つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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またも「身内さえ固めればいいあとは寝てろ」、ですか。有権者が動く社会を維持するためにオール沖縄・玉城デニー氏の活動に注目を。

 こんにちは。1日はLGBTなど、どういう人も生きやすい社会を、と呼びかける「レインボーマーチ」に参加してきました。とはいえデモ行進は相変わらずダメなので行事部分を二次会まで、で。その二次会でLGBTをはじめとした人との向き合い方について話かたりできたのが何よりでした。2次会で居合わせた人はほとんど20代周辺で、42歳の人間としては中々大変でした汗。相対していただいた皆様、ありがとうございました。

 明けて本日。釜石→大船渡と所用しようと思いましたが、「無理したら帰ってこられない」状態になっていたので断念しました。知己との連絡は電話で、某高校野球部投手陣はまた後で見ますか、ということで今日は静養。その中で聞いたニュースで「またかよ」と思う出来事がありました。

 「沖縄県知事選の討論会に自民・公明・維新推薦予定候補(佐喜真淳氏)は基本欠席」と。言葉で感想語れば「またかよ」しか出ませんね。ここ数年、自民党の選挙戦術は「当選した者勝ち」を基本に、自らが支配下に置いている組織を固め、その他の有権者には「寝てもらう」。寝てもらうために、広い有権者に考えてもらうようなことは避ける傾向があります。もっとはっきり言えば「安倍政権を支持する人だけ投票に行ってくれ」を最良とするやり方。

 政治は効力及ぶ範囲に居る人に影響をあたえます。それを考えれば全有権者単位で考える機会をつくったり、投票も広く間口をとる形がふさわしいはずですが、自公維陣営はその機会すら潰す、と。玉城デニー氏・オール沖縄陣営の発言機も潰す、と。こうやって選挙があることすら認識させないで「やったもん勝ち」にさせるやり方は退る。そうやって当選した名護市長は「議会答弁を副議長に振る操り人形」になったと聞きます。日本社会は安倍政権の私物でありません。それを示す政治戦にしてかないと、と考えるものです。

仮設住宅の撤去に生活保護受給者の進学率―平均値で測り、あとは都合よく切り棄てるの図に食傷気味です。

 今日は。当方アカウント、別なテーマで記事を書き進めてきましたが、それを変更して「ついていけない者を切り棄てる日本社会」を問う2課題を取り上げます。

1)東日本大震災仮設住宅の2020年打ち切り方針

 一見、「20年になれば震災から9年、自立するのが当たり前」と言い、この施策を支持する方も少なくないものと思われます。ま、大船渡はじめ、被災地の復興度合いは進んでいますからね。しかし、「復興を“平均値”だけで見るな」、というのはこの場面で露になります。

 復興の流れに乗れた方は、それに対応できる能力・環境を持っている方です。就業できる体力とか、新しい物事を覚える能力とか。しかし、その能力を持たない、持てない、あるいは「ぶっ壊された」という人もいます。加齢で心身の体力を失ったり、震災時のダメージが深く刺さったりして。今の時点でそさ至らない状況だば相応の状況がある、と見ないとわんない。

 「まわりはもう立ち直っている」は関係ない。むしろ、そろは対象者への打撃にしかならないのを知っていただきたいのです。「復興を“平均値”で測るな」は社会活動の先輩の一言です。先輩氏は続けて「最後のひとりまで」と。それを壊すような動きには断固たる態度で立ち向かいます。

2)生活保護受給者の進学率に対する安倍晋三氏発言について。

 近日の発言で自らの実績として述べた「生活保護受給者の子息の進学率が上がった」等と延べていました。なるほど、それ単体で見れば「上がった」のか知りませんが、では他の所得階層や、平均値と比べてみればどうなのでしょうか。半年くらい前にそのデータを見たときは、平均的に90%半ば以降の数値を示していたの取り締まり対称的に、生保受給者や低所得階層は90%超えた所で止まっています。

