いつもいつも長たらしいタイトルで、グルグル検索やらやほお検索に全文が引っかからないという、ウェブの基礎吹っ飛ばしている私。最近はひとまずタイトル32文字で一段落つけて…で記述しています。
一年前にTwitterアカウントを止められてから、タイトルで大まかな主張、あとは記事内で補筆する形で書くことを基本にしていますが、今回の記述は「統一名簿」論にある間隙をひとつ。この論の推進者は「ひとつになることで無駄をなくし、安倍政権を倒す意思を表す」と述べていますが、でかい穴が2つ開いていることに目が行っていません。
1)コロコロ名前が変わることによる認知度の低下…共産党や、自民、公明の強みは「定着している政党名」。善かれ悪しかれ覚えられているというのは大きな強みで、それがゆえに政党が名前を変えるというのは、それでやっていけない大失策を起こしたか、単なる人気取りの浅い考えに基づく行為。共産党に関して党名の変更求める声は根強くありますが「他人のアイディンティティに手を突っ込むな」と強く警告します。
もうひとつ。
統一名簿唱える方は「比例の票掘り起こし狙いの候補は立てるな」といい、たとえば共産党対しては「候補を5人に押さえろ」等と言い放ちます。共産党自身が比例必勝候補を7人にしているにも関わらず。6年前の選挙でもこの連に連なる方々は「共産党の比例は3人だけ当選すればいい(必勝〜5人)」という態度をとっています。一々に気の障ることを言わなければ気が済みませんか?
あ、横道行きました。何言いたいかいうと、
2)「候補者を少なくすると、その分活動量は減る」。
間違いなく。活動量減ると、これまで声が行き届いていた人にも届かなくなる。そのための手段が減ってしまう―ということを甘く見ないでください。共産党が衆院選、1都道府県内で最低一人の擁立にこだわったのは「一人も立たなければ政見放送などの宣伝方法を失い、認知されなくなる」から。
ひとつの塊いうのは勝手にすればいいですが、こういう実情も抜きに無邪気に「野党はひとつ」なんて言ってほしくない。最近立憲支持者の一部で他野党を召使いのように扱う方もいますが、それが共産党なり社民党支持者にどう刺さるか考えてから言い放ってくださるようによろしくお願い申し上げます。
今日は1000文字バージョンでお伝えしました。季節がわりの天候の変動が激しいのでみなさまお気をつけてお過ごしください。おつきあいいただきありがとうございました。