つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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わかっていても許せない。ヘイト集団の見殺し行為。

 あちこちで愚連隊よろしく特定の民族などに憎悪かきたてる愚行やらかしています。その大多数は味方すら蹴りとばす■■■■なのは承知ですが、それでも限度はある。

 同じ場にいて、具合悪くなった仲間を放置して「宣伝」を続行していた輩がいた、という話を聞きました。そこまで来ればゲスという言葉もぬるい。私も気が利かない人間ではありますが、意図的な放置はしません。社会の中にいようと思うなら、「病人を放置しない」くらいはおぼえてください。

杉田発言、人事介入、自民区議の無知―多数強者でない者を蹴りつけるの図。変えたいのはこの社会だ。

 今週だけでも杉田水脈の「(性犯罪被害者を念頭においての)女は嘘をつく」、権力からの自律をうたった学術会議への人事介入、そして、足立区議会での自民議員によるLGBTに関する無知と抑圧を図った発言。
 3事案ともに「多数者に有らざる者」に対する攻撃ですね。そして、指摘したあとの開き直りが甚だしい。学術会議の部分では図に乗って「これを機にあぶり出して一気に赤狩りしてしまえ」などと語る方もおられますが、これ、何かの拍子で琴線が切れたら虐殺行為が起こりかねない。そのくらいのおぞましさを覚えます。

 過日の朝日新聞サイトに「なぜ若者の政権支持率は高いのか 学生との対話で見えた、独特の政治感覚」と題する記事があり、そこに出てきた学生のご意見が振るっていました。
 いわく「そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか」
 いわく(政権に批判的な学生に対して)「空気を読めていない、かき乱しているのが驚き、不愉快」
 そして、「多数者に有らざる者に対する攻撃性」。
 社会活動の中にいる人間としてはこういう気質を踏まえて対応しなければならないのでしょう。しかし、私個人が存在する状況から見た感想としては「ふざけんじゃねえよ(以下自粛)」です。
 悪かったな、非多数者で。
 何か罪あんのか。
 こーいう思考回路に至る経緯を踏んだ上で、怒りしか持ちません。Twitterやれていた頃に感じていたことではありました。やたら反対意見、あるいはその立場にいることを忌避する言動に遭って、まるで味のなくなったガムを無理矢理噛まされている感触を受けましたから。こうして整頓された記事を見るとなるほど、と。
 すみませんが、この部分についてはものわかり良くできない。

 一連のやり口を見て、やはり菅政権は「安倍政権の露払い」が役割なんだな、と。ジャマ者を排除して「帝国」体制復活を図る、と。そのために反対派の行動・存在を根っこから壊す―先の“若者”の思考回路、それを醸成した現行教育基本法もその一つと言えましょうか。
 それを考えると、ますますこの政権は倒して、野党+市民発の政権打ち立てて安倍政権が壊してきたものを建て直す必要がある、と。卑怯ゲス上等勢力との闘いになりますが、越えていく。そんために最低限「存在を失わない」よう努めます。
 おつきあいいただきありがとうございました。

「赤狩り・レッドパージ」に喜んで与する様子に。苛める側でマウントとりたいか。

 ここ2ヶ月、記事製作がそれまでにないローペースに。生活のパターンをどうしたらいいか模索していまして、ブログ記事を書く時間を安定してとれなくなってしまいました。ほんでも最近露呈した「菅首相による学術会議に対する介入」「杉田水脈による性犯罪被害者への憎悪書き立て」に危機感を持ち直しまして。しばらくはショートバージョンになろうが発信を多くします。

 で、いささか気に障る行為を目にしまして。学術会議の一件は「赤狩り」「レッドパージ」を思わせるもので、そこから社会が一方的に壊される―大体は右派的権力者による市民抑圧―のを危惧する立場から特に厳しく異議申し立てをしていますが、逆にこの事態を喜び、もっとやれと囃し立てる人もいるのですね。
 学術会議がこーいう形で委員を任命する意義は別な方が書くでしょうから割愛しますが、意見の賛否と別にこの態度には気に障るものがあります。「寄らば大樹の陰」なんて言葉もありますがそんな丁寧なものでなく、ただ多数派に寄りかかりなぶる側、攻撃できる側にいたい、と。どこかで「苛めることに快感を覚えた人は“中毒”になる」なんて記述を見ましたが、いずれ社会を壊す行為の荷担でしかありません。
 「存在」「継続」って言葉を意識するようになりました。完全に消滅させられなければ、活路は見いだせる。そういう意味で「ある一時期の多数者」ごときに存在潰されたかない。意地はって頑張ります。
 おつきあいいただきありがとうございました。

度を越した忖度が幅を狭める―「道路使用許可」弾圧について。

 公選法の条文を字面だけ読み取り、謝った解釈をもってトーンポリシングぶちかます様子を幾度も。最近はそれに感化され、自身からそれに併せてしまう人も見かけます。できることは最大限にやる、その上でべからず法と言われる公選法の緩和を目指すことが必要なはずですが、わざわざ縛られに行きたがる人がいることに眉をひそめるような思いを持ちます。

 ここ数年、イベント関係の業者が道路使用許可を必須に〜という宣伝をし、それが拡散されることで大手検索サイトの上位に表れ、それを信じ込んだ人が「許可は義務」と思い込む。そこに「全体主義」備えての批判者忌避が加わって社会活動の幅を狭められている、そのことに疑問を覚えます。

 社会に物事訴えかけるのにいちいち3000円払う―これが当たり前になったらどういう人が優位になり、どういう人が不利になるか。そこから「使用許可」の言い分がまともか。考えていただきたいです。