 この調査結果をどー見るか。

 「90%超えたからいいあとは自己責任」?これまで“日本人の平均値”にこだわり、そこに届かない人を切り棄て、更にその現状に異議を唱える人には石を投げつける。そういうシーンをいくつも見てきました。もう食傷気味なのでいい加減にせいということで戦いを続けていく所存です。

9月に予定される沖縄県知事選挙。沖縄はどっちの“ハブ”になるのが相応しいか。

 9月に大きい政治戦があります。

 沖縄県知事選。

 先頃なくなられた翁長雄志氏を応援していたオール沖縄陣営の側は玉城デニー氏を予定候補に。一方沖縄も安倍政権の隷属に置かせたい勢力は、佐喜真淳氏を候補にするようです。

 さて、この政治戦。私が望むのは「沖縄の存在の在り方」です。古くは琉球王国と呼ばれていた頃から琉球・沖縄の地は、今でいう中国はじめとしたアジア地域との交流を図る拠点となっていました。いわゆるハブ、というものですか。それで長らく強い存在価値を持っていました。

 その後琉球処分→帝国沖縄県→戦争敗戦によるアメリカ統治→日本国沖縄県と続きますが、戦争敗戦以降アメリカが行った「沖縄の基地化」以降、ハブはハブでも違うハブにされてしまいます。アメリカ帝国主義に基づく軍事のハブに。アメリカの横暴に日本政府が追随しても、沖縄の社会はいずれ「苛政の象徴」の基地は除ける、当然新基地は許さないと戦ってきました。

 ところが、仲井眞知事と沖縄県関係自民党議員が屈服。辺野古の新基地にGOサイン…そんな中で「保守・革新」の差を超えたオール沖縄が形成され、県知事選に翁長氏が当選するなどの反撃がはじまったわけです。

 沖縄をどっちの“ハブ”にするのか。

 アジア他各所との交流と親善を図る“ハブ”にするか

 アメリカの軍事支配を拡げ、憎しみの連鎖を形成する場にしてしまうか。

 直接的には沖縄の有権者、広くは日本社会に問われるものです。それを心してSNS発信あたります。

9月1日を前に。関東大震災95年で起こっている不穏な動き。右派勢力による逆流許さない行動を。

 今日は。数日前の夕方ニュースでは昨晩のゲリラ豪雨についての話が出ていました。ダブル台風襲来時に台風のコースから離れていた岩手県平泉町“だけ”でダガンと降っていた−30キロ離れた北上市は同時刻晴れ−ときがあったのでそういう現象があること自体は驚きませんが、関東で起きたそれは「そういう現象があること」で済まない強力なものがありました。水害は形定まらず来るもの。今日も雫石、二戸、安代は厳しい雨でした。皆様気をつけましょ。

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 あっという間に8月も終わりますね。そして9月1日は関東大震災が起きてから95年の日となります。関東大震災に限らずですが、震災が起きたときに「自然の動向」と「人間の動向」を各々に見ていく必要があります。確かに関東大震災は首都圏・人口密集地に強力な地震が起き、津波災害も起きるなど被害を回避しえないものがありました。

 それでも「全てが地震津波のせいですしかたない」で済むことだったのか。ひとつは当時の認識を越えた火災に対処できなかったこと。家事の延焼や、数万人が避難してきた場所への火炎による犠牲。もうひとつは、人為的、作為的なデマの流布による煽動で引き起こされた殺害。権力層、あるいは“声のでかいやつ”による煽動で起こされてしまった。

 震災直後、不正確な認識のまま放たれた「新聞記事」を基に「これは事実だ!」と振り撒いている者がいる。その信奉者が「朝鮮人のほうが攻撃的に来たから自衛しただけ、巻き添えで無辜の者も死んだかもしれないが仕方ない」と言い、それに異議を唱える者を「反日」呼ばわりですか。あらゆる場でこういう言葉が叩きつけられていることにげんなりと。

