マスコミ報道だけではありませんが、物事の評価の仕方では「行動のみを基に評価する」のが肝心と考えています。それは社会活動に参画して間もない頃に身につけたもので、一種の柱になっています。
しかし他の行動があまりに酷く、単発的に方向性の違う記事が出されても疑いしかかけられない事案もあります。産経新聞が過日「独占」として出した無戸籍者親子の一件がそれです。
普段は国家にひざまつけ、それを妨害する存在はデマカセ咬ましてでもぶっ叩く、貧困問題でも10数年前の派遣村報道で妨害記事を書いた産経が、それよりモラル退化した現状で「無戸籍者」を取り上げたのは、厳しい現状を知らしめるためではなく、「無戸籍者は“あちら側”だ」としてぶっ叩かせる犬笛でしかないのでは、としか思いません。
案の定、無戸籍に至った状況を考慮しない“右でも左でもない”“普通の日本人”様が当該者をなぶる記述をしていました。「無戸籍になるのがおかしい」と。当たり前の多数者は気楽でいいですね。社会にある間隙に陥った方に「当たり前の〜」「普通の〜」と言ってツバ吐きかけることができるから。
産経新聞が出した、ということはこういう意図でしかない。在日外国籍者を日本海に投げ棄てろと語る連中は、無戸籍者をどこに投げ棄てる気ですかね。現れたら現状をどう変えていくか…少なくともこーいう輩の玩具にはさせない、玩具にする■■は潰す―人間が持ってしまう悪意があるにせよ―ことで、生きられる幅を増やせればと考えます。