つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ

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いじめっこ文化と浮き足だったイケイケ主義からの脱却を−いくつか見た正月の光景から。

 1月4日。いよいよ年明け本格化、というやつで各所で年頭の動きが見えました。共産党も旗開き。PCで見よう思ったら接続悪くて断念。明日新聞の文字になってから見ることにします。

 年末年始、ボケらと過ごしていまして、読みきれていなかった新聞読んでいました。年末年始の特番ですか。例年決まったものしか見なくなりましたね。駅伝はラジオで聴いていましたし、あとは笑点、相棒、VS嵐、スポーツ関連の特番程度。ライスボウルはまだ見ていません。

 そんな中、暴力、排外主義的なシーンが入った番組が話題に。「ブラックフェイス」「私生活で様々あったタレントにキック」―ずっとこの手の表現に慣れた方にとっては何ともないのでしょうが、それを一般的にしたら暴力であり、侮蔑行為。ところが、疑問の意を表せば正当化の論をこれでもか、と浴びせられるのは何なんでしょうね。

 テレビバラエティでは「虐め行為」があることが当たり前、という光景を見かけます。それが「楽しむためのノリ」であって、それに水差す行為をすれば「ノリわりーな(悪いな)」とされる。本人にしてみたらどうか。逃げ場失わせて贄にする行為に釈然としない思いが。いじめっこは得てして強きものに着きやすい。その位置から落ちたくないから、と取って付ける言い分で、余計に対象者を蹴りつける。あとは延々と「強者の庇護下においてどれだけ玩び続けられるか」。腐れた享楽と苛政が結びついているのがね、どうにもかなわない…。

 もうひとつ、たまったもんじゃないなと思うのが「強者による影響力大きい人の囲い込み」。先に述べた行為をした番組の主軸が現権力者とお近づきになっていた、というのが引っ掛かるし、更に言えば今日の箱根駅伝の記事でも優勝チーム監督の行動に「ん」と思うものが。

 優勝チーム監督が政権党大会に出席したことがチーム内でも波紋を読んだ、との記事。リアルタイムでその報に接したとき「これでチームごたくさならなければいいが」と思いましたがやはりそうなっていたか、と。そこで壊れなかったのはさすが、と思いましたが引っ掛かりも。

 「成功者への称賛」。まあ普通にあるのでしょう。

 ただね、懸念材料も。

 「頑張る力が足りない者」への攻撃材料にされること。往々にして配慮のないプラス思考がそういった方々に対して刃になることがあるから。大震災のキズから立ち直ろうと“何かし続ける”と考えがちになることが、妙なイケイケ主義に結び付かなければいいが、と懸念していましたが、それが「達成者への過剰な称賛」と「できない者への強烈な叩き具合」という形で現実になりつつあるのに愕然とします。

 「強者による強者の囲い込み」が、あるひとつの路線以外日本社会に存在を許されないという思考を広げる材料にされるのはごめん被りたい。その道の進化が社会進歩の反動化につながるなら、それには抗い、違うやり方もあるというのを示さないと。苛政は逃げ場の無いところから襲いかかってきます。日本社会が持ってしまっている傾向が刃を突きつけるなら、それをはね除ける。それなしにはまともに生きられない。故に行動し続けますよ、と述べて項を終わります。

冬季の全国大会進行中。桐蔭高校サッカー部で起きた「内紛」事態から学ぶ。

 お晩でございます。仕事所用で居住地に帰ってきましたが、何か雪に恨み買われたかのようにのっそりと雪に降られ、仕事終わったら途端に止んで、で大変でした。半分以上は前日の筋肉痛が響いてのものですが。タイムライン、暫しお付き合いください。

 正月3が日も終わりました。箱根駅伝青山学院大学の優勝でしたか。走る、というのは人間の基本的行動のひとつですが、どこまで突き詰めることができるか、最下位チームだって一般的な人に比べれば早いもの。指導者の力量も、複雑な方程式で問われるものですね。