 加えて言えば、この流れを助長したのは1年前の小池百合子都知事の「追悼文拒否」。また、小池百合子氏と昵懇の右翼勢力が、同じ会場、ほぼ同じ時間に行事を行う、ということで「震災時における朝鮮人虐殺を」検証する機会を無くす、忘失化して歴史修正を図ろうという動きがあります。震災が起きても虐殺行為を起こさせなかったのは、関東大震災の教訓忘れるな、と教育・検証した行動があったからです。策動超えて教訓維持することを誓い項を終えます。

「平均値」以外を叩き落とす日本社会の悪癖−東日本大震災仮設住宅と生活保護で起きていることから。

 今日は。当方アカウント、別なテーマで記事を書き進めてきましたが、それを変更して「ついていけない者を切り棄てる日本社会」を問う2課題を取り上げます。

1)東日本大震災仮設住宅の2020年打ち切り方針

 一見、「20年になれば震災から9年、自立するのが当たり前」と言い、この施策を支持する方も少なくないものと思われます。ま、大船渡はじめ、被災地の復興度合いは進んでいますからね。しかし、「復興を“平均値”だけで見るな」、というのはこの場面で露になります。

 復興の流れに乗れた方は、それに対応できる能力・環境を持っている方です。就業できる体力とか、新しい物事を覚える能力とか。しかし、その能力を持たない、持てない、あるいは「ぶっ壊された」という人もいます。加齢で心身の体力を失ったり、震災時のダメージが深く刺さったりして。今の時点でそさ至らない状況だば相応の状況がある、と見ないとわんない。

 「まわりはもう立ち直っている」は関係ない。むしろ、そろは対象者への打撃にしかならないのを知っていただきたいのです。「復興を“平均値”で測るな」は社会活動の先輩の一言です。先輩氏は続けて「最後のひとりまで」と。それを壊すような動きには断固たる態度で立ち向かいます。

2)生活保護受給者の進学率に対する安倍晋三氏発言について。

 近日の発言で自らの実績として述べた「生活保護受給者の子息の進学率が上がった」等と延べていました。なるほど、それ単体で見れば「上がった」のか知りませんが、では他の所得階層や、平均値と比べてみればどうなのでしょうか。半年くらい前にそのデータを見たときは、平均的に90%半ば以降の数値を示していたの取り締まり対称的に、生保受給者や低所得階層は90%超えた所で止まっています。

 この調査結果をどー見るか。

 「90%超えたからいいあとは自己責任」?これまで“日本人の平均値”にこだわり、そこに届かない人を理由適当にくっつけてぶん投げる…で片付けていいわきゃないですよ。「公平性」を言い分にしてこれ以上の公的対策にいちゃもんづける方もいますが、この方面でも「平均値」で見ないで一人一人の幸せから物を見てくれよ、と思うものです。

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 数日前の「ゲゲゲの鬼太郎」問題でも見背つけられましたが、どうにも「平均値」から離れた者に対する辛辣さには頭を抱えるものが。それが非強者に対する攻撃につながっているだけに、何とかはね除けたいと思います。本日の記述は以上です。

「公正・正直」すら攻撃対象、戦争経験の話すれば反日扱い…狭まっていなかった頃の漫画作品を示し「どっちがいいか」考えてみてください。

 今日は。秋の虫の音がみーみー聞こえてくる季節になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて、本題。ネトサポ型の安倍政権支持者の狭量さを見せつけられたのは自民党総裁選のある行動。石破茂氏が「公正・正直」を基本に行動する旨の発言をしたら「それは安倍氏への個人攻撃」ときたもので…。様々な疑惑にたいして誠実な対応とは言えない安倍政権の態度には障るものがありますが、追い討ちかけますかね…。自民党内では他に出産妊娠の自己決定権を侵した男性議員に抗議した女性県議に対し厳重注意と役職剥奪の処分を下す挙もあります。

