お晩でございます。タイムライン、しばらくお付き合いください。
▽明日は1月17日、阪神大震災が起きてから23年になります。6000人以上が犠牲。それまでの街並み、生活を一気に壊された衝撃は忘れられません。とはいえ、風化もまた、進んでいます。残酷な話ですが。
去年あたりですか。震災被害者に対しての立ち退きを求める裁判の話が聞かされるようになりました。「災害からウン年経てば自立してくれるだろう」、という思い込みの重なった「自己責任論」がここでも巾利かす、と。年数経つにつれ自立が維持できない状態にもなることは考えなかったのでしょうか。
震災関係の議会質疑、または議論聞いていて…ちょくちょく聞こえてくるのが「いつまで支援していればいいの」。公の場ではオブラートに包みますが、市井の場では明け透けに語られることもあります。
しかし、考えていただきたい。
生存に必要な足掛を全部壊されてホイホイ回復利くか?阪神〜では「外殻」は仕上げましたが、肝心の市民生活に対する目線が薄かった。その反省から以降の震災では意識されるようになってきました。自然現象の起伏激しい日本だから、対策対応は進んだ面もありますが「社会発展の歪み」を見ないで利益だけ求める風潮が備えを軽んじさせています。
そして、備えだけでない。そもそも復興自体が為されてますか?とも。杓子定規に自己責任論こじらせての「〜年経った出ていけ」なんてのは起きる方が恥ずかしい。見ていれば「今後仕事などで稼げるかどうか」わかるでしょ。「至った状況に適した対応をしていく」のが復興対応に必要ですがこの件は×。細々とした部分で見れば、「非常事態の時にどうしたらいいか」というのは模索されています。しかし政治が、それを真に助けられるものになっているか。世界的イベントだなんだとうつつ抜かして、実際まだ残っているゆるくなさを「終わったこと」にさせようとするのは到底是認できません。
ゆるくなさを「ゆるくない」と可視化し、しかとした対応ができるように―そういう行動が、私が震災直後に危惧していた「お金持ち・富裕層のみが潤う復興」を許さない力になりました。阪神、東日本後も熊本の地震、主に九州、中国の風水害が起き、北海道のそれは食料事情も狂わせています。
11年4月。大震災後はじめて大船渡・陸前高田に入ったときの光景はいまも忘れられません。それは23年前に見た神戸の状況も同じ。どっちも目の当たりにしたものを忘れず、「ゆるぐなさ」取り払えるように歩み続けます。最後駆け足になりましたがお付き合いいただきありがとうございました。
おまけ)スリーエフがローソンと、か。東京あたりに行かないと目にすることなかった店ですが、CMは印象深かったですね。「あなたのコンビニスリーエフ♪」って。「benitoh96の服はスリーエル…では入らない♪」放っとけ笑