 高校サッカー。岩手の遠野は残念ながら初戦敗退。そして、神奈川の桐蔭高校についてかなり複雑な事態が起きていたことに驚きました。総監督氏がかなり強引なことをした様子が報道。関わる箇所の中で検証が必要でしょう。だども、そのやり口自体はあちこちで見たりもします。桐蔭総監督氏のとった「目をかけた1、2年中心のチームづくり」。多競技でも「先の見えた3年より将来性の1、2年優先」というのはよく見ます。競技である以上最善手を尽くすのも方法のひとつですが、3年も無為に過ごしていたわけと違うでしょう。

 私は高校野球に在籍していたもので、他競技におこる3年生の過ごし方の認識が分かっていない部分もあります。サッカー、ラグビー、バレーなど冬まで行う競技もありますが早期引退もあり。私の母校ではインハイを区切りに引退・世代交代するのが大半です。高校サッカー・桐蔭の件関連。チームの運営に関しては各自手法もあるのでしょうが、今回聞いた件は正直選手の発意がねじ伏せられた感があります。どんな理不尽があっても人生は進みますが、生きるだけでも必苦味わうのを、更に上乗せする必要はないのと違いますか、と思います。

 今回の桐蔭高校の件は、強者による力のぶん回しの悪例として記憶に残りそうな状態に。人間の集団を回していくというのがどんなに大変か。ここ数日、そういう話題に多く接してきたもので“染みる”ものがあります。やはり同じ物事するなら納得ずくで終わりたいですよね。自分自身も自閉的な性格で、「持って行きかた」間違ってヘマやらかしたときもあるから、威張っては言えませんが、社会活動の新しい取り組みも「居て良かった」思えるものにするよう進めていただければと。含めて桐蔭の件から教訓組んでいただくことを願い、項を終わります。

大船渡散歩に3時間/2学年後輩の“歳祝い”にメッセージ。

 今日は。大船渡滞在2日目は故郷中の故郷を散歩してきましたが筋肉痛に悩まされていまして…体ほぐしてから一旦居住地に帰ります。

 なぜ?仕事&母の送迎。

 暫し雑感述べていきます。

―ばてて3時間熟睡―

Twitterでは夕方まで「大船渡散歩」書いてきました(ブログでは省略します)。大船渡町川原・明神前・田中をぐるっと回ってきましたが、明神前の裏道登りは決定的にこたえました。結構な坂道上りましてね。小さいときはよくもまああんなんとこ駆け回ってもバテないでいたものです。

 さて、例年ですと1月2日は母校後輩の42歳の歳祝いが行われる日です。今年は2学年下のメンバーがそれにあたります。節目を迎えた後輩の皆様には心からのお祝いを申し上げます。これからも良ぐ生きていけるよう頑張ってください。

▼筋肉痛におちいって、マイヤ駐車場でもさもさしていました(いまは移動)が、そこで賑やかに語り合っている一団を見かけました。おそらくは、大中の後輩たちでしょう。

 おそらくは、と書いたのは、2学年下の後輩とはその大部分と没交渉になっていて「確定できない」から。1学年下の面々は、各所で会う機会があったからしっかりと覚えていますが、2学年下の面々は…大船渡からいなくなって8年、更にいたときも夜勤朝勤で、普通の人が起きている時間にゃお休み中、だったものであまり「そうだ」と現在形で覚えている人はいません。

 20年、25年という時間の流れは、それ相応に人間を変えるものであります。交流も欠いている状況下でどういう現在地にたどり着いているのかは分かりませんが、それでも自分の人生の中で貴重な交遊をかわした面々です。良ぐ生きていてほしい、という思いは変わりません。去年は夕食を求めさまよっていたところに偶然後輩と出食わしましたが、あんな偶然は二度も何度もあるわきゃありません。それでも42歳の歳祝いまでたどり着き、今日の集まりを期に良ぐ生きていただければ幸いです。

 2学年後輩の多幸を願い、項を終わります。

元旦−復興の到達地点見学と、目標の再確認。

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 今日は。18年もあと364日と半日です(←あのな)。朝に大船渡着いたあと、陸前高田を回っています。何ヵ所か立ち止まったところでは郷土芸能の笛の音が。陸前高田駅は地域の環境が変化したことに伴う設置駅変更のお知らせが掲示されていました。今年1年何を積み上げましょうか。しっかり見ていきます。

