今日は、伊東です。
11月3日、文化の日…そして、日本国憲法公布から71年の日です。国会前では安倍政権による憲法破壊の政治を許さず、基本的人権など労働者・生活者など個々人が守られる政治を作ろう、という集まりが催されました。総選挙後、「世の人にどう接するか」を大雑把なテーマとして侃々諤々SNSでも議論がなされていました。申し訳ない話、環境含めて「今の世間一般」からははるかに遠い位置にいる人間。変に背伸びしても仕方がないので「布石になればいい」で書いときます。
私の目から見て「ここどうにかすればな」の一番は、いろんな意味での「敷居の高さ」。学校教育の過程がどうにも、という現状で、充分に近代社会の歴史を学べていない状況があり、それを学んだ者とのギャップはあります。これは、学んでいない人が悪いのでなく、歴史、公民等々教育の過程が教える内容もでたらめなら、その形成過程も20年前の時点ででたらめで、それが改善された、という話は聞きません。更には別回路による誤誘導「ネットが真実」も。
それらを加味して「優しく教えてください(野党統一・木戸口英司議員)」というのが実情なんですね。そこら辺は頭いい人たち、意欲的に行動されている方たちの議論の進行に期待します。
同時平行でしなければならないのが「収奪主義者の攻撃」対応。よく野党は「文句や批判が多い」言われますが、どんな行動にも批判につながる欠点は出るし、多数者が大手を振るっている最中にその欠点を露にし、問題提起するにはある程度強いやり方が必要です。「多数の側にいないのは黙れよ」言われがちな社会では障るかもしれませんが。
生活保護受給者については、長年問題提起をしているみわよしこさんによる「物的支援」に関する記事に考えさせられるものが。「不要物をあてがう」屈辱性にくわえ、保護受給にも支障を来す(物的支援の収入認定による影響)実情が。
「大体的な支援」をうたって、中身に偽りあり、の実例は「学費偽無償化」でも。選挙後に「在学中は無償化(卒業後は払え)」では「そうじゃない違うだろ」としか感想がありません。これでは今まであった「教育ローン」と変わらないだろ。包み紙変えりゃいいわけじゃない。
吐き気催す事象はまだあり、「正社員と派遣社員の身分社会化」と、それを正当化している言説。正直「何そこまで身分社会つくっている側に肩入れできるの?」という擁護論には付き合うのも疲れます。「仕方がないですねハハハ」で済ますな。
様々な不条理被せられていても「それがひどい状態だと知らなかった」と。労組と共に救出に至った人からこの言葉が出ることも多いです。
そういう「知らない」に突け込んで労働者の健康と時間を収奪して儲けを貪るのを正当化してはわんない。憲法の改悪は9条も25条も合わせて「大きな“共同体”のために市民労働者はその生け贄になれ」というもの。市民労働者を守ってきた憲法を憎悪する輩は、その醜い意図を隠すために言憲法の悪口を必死に言い募ります。「壊せばこっちのもの」とばかりに。
そのためにしなければならないことは山ほどありすぎて、果たしてこのたたかいに耐えきれるか不安ですが、何とか「離脱」はせずに食らいついていきます。