つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

「3・11」9年と「特措法」。強大な力に諦めさせない抵抗力を。

 3・11から9年になります。
 自然が呼び込んだ巨大な力はそれまでの“当たり前”を打ち壊し、多くのものを奪っていったことは、今さら私が語るまでもありません。ただ、反収奪主義で生きている私なりに思うことがあるのもその通りなので、そこら辺からるる述べていきます。
 11日の早朝に聴いたラジオ番組で、二つの発言が耳に止まりまして。ひとつは「コビット19でWHOがパンデミックを宣言しないのは、出すことによって『対策を諦める国が続出する』から」という見解。もうひとつは安倍政権に着く高橋洋一なる者による「他の番組では『復興は道なかば』などと言うが〜」という言い方での批判者批判。
 この2つに共通して見えたのが「強大な力を見せつけられることによる麻痺の招来」。片方は「パンデミックという言葉による諦め」、もう片方は日本社会の権力者を後ろ楯にした者による異議申立者への抑圧・封じ込め。いやはや「強大な力にはひれ伏せよ」というメッセージがうざい。なんだってそんなのに降服させられなければなんないのか。ふざけんなっていう怒りしかわきません。
 (ここまで3月11日記述)
 11日に記したことで、特に後者の「批判者批判」の部分が色濃く出たのが、“緊急事態宣言”入れた特措法の成立。法の成立もさることながら、その過程で権力者による恣意的な運用と歯止めの無さに不安を覚えましたが、そういう不安は「非常時に安倍政権批判をするな」で耳を塞がれてしまいました。
 いまは別の法案を審議していても「非常時に批判するな」といわれますが…なんですか。「“非常時”と銘打てばどんなふざけたことも受け入れなければならないのか」。という批判しかありません。少なくない国で「非常事態」を名目に専制政治が行われ、その下で権力者に従わない、従えない者は棄てられてきた歴史もあります。ましてや政権に再び就いてから日本社会を私物化して恥じない人が今の権力者。気違いに刃物という言葉がなんの被せもなく使われている意味を賛成者には知っていただきたいものです。
 暖かくなったかと思えば、寒の戻りもあったりします。皆様お身体お気をつけてお過ごしください。おつきあいありがとうございました。