 「ある方向しか許さない動き」ってのをさんざん見せつけられていますが、それは政治の社会でない場所も。少し前の話になりますが、ゲゲゲの鬼太郎アニメで日本が他国に攻め行ったことを説明したシーンに対して右派志向の方が非難をあびせたという件。大体作者の水木しげるさんが実際に軍隊に関わった方でしょう。取り上げるな、という方が無理です。

 もう25年なりますか。月刊チャンピオンに掲載されていた「東京野球小僧」。野球好きの童ぁどを中心とした物語で単行本は5巻まで出た作品。登場人物に自らは東京大空襲で孤児に、野球をしていた兄2人は戦争から戻ってこなかったというグラウンド管理人のおじさんが中心の話もありました。

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 登場人物内に戦争の経験がある年代がいて、戦争を思い返すシーンや話があるのに違和感はなかった時代。「東京〜」が連載されていたのは91〜94年。「逆流」が色濃く打ち出され、その反撃力が削がれていくのはこの後の話となります。

 今では端からドキュメンタリー形式で書くものでなければ、各作品内でかつて日本が起こした戦争に向き合うシーンを見ることも少なくなりました。復古逆流の流れが起き、その流れでできた政権が大手を振っている状況で「非戦争で社会を作る」立ち位置を維持すること自体が楽ではありませんが、戦争は一旦始まってしまえば「壊し尽くす」まで影響が出るものです。そーいう意味こめて不屈の性根発揮して歩き続けて参ります。

 いつもよりは長文になりました。お付き合いいただきありがとうございました。

でかい声で「共産党は存在が違法だ!」と叫べば自分は安泰と思っている方々に。

 今日は。陽も段々短くなり、夜はひんやりしてきました。ダブル台風が来てヒヤリとしましたが、台風のシーズンはここからが本番です。気をつけていきましょ。

 気をつける、と言えば…前回記事で書いた「ひとつの道」しか許さない社会の雰囲気づくり。安倍政権の後見勢力につながる者が、共産党というワードを起点に「安倍政権以外」に対するネガティブキャンペーンを貼っていますが、そこにケント・ギルバート氏が「共産党は違法」キャンペーンを展開してきています。

 「共産主義者は今の秩序を壊す=暴力的な行為をする」として、その駆除を言い立てていますが、何か誤解してませんかね、としか感想が。議会がなかった&機能していなかった時代と今とを一緒にすんな、で大体は収まりそうですが。ソビエト連邦と中国だけ見てこれが共産主義でござい、なんてのは片腹痛いです。

 繰り返し、になりますが、この手のいちゃもんづけが何目的になされるか、というと「黙らせて存在を無力化させる」でしかない。ケント氏が見てきたような“共産党”の苛政は市民の行動で粉砕された。為政者がろくでもねえことするなら、何党だろうがはね除けるのが流儀ってものです。わがまま振り回す安倍政権に、それさ寄りかかる勢力には権力者・為政者から降りてもらうとしましょう。

戦争検証番組を見届けて−「被害の検証」から「何故戦争になったか」の発展を望みます。

 今日は。盆明けから様々仕事が乗りまして、拙稿の記述時間がとれなくなっていました。先週はタイムラインにあまり現れませんでしたがいかがお過ごしでしたか。久しぶりに何やかや書いていきます。

 25日深夜のETV特集では、戦争と精神障害がテーマ。精神年齢が初期教育も受けていない児童と同じ状態の人すら軍隊に組み、精神障害を持つ人を生み出した様子に憤りを持つ感想ツイートが多く見られました。中には「自虐史観」「資料を庭に埋めたというが偽物でないか」等と、告発者を貶める言説を吐く者もいましたが、“愛国”やに目が曇って歴史の教訓を学ぶことをやめてしまったらどうなるか、20世紀前半のドイツや近年のカンボジアご覧になられてはいかがか。