▼いつも大船渡行くときは誰か友人などに会いに行きますが、今日は元旦でしょ。元旦からうかがうのも野暮ですから。大船渡・高田の故郷に触れているだけでもいいんですよ。俺にとっては。で、夜中には大船渡町“キャッセン”ぶらついていました。

 まあ、大船渡からいなくなったのは不本意ながら…でしてね。09年の心筋梗塞やって、大船渡復帰を目論みましたよ。でも結果は、この通り内陸在住9年目になりまして。便利な街ではありますが、人間関係部分での気晴らしという意味ではしんどいです。今日歩いてきたのは主に高田一中→竹駒駅東側→広田(水産高校跡、漁協周辺、大野海岸)→末崎(大船渡市営球場)。銭湯に入って、先に述べた通り大船渡町を徘徊しています。

 正直語れば、いまの自分の状況と、“平均的な同年代”を比べたら、絶望しかおぼえない。いろんな意味で「足を止めたくなる」。でも、実際にはこうして厚かましく生きているわけで。昨日も言ったけど、本来生まれてこなかったやつが簡単に生きるの諦められるか?ましてや「消えろ」に従うか?能無しには変わりありませんが、ふざけんなと思ったことに噛みつくことはできるのですよ。ただし、やり方に関しては「スペック劣るやつは頭冷やして何ぼだろ」、で。そっから導いた結論は「ヘイターの直接対峙はせず被害者のフォローに力注ぐ」。

 どこかの首相がたいそうなご挨拶をしてくれたようですが、実際やっていることを鑑みもせずによう言えましたなしか感想ないです。アドバルーン張るときはでかいこと語るけど、「オトモダチに便宜を図る行為しかできない」のが実際。この手を何度食らってきたか。人生の端点に至るまでどこまで歩みを進められるかわかりませんが、私ら市井の者から財産を、健康を収奪して、自分等だけいい目を見ようという社会は変えていく。方法の工夫は模索しながら進めていくことを今年の目標にします。

 スーパームーン、か。直接関係ないけどレベッカの「MOON」歌いたくなりますね。♪むかしママがまだ若くて小さな私を…(引用)っと。人間、空白の部分も作んないと、息詰まるよな。血管詰まったやつが言うのも難ですが。心の持ちようのレベルアップも課題のひとつにして、今年最初の項を終わります。

2017年総まとめ−密度濃き1年。しかし人生はまだ続く。「存在し続ける」ことが自分の役割です。

 今晩は。ここまで数々書きためた記事を一気に出しているので、タイムラインが騒がしいと思いますが、散発的なもの以外はこれで最後にします。雑煮をわんこそばふうに食べてろと。それはお断りします笑。太るわ笑。ほんで、ここからはまとめのツイート入ります。ここまで「社会人野球」「社会活動」「SNS言論状況」と3カテゴリに分けて記してきました。どの活動にしても私伊東のスペックは、せいぜい「0が1になるレベル」でしかないのが現実です。それでも「役割あるならば」と、与えられた役割には懸命に取り組みました。

 今年は…今年“も”とすべきですが、各方面で濃い1年を経験させていただきました。加えて歳祝いもシリーズを無事に終え、高校野球も大船渡東が県4強。いやはや、凄まじい1年でした。

 10月。一連の主だった行事は皆終わりました。その時に去来した思いですか。実は色々複雑で、一言でまとめきることはできません。がくがく揺さぶられながら思いまとまったのは時間必要としましたが、単純に言えば「やりきった」という充実感。