赤旗発「学術会議人事介入」記事。わずか7時間で悪意全開見る様に。

 10月1日の赤旗一面に出た「菅内閣による学術会議への人事介入」。これまで自律性を重視してきた組織にもズガズガ踏み込んで「思い通り」にしようとする動きには警戒する必要があり、そこに権威主義に寄りかかる見地から「非従属者」を攻撃する構図があっという間に出来上がる。

 攻撃者はそれを「選挙で勝った自民党の総理が決めたことだから正しい」という理屈で正当化図りますが「それは“絶対”か」と。どんなに絶対多数を得ようが壊してならないものもあります。そこを認識しないで威張るな。まして「レッドパージ」やら「軍事研究を主体に」等とぬかすなら「それは身近な覇権主義国とやることが変わらない」と述べておきます。

赤旗発「学術会議への人事介入」記事。早速権威主義的な擁護が来ています。

 10月1日の赤旗一面に出た「菅内閣による学術会議への人事介入」。これまで自律性を重視してきた組織にもズガズガ踏み込んで「思い通り」にしようとする動きには警戒する必要があります。

 しかし、権威主義に寄りかかり、その見地から「権威への非従属者」に対してその存在すら認めない方々が、一連の行為の重さを見ずに擁護している様子が見受けられます。

 権力者は絶対、ではない。

 まずはそこから覚えていただきましょうか。

杉田水脈とその支持派による「性犯罪許容化行為」を許さない。

 わざと“釣り針”たらして、同僚議員等から匂わせ報道に載せておいて、いざ矛先が向いたらとぼけて逃げる。そしてくそふざけた行為に怒った人を「非国民」と打ちつけ、結果性犯罪に怒り、異議を訴える行動を壊す。屈辱味合わされたあげくに「所詮お前らはこんなもの」「大きな支配者の礎になれ」と残置させたいのでしょうが、ここでも逆行を許さない。

 杉田はこれまでもこういった人権的な問題で確信犯的に非多数派をなぶる行為を行い、かつ自身の身だけは徹底的に守る―それは自身の行為で怒った人への攻撃を呼び起こす二次攻撃含む―ことは徹底する。卑怯・クソ上等の人種でありますが、いずれ杉田とその擁護者を蹴散らさない限り性犯罪生む土壌は消えないでしょう。

金を集めてより強力に身勝手かましたい―大阪市廃止目論む維新の狙い。

 私は通常の社会人より仕事をする能力が劣り、できることをてこてこ行って収入を得ていますが、人並みの生活には遠い位置にいます。ほんで、そんな私のような人に対して「給与/社会保障はこれ以上増えない。だったら株投資しろ・トレーダーになれ」と言い、刺激的な言葉を多用し“仲間(=金)”を集めようとする言動を見ます。「金をただ使うだけなのは低能。いまは株で増やす時代」とか。
 煽るのは勝手だが、ただでさえギリギリな状況にいる人間が余計なことをしている余地はないのですよ。ただでさえ崖っぷちにいる人間からさらにかっぱぐか?そんで不都合起きたら自己責任で切り棄てる。貪欲に収奪噛ます気でいるようですが、私はお付き合いいたしかねます。

 で、タイトルに書いた都構想という名の大阪市廃止策動。維新勢力が成立を図っているものですが、実際何を狙うか言えば「これまで大阪市で扱っていたお金を大阪府に吸い上げる」、そして「大きく集まった金を自身の息がかかった/都合のいい事業に注ぎ込む」ものでしかありません。推進者は「既得権益が〜」という言葉で反対派を打ちつけ、「身近なことは特別区に下ろされる(端)金で」という言い分でだまくらかそうとする。
 維新を“国政野党”というくくりで見ようとする方もいますが、市井の市民から金をかっぱぐ収奪主義思考は安倍→菅自公政権と変わりありません。都構想・基礎自治体消滅行為を許したら模倣する輩が増えるでしょう。その終着点は「市民が市民でなく、権力強者の養分でしかなくなる」。平成、昭和ぶっ飛ばして15、16世紀(社会権未確立時代)にまで社会巻き戻す気か?
 今世紀に入ってそういう策動があちこちに見かけるようになりました。跳ね返すには「そーじゃない別の道」をつくる力を得ること、それにつきます。私の最推薦・日本共産党も模索重ねながら「専横かます権力者をはねのける」とりくみしてます。私自身は体ボロでただでさえ少ない活動能力を更に減らしているのが現状ですが、よかったら拙稿も参考にしてください。
 おつきあいいただきありがとうございました。

ある問題に際して。

1)片方の意見しか表に出ていない状況でなんとも言えません。「徹底してやりあう」ことも必要じゃないですか。多少「ケンカ」しないと先に言ったもの勝ちになる。

2)絡まった糸は丁寧に解さなければならないですが、そこに混ぜっ返しに来て嫌がらせ的に余計にゴチャゴチャにしていく輩もいる。まともに解決したいならその手の輩は排除あるいは関与させないでください。

3)ひとつの箇所で起きたのを全体化してある立ち位置を壊しに来るのは「批判」違う。

 3点ばり。

嫌がらせ行為を「正義」に置換してしまう痴れ者たち。

 入管行政、あるいは同職員の暴力。これに抵抗する方に対して■■投げつけるような行為をする痴れ者を見かけますが、その中でもっとも愚かなのが「どんな理由であろうが“母国”に送還しろ」というもの。

 少し考えればわかりますね。母国に送還されることで命の危険にさらされる方がいる。それを知らないで語るなら無知だし、知ってて語るならクズ野郎としか言い様ありません。

 嫌われものになろうが必要なことを発するのとクズ野郎とは天地の差があるのですが、混ぜられるのはほんに迷惑です。