくことにしています。
2)この1年間で、栃木の親戚、中学の同級生、気のいい農業従事者、厳しくも茶目っ気あったおじさん…など、周りの人も何人かなくなられました。今日新聞の集金で伺った家でも、読者の方のご子息が急逝。伺った際にお悔やみを申し上げ、なんぼか話をしましたが「順番から行けば俺だよ。なんで息子の方が…」、と悔しそうに話しておられました。配達する時に時々話できるようになったなと思ったら突然の別れ。そのご家族の方の悔しさ、いかばかりでしょうか。
 人生時々そういう不条理に出くわして、何度その不条理に対してわけのわからない怒りがこみ上げて壁を叩いてきたか。そして、10年前、12年前に自分がいなくなっていたら、そういう悔しさを母や兄、父(12年前のみ)に味あわせてしまったんだなって事を考えると、「いなくならなくてよかった」と思います。
3)MLBでオールスター出場決めた菊池雄星さん。菊池さんのお父さんは「普段は鷹揚に接するけど、命に関わる重要な時には毅然とした態度をとっていた」という話を聞きました。菊池さんのお父さんと同列で語るのもおこがましいのですが、母は「普段はのほほんとしているが“一歩も引けない”ときは厳しい態度を取る」人でした。言い換えれば、最低限のラインでは「バカ力」出す人だった。出来の悪い息子ではありましたが、その重要な部分云々でこらえられるようにこれからも頑張って生きていきます。

PS1 いつも家族親戚筋で多人数移動する時は兄貴が運転しますが、今回は体力温存ということで私が運転。まあなんとか無事に送り迎えできたことに安堵しています。
PS2 熱海の土砂災害。夏を前後して強力な天気変動で、多大なダメージを受ける状態が増えました。難儀する人を少なくできるように…と動きます。