反動右翼的な施策推進の中心的位置にいたのは安倍晋三氏ですが、市民から利を収奪し、それを“オトモダチ”富裕層に回す施策は、自民党が持つ根底的な性格。権力にいる「旨み」が執着性に結んだ場合、「支持をもらいたい勢力」の歓心を買おうと、これまでが助走と思われるようなことをしかねません。
加えて、維新含めて現権力にいる勢力がここ1年行ってきたのは「自維公に従わない勢力の完全な無効化」。あるキーワードを聞くだけで無条件に憎悪がわき出るような感覚を作り上げようとしてきた。根幹的に考えの違う勢力の場合、対抗勢力の否定すべき点の指摘=批判が必須ですが、その批判そのものを否定してしまった。わざわざご丁寧に「野党の批判は〜〜」、と。
安倍晋三氏らの勢力がしようとする施策は市民からの収奪を伴うから本来ネガティブにしか見られないはずですが、それを受け入れさせるためには「自分以外の存在を敵と思わせる」。10年もこういうやり方で社会を進ませてしまったから、もはや中毒の域にまで達してしまいました。
何をしようが「取り巻きが反対者を壊してくれる」から、と分断くそ食らえの政治やれば、いずれ破綻を来す。それが「暴力の頻発」か「ひとつの考え以外が存在しなくなる」かわかりませんが。
あとで理屈は書きますが、安倍氏の国葬に私は賛同しません。法律的に述べる方もいますが、私は「この国葬が踏み絵になり、従わない人を危険にさらす道具になる」のを危惧します。色々覚悟決めなければならないことができてしまいました。それが実現ならないように。
おつきあいいただきありがとうございました。