 マスコミの上層部をどこぞの権力者の息のかかった者に差し替えられ、権力者様の意に沿わない発言が言いづらくなっていますが、ドキュメント番組では外野の介入に負けずに人間が犯しやすい間違いに向き合ってくれています。特に8月15日に放送された「満州引き上げ時の性暴力・性接待」。取り上げるには一番しんどいテーマにTBSは向き合い放映。綾瀬はるかさんがリポーターとして協力しました。近年の風潮の中関わっていただいたことに感謝を申し上げるものです。

 一連の告発番組は、戦争が終わってから70数年が経ち、記憶薄れる中で必要ですが、不満あるとすれば、「どうして社会がそういう状態に突っ込んだ?」というのをよりクローズアップする中身もほしいな、とも思うものです。息苦しいのもたしかで、そこにだめ押し叩きつけて黙らせよう、というのもいますが、そいらに屈していられません。頑張りましょ。

「安倍サン以外全部ダメ」を基本とする勢力が、次にしてくるのは個々の構成員すら対象にするネガキャン。ネガキャンモードはさっさと祓おう。

 今晩は。台風が一気に二つも来たもので、それに併せて気候もジェットコースターのように上下動甚だしいです。そんでも夜になれば高温が収まるのばりが救いでしょうか。ただ、ここからは元々の台風が起こりやすい季節でもあります。予報出されたらどう行動するか、頭においとくだけでも違います。気をつけてきましょ。

 以前Twitterもしていた頃は「野党の選挙協力」について厳しい書き方をしていました。この度、国民民主党の党首選で候補者の一人がまた波風立つような話かたりしてくれましたが、私は一旦静観します。

 もうひとつ。沖縄県知事選を前に、安倍政権にとって好ましからざるオール沖縄陣営へのネガティブキャンペーンが始まっているようです。

 対象は、一角をしめる日本共産党

 かつて起きた未成年者が起こした事件を「共産党の“性格”が招いた」とか、統帥権を持っていた時期の昭和天皇に対する戦争責任に関する指摘をぶっ叩くとか。ここから来年の参院選までそんな流れでごり押ししてくるでしょうね。そうやって「安倍さまニッポンに従わない輩は反日非国民」てな流れをつくりにくるのが彼らの手段。

 対峙するには。デマはさっさと祓って、俺たちがしたい行動を呼びかけられるモードを作ることで為していきましょ。

「辺野古の妨害するなら1日2千万円払え」とな。沖縄県知事選を前に言い出すやり方に、この政治戦を勝ち抜く必要性を感じた。

 最近の記事はタイトルだけで何を書きたいかバレてしまうのが何とももうしわけなく。しかし、市民住民の選択を図る場を前にして、あからさまな利益誘導を図るだけでない、恫喝すら図ってくる。

 それを基本線にして来るんですか、というのは分かりました。馬脚を表すのも早いもんですね。ギリギリになって追い詰められて…ですらない。あからさまな「安倍非従勢力」潰し。ただ、気を付けないとわんないのは「そーいうのを隠さなくなった勢力」というのをわかった上で、そーいう勢力を倒さなきゃならない、てことです。

 安倍政権設立時に、麻生太郎氏が「俺たちはナチスドイツのようなことをする(要旨)」と述べ、それを実行してきた。もっとはっきり言えば、握り拳構えて「お前を殴る」と予告して実際に殴り付けるような行為を幾度もしてきた。それを支えてきたのはネトサポ言われる応援団様。奴等はひたすら「行儀のよさ」という名目のもと防御もなく殴られることを要求し、耐えきれずに反撃すれば「野蛮、暴力」とわめき散らす。結果、権力者様が増長することに。

 安倍政権が意に沿わぬ者を冷遇するのはいまに始まった話ではありません。身近な友人がなくなった際には大業にそのことを悲しむが、そうでなければ何日もうっちゃっておく。それを理由つけて正当化するネトサポと併せて、いい加減にしろよと思わない日はありません。これら含めて社会の私物化図る安倍政権を信任できない、交代しろ、と思うわけです。先ずはそれぞれの選挙で意思を形にして、社会を変えていくを祈念して項を終わります。