つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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3媒体共通―ある漫画が思い起こしてくれたもの。「アイシールド21」と「“もがく”という行為」

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 その昔、週刊少年ジャンプで「アイシールド21(原作:稲垣理一郎氏、作画:村田雄介氏)」というアメフト漫画がありました。アメフトを分かりやすく伝えるだけでなく、最初は3人しかいなかった部員が「悪魔的策略家QB」と「パシリが生んだ高速のRB」を中心にライバルに立ち向かう情熱的な作品でした。

 主人公の小早川セナは「気弱な性格だけどもここぞで折れない」メンタリティを持つランニングバック。作中、関東大会で“極悪性格と至高の資質”を持った金剛阿含とのマッチアップ。前半で阿含のチームが大差をつけ「お前らカスどもの夢は終わりだ」と吐き捨てる阿含。それまでセナが持たなかった「獰猛な攻撃性」を仲間を守るために習得、自らの非力を省みず発揮した場面が印象に残っています。
 作画の村田雄介さんは「ワンパンマン」にも関わっていますが、同作にも「極悪な敵」に「月並みな人間の力しかもたない」無免ライダーが立ち向かう場面がありましたが、この二つのシーン、なぜか強く同調して心に残っています。

 関連する自分自身の話。高校までは在籍していた野球チームは強くはなく、社会人では運が良く県大会/カテゴリ別東北優勝というチームの一員の末席にいることもできましたが、次年に全国大会制覇を成し遂げるなど上位チームと対峙することも。そういう経緯から「勝負の世界」を描いたこの作品には思うところがあります。特に「秀でた能力を持たない人間が挑み続ける意味」という部分で。

 感想ですか。一言で言えば「“ある言葉”を言うために彼らキャラクターは帰ってきてくれたのか」。
 再び作品から離れますが…自分、ある議論についていけない部分があるんですね。安楽死推進者の主流に「他殺願望」を持つ者が…例えば障害者の存在を「生産性がない どうせこの世で苦労するなら“存在しない”方が楽だろ」などと言い立てる者がいる。

 それは違うだろ。

 どういう状態にあっても世の中に存在し力になっていることもあり、その想いを基に「生きていくための手立て」というのも作られてきた。その“発展”がなければ俺は小学校にすら入れませんでしたよ。
 壁の分厚さにぶちのめされてうつむきたくなる 部分もありますが、それでも模索し続ける自分ではあり続けたい。そういう思いであっちもこっちも(社会人野球 社会活動)約30年、その場に立ち続けてきました。「ゆるぐねば“あがけ”」と考えられるだけでも幸せなのかなと思っています。

 もがき続けるという言葉

 俺にはちょうどいいや。

 それを思い出せた時でした。

 いつにもましての長文でしたが、おつきあいいただきありがとうございました。

 

朝鮮人慰霊碑の撤去許すな/“殺すな”キーワードに/障害者の存在

 短報、いくつか。

①群馬の森朝鮮人慰霊碑の撤去強行、中身について文句の言い様がないから「運用」に難癖つけて撤去に持っていきましたか。この撤去に持っていかせたのが「そよ風」。関東大震災朝鮮人虐殺をなかったことにしようとしている勢力です。「日本社会が治さなければならない」物事を治させない勢力の意のままにさせてたまるか、です。

②様々なことが起きて、能登北陸地震も、パレスチナでの虐殺案件も“後景”にしてしまったりしています。年の変わり端、東京のラーメン店「どうげんぼうず」店主が「(趣旨)何があろうが“殺すな”を示す」と呼びかけていたんですね。それに応じようと思ったらあの地震が起きて、思いは抱き続けてはいても実行ができずにいました。

 最近、「安楽死」議論でも「他殺願望の強い者に主導権を握らせるな」という意見も出てくるようになりました。“殺すな”の意思表示、諦めずに続けていきます。

③その視点から不安視しているのが「重度障害者による出産」の議論。どうも障害者排斥の方向で動いているのが気がかりです。障害者と社会の関わりについては「過保護じゃないか」の方面で語られることがありますが、どっちか言えば放置気味&障害者だからと特別扱いの少なかったつきあいしていた自分にとってはどう書いたら良いか、書きあぐねている部分があります。ピント合えばなにか。

〆)「ある存在にとっては居心地いい浮き輪の存在でいたい」と思って記字を書いていますが、筆が追いつきません。家事やら風邪やらで難儀してますが何とか生きています。皆さんもお身体気をつけてお過ごしください。

