生活保護の改善を求める「命のとりで」裁判。去年までは苦戦が続いていましたが、今年に入ってからは原告勝訴が続いています。“不良事例”あげて生活保護受給者に対する攻撃を醸成し、実際の制度設計の際にでたらめなデータを基に不利に持っていくように仕向けた安倍政権の作為こそ一番に問われるべきではないでしょうか。
ですが、最近の言論状況では別な方向に力学が働いている状況にあります。「ナマポ受給者ごときが国と日本に逆らうな」、という。「ナマポなんざ現物支給という名のエサだけ与えとけばいい嫌なら死ね」とも。生活水準が平均して低くなり、ボーダーラインにいる人が多くなっている状況なのは認識しても、飲み込めないものはありますね。
裁判闘争そのものに対しても“批判”が。てっとり早いので言えば「裁判するヒマあったら働け」とか。逐条的に語ればキリがないくらいありますが、この批判は所詮「ナマポは黙って踏まれ死ね」でしかありません。広く理解してその上で運動をする―というのが多数者獲得踏まえての変革なのでしょうが、その「多数」にいる側が敵意しか向けないのなら、その敵意ははね退ける。「なんで意義申し立てをしているのか」を嫌でも知ってもらう、ということで厳しい行動に出ざるを得ません。
ヤフコメ等SNSではこれでもか、と裁判闘争と生保受給者に対する憎悪が投げつけられています。ご自身も“ゆるくない”状況か知りませんが、向ける矛先を間違えているとしか思わないです。生活保護基準の悪化は、その他社会保障制度の適用ばかりか、最低賃金など労働者の待遇にも影響します。「ナマポ許さない」で、己の足元崩していることも認識した上で、どう考えるか。ご考慮を願うものです。