つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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相容れないモノとの止めどころない“対話”に…。単に傷つけたいなら付き合いたくない。

 今晩は。

 最近、図に乗った方の「訪問」が相次ぎ、様々言葉置いていってくださっています。

 9年前に自殺“成就”させてしまえばあんな輩に好き勝手言われずにすみましたかね(怒)。下手に死なないで後遺症を残したから「生き恥」さらすことになった。自殺を思いとどまった時にネジをネジきって「パキン」となる感覚におそわれた。精神の制御が効かず、心臓も病んだから、いまや一般人の生活ができない。負荷を最小限にして、ようやく「生きていられる状況」維持できている、というのが私の状態。

 そんな身になったからこそ「非一般的人間は死ね」という類いの事象に従いたくなく、反論し難い(しづらい)人の分までも、と警告を発しています。これはひとりぼっちになろうがやめない。この方面では孤独になるのをおそれていられない。

 「無能、低脳が多数者様に逆らうな」

 今年に入ってから、上記認識に基づいた言葉をどれだけ投げつけられたか。今年に入ってから頻度は間違いなく高くなった。それでもね。異議をとなえるために…「錆びた刀」しか持ってなくても、ガンガンそれを叩きつけなければならない局面、てのはある。錆びた刀をガンガンに叩きつけ、それが折れて刃面が残っていればそれを叩きつけ、刃が短くなっても、そのとがった部分をもとに刻み付ける。それもできなくなっても柄を握って殴り付ける

 ―表し方は各々ですがそれぐらいの執念を持たないとやっていられない部分はあります。

◇大体、どこかで拾ってきた「僕だけが知っている(ガセ)情報」を基に話されても困りますがね。憲法だって最初は反対したがその後の政治の進行の中で護憲派になったべし、原子力もそんなような経過あったのと違います?「昔原発賛成していた」なるものも、原子力の研究自体はするでしょうし、エネルギーが賄えるとなれば目も行くでしょ?だども「危険性しか認識できない」となれば反対にも回るわ。長くやっていれば変遷も模索もあるわ。私はそこまで潔癖求めないよ。

 だけども、反共の目線から石を投げつけることしか考えられない人が議論を名目にした難詰をかます。話をしても「スタート地点」に引き戻す。平行線になって話がつながらなければ、議論を終了さすべきところをくどくどと長引かせる…そこまで来ればもはや話し合いの対象にはなり得ません。

 大体、夢想的な話を延々と話するような輩、誰も付き合わないの。誰も答えないし相手しない、それが普通。私は「気狂い」の部分あるから相手をしてしまいますが。意見開陳にとどまらず誰かに見ていただきたければやりようもあるはず。そうしない以上は「そんなもの」でしょう。絶対的に受け入れられないのわかっていてなぜいくつもいくつも絡むか。

 

何千かに一人「理解者(話を聞いてくれる人)」を発見

 ↓

「自分の側」に引き込む

 ↓

その人を利用「こいつは賛同しているお前はどうだ」

 

 てな具合に。

 これはああいう輩だけでなく「暴力的ヘイト勢力」も使いますからね。対処は頭いたいです。何ぼ言っても「巻き戻す」から議論進まないし。都合のいい「俺ルール」を持ち出して、それに対処できなければ「俺の勝ち」とわめく。あるいは団体の構成員に対してその団体を攻撃させるような態度をとらせる。

 どっちにしても自分は傷つかず、対象を攻撃できる。

 いつも思うが「仇敵打倒」以外になにか満たされるものありますかね…

 「そういう輩」対応の記述で対応することもありますが、そのときの文は汚いです、自分で見ていても。ツイート見ているのは二人だけではないのは悩ましいところです。

 以上愚痴混じりになりましたが考えのひとつとしてとらえていただければと思います。

◇ふと。五輪のためにあちこち壊す真似しでかしますね。

何もな、立派なものこさえなくても

どこかの市民グラウンド数ヵ所に別れて競技するとか

水泳にしても「市民大会」開催レベルの会場でやるとか

野球を奥多摩町グラウンドでするとか

方法あんべや、と思います。

肥大化も過ぎすぎて、スポーツ自体壊しそうだ。