 おつきあいいただきありがとうございました。

炎上商法>モラル、か。真面目に模索する。

 悪口を語る際、直接的な言葉を使わず、何かクッションおいて語る行為を「オブラートに包む」という言い方をしますが、先日、それを「ビブラート」と述べた方がいました。

 言い間違いはよくあること…と一昔前では思えたのでしょうが、いまは「炎上商法」+「敵対者を煽り、自己への攻撃を招く」→「自己への敵対者のあぶり出し」に使われている面がある、と見ています。もっとぶっちゃけ言えば「敵対者をおちょくり倒す道具」。

 対応、どうするのが適切なんでしょうかね。何をしても悪意もってすれば「押し通せる」。ならば直接の対峙は置いて、それがどれだけ道理ないものかを示す…のがいいのでしょう。

 正直、簡単に正解出しにくい問題です。まして力の傾斜も働いているから。野間易道氏は「社会に真面目さを取り戻せ」語っていましたが、これか、と。含めて模索し続けましょ。

馳石川県知事の発言に対する疑問にも「デマ」攻撃。疑問には答えればいいのみ&これまでの苛政が生んだ疑問を黙らせるな。

 少し前に岸田首相の2次避難に関する説明不足に対する批判をデマ攻撃だとされましたね。

 馳浩石川県知事も先頃「3月半ばまでに二次避難所から移動してもらう」と発言。体制整います?と疑問の声も出ますが、それすら反・反権力の方々からデマ攻撃だと詰られることに。

 「部分しか捉えないやつが悪い。深く探ればぁ」などと言われますが、それをいつでも誰でもできるわけじゃないわけで。ましてや「情報受けとる能力や環境に巾がある」状況下であまねく情報を知ってほしいのなら補完説明しとけばいいじゃないの。

 もう1つ。

 出された疑問に対しては答えればいいだけなのに、批判を封じ込めたいがために「批判をデマとして処理」して、批判を出させないようにしている。

 そのやり口の方が悪質じゃないでしょうか。

 さらに。なんで批判が吹き出るか言えば、特に自民党を中心とした権力者が国家主義全体主義を重視しすぎて、こぼれ落ちる市民を切り捨ててきた実績があるから。そんなもので危険性が見えたら警告を発しているわけで、防がれる言われはないですね。

 批判することそのものを嫌がる空気が強いというのはこの10年感じています。少し前の組織内議論では「批判が持つストレスに耐えきれない」てな声も。そういう事実はとらえたうえで、「黙らせよう」という圧力には怯まずに、おかしいと思ったことはおかしいと言い続ける存在であり続けます。

 何と言われようが。

現場を盾に責任持つべき者の免罪を要求する語り口を「英霊論法(話法)」と呼びましょうか。

 まぬけな話ですが風邪をぶり返してしまい、現在治療に大わらわ。用事の穴を空けたことを申し訳なく思っています。

 それでも一刻も早く進めなきゃならないものもあったりして、何を最初にするか天秤がどうにも…悩みです。

 SNSを見ていたら「英霊論法(話法)」という言葉が目につきました。要は『現場を盾にして権力者への批判を抑える』手法、ということですか。 これはなるほどな、と思いました。

 英霊―大日本帝国が起こした戦争の犠牲者を指す言葉ですが、そこに立たされた人は少なからず「己の居場所」を守りたいという思いでいたのでしょうが、大日本帝国のうん十年にわたる侵略政策の犠牲にさせられた方でもあります。本来、大日本帝国政府のやり方に非難が当てられるべきものですが、それを現場の“英霊”を盾にその批判が許されず、引きずられているのが実際。

 先の能登北陸地震でも、岸田政権・政府の初動にはてなマークがついた部分もありましたが、その批判を現地で活動している「警察や自衛隊の皆さんに申し訳ないと思わないのか(※この両者のみ、である部分に注意)」という論法で封じようとする空気に気持ち悪さを覚えます。

 いまは極々一部でしか語られない「英霊論法(話法)」ですか。権力支持層が“現場”を逃走路の整備に使わせないためにも必要な指摘の言葉として使われることを望みます。

 併せて権力者に対する批判そのものを封じ込めようという空気の強まりには警戒が必要です。金曜日から国会が始まりました。どういう審議がされるのか注目して意思を発し続けます。

 おつきあいいただきましてありがとうございました。

メモ・なぜ自分が「資産形成」を嫌悪するか。

 端的に言えば「資産形成しなければ生きていけない社会」になっていることがおかしい。

 資産形成せんでもマシに生きていられる社会なら、資産形成していてうまくいっている人はよりマシでいられるわけでしょ。

 預け先によってはプラスにもマイナスにもなる資産形成に頼らなければ生きていけない社会というのは「多くのひとを振り落とす仕組みにしかなっていない」。

 何に対応すればプラスになるか、を考えられる条件が多数の労働者に存在すると思えているのがおめでたい。普通に仕事して生きていけるだけでも大変です。

 集める金を多くしたいがために気に障る表現してまで資産形成呼びかける輩もいますが、「私は貴様の肥やしじゃねえよ」とだけ述べておきます。

 NISAのコマーシャルがウザイくらい流れているので、カウンターあてました。こーいう意思があるという参考に袋叩きにしてください。

生存権すら収奪する現在の富裕層・多数者の言動に。

 ここ数日、体調維持が精一杯でした。不覚にも鼻づまりの放置を風邪に結びつけてしまい、最悪からは抜けましたがダメージは残ったままです。みなさんも気をつけてください。

 さて。最近ニュースで「救急車の有償化」の話。だいぶ前から話としては上がっていましたが、ついにそれが制度化されようと。今回は松阪市の話ですが、「成功体験」が広がったら、と考えると怖いですね。

 そして、案の定出てきてるのが「7700円払うのにビビって救急車呼べないようなやつはとっとと死ね」という言葉。2020年代に入ってから「何々の条件に当てはまらなければ死ね」という言葉、簡単に使われるようになっている。直接の言葉を使わず、婉曲した表現にして。

 どの形にしても「不愉快なものは“死ね”」と簡単に言える神経にピリピリくるものはあります。能登北陸震災で障害者の避難対応に関しての記事がいくつか出ていますが、そこにも「障害者が生きていられるような社会が悪い」「さっさと自決すべきだ」的な意見がずらずらと並んでいた。言い放つ本人が気づいていないかもしれませんが、危ういですよ。

 こういう空気が、富裕層による富の収奪と同時に覩強められているところに視点を向ける人は果たしてどれ程いるでしょう。市井の民に回す富を絞り、社会の発展で得られるはずの豊かさを得ることなく殺されることを受け入れたくはないですね。

 憲法25条・生存権ですか。改憲許さしたくない理由がここにも、です。~~であれば殺していい、にはさせない。踏ん張ります。

「黙って殴られっぱなし」は殴る側の専横を増長させるが、他の考慮も。

 私は元々がいじめられる側にいる方も多くありました。そこで得た経験というのは、「波風立たずに黙って殴られればことは収まる…なんてことはあり得ない」。耐えられない物事があればかみつく。かみついて「耐えられない」言わなければ解決に向けた一歩目も踏み出せないと考えます。

 もうひとつ。これを述べると「“反対側”だって“押さえつけられていた”のだからガツガツやっていいよな」が来るのですが、双方が各々の言い分交わせるのなら、次にとる手段は「争う」も「調整する」も両方ありうることです。どっちを選ぶかは状況それぞれで。

 ささくれだっていたり、長年の被攻撃の影響もあったりしてとがった行動をしやすくなっていますが、ゼロイチ思考でなくグラデーションあるのが人間社会。人間の弱さも加味して、相対できればと考えます。

胸くそ悪い行為をしてまで意を通したいか。加熱しすぎる前に。

 昼にアップした出来事ですが…今後もこの調子で“正常化”とやらを進める気ですかね。周りが思う以上に「統一した行動を実行するためにとられる手間」はかかりますし、残念ながらそれに至らずお別れになることもあったりします。「世の中」に気を遣うこともありましょう。

 問題点見つけてどうにかしたいという意は抱えるものでしょうが、“左”右問わず共産党の存在を潰したい/都合よく使いたいと思う者もいるし、不破哲三さんが責任ある箇所から退き、執行部の陣容も変わったいまを狙って「壊しに来る」いい機会だ、と考えるものもいるでしょう。

 共産党がなくなったら、自民党から派生した組織以外の勢力が政治の世界に存在しなくなる。日本社会の“思考回路”の幅がそれだけ狭くなる、ということは考慮いただきたく願います。

警告 虚偽の事実をもって貶めようとする言動に。

 ハレーションも度が過ぎると…。ありもしない「行事」を仕立てあげ、「行事は“ハレーション”のために中止になった」→「だからダメだ」、と論立てる。

 意を通すためにはなりふり構わず、ですか。もはや、「破壊行動」の域に達している。

 これが「望む道」への一歩目、なんですか。度が過ぎる行為には厳格な対応を余儀なくされます。