 しかし、それだけで片付けてはいけない事情があります。

 ひとつは「どれもまだ過程」。そりゃあ、社会活動の方は「とりあえず踏ん張っただけ」だし、野球にしたって「まだ目指すべき場所はある」。満足なんざしてられっか、です。

 もうひとつは…これは私が過去一度、陥って失敗したものです。05年。野球もやりきった、社会活動もやりきった、一段落ついたしもう、いいや―と。それで悪い意味での放心状態に陥り、体調悪化を見逃してしまいました。それまでの時点で指摘を受けていた病気も一気に顕在化し…そっから心筋梗塞起こすまでの4年間は思い出したくないですね。この間の変調は単純に語れないものがありますが「密度の濃い一年」=ハードな日程を過ごした中で体調悪化を放置した。つまり「存在し続けるための行動」をとらなかった結果が、このあとの「ゆるぐなさ」を呼び込んでしまった。そういう意味で後悔しています。

 今年も密度の濃い1年=厳しい日程の中の一年となりました。案の定心身の調子崩して、ただでさえ何もできないのが、余計に何もできなくなりました。いやはや笑うしかないですねははははは。私自身の阿呆さ加減はこの通りで、皆様も失笑しか起きないでしょ。

 でもね、私には絶対に譲れない一線があります。

 生きること、存在すること。

 それはどなた様であろうが否定させたくない。

 今年のタイムライン荒れていたとき。私の態度も態度でしたが、先方も平気で「存在の除去」語っていた。「本来なら堕胎」という生まれた経緯もありまして、そこには敏感に反応してしまいまして。まあ、その事で他人に激しく怒るなら、自身の行動でもしっかりしないと…てなわけで。何より、いなくなったら何もできない。当時よりも弱っているから余計気を遣わないと。11月からの「SNSで対峙しない」というのも生存することに精力注ぐためです。それでも崩れていた間の影響は多段にありまして、克服も簡単じゃないです。でもやるしか存在できませんからね。12年前の失敗、繰り返すわけにいきません。

 とりあえず、生まれる前に始末されるはずの人間が、社会の中で生きさせてもらって42年になります。18年も含めて人生の端点に至るまで歩みを続けることを誓い、17年最後の記述を終わります。今年もお付き合いありがとうございました。

2017社会活動−「破壊工作」から市民と野党共闘の立ち位置を守り抜く−可能性を積み上げて逆転へ。

 1年を振り返る特集を4回に分けてお送りしていますが、第三段は社会活動を記していきます。

 年々、収奪の酷さが増している安倍政権。今年は共謀罪の可決まで持っていかれ、“もりかけ”象徴に日本社会の私物化が進行。そもそもの話として、自民党政権は基本、経済界に支えられ、アメリカの覇権主義者を後ろだてにしています。税金の集め方、使い道が市民に厳しく、大企業に甘い(低賃金労働者の増加と企業内部留保のグロテスクなまでの拡大)が一例でしょうか。様々な「単純に計れる指標」を打ち出し、それを以て「成果だ」と威張る安倍政権ですが、実際の社会の中見てみれば、マシになっていない、むしろ堕とされている部類もあります。「枠内に入りきれない」者には厳しい社会です。

 元々そういう「収奪主義者」の意を受けて成り立っている政権。ならばそれを補正する方向で在野から対峙していく、という立場から社会問題に相対してきました。

 相対し続けてきましたが、簡単じゃあないですね。力任せの度合いが…。少しでも“抜く”と、思いを保つことができなくなる。持っている権力の差だけ考えると、絶望感に囚われたりもしますよ。都度都度ネジ巻き直して行動し続けていますが。10月の総選挙のときに前原代表がこの間積み上げた共闘の枠組み壊したときは真っ青になりました。社会活動に加わって20うん年になりますが、これほど激しい乱気流は経験したことがありません。このままだと「最後の砦」になるのか、と思いましたが、諦めるわけにいきませんよね。追究は続き、最初は共産−社民、更に前原小池百路線を拒否した面々が続きました。

 斯くして、命脈を保った「市民野党共闘」。最推薦の日本共産党が煽りを食い、後退の憂き目にあったのが非常に悔しいですが、それでも乱高下激しい状況変化の中で「議席総与党化」を防げたのばかりが何よりでした(失った議席が大きいですけどね…)。

 あれだけの議席数を持っているわりには、何に恐れているのか、異なる立場の存在を過剰に怖がっている節が見えるのです。そうでなければ審議の仕組みをぶっ飛ばした「質問時間を議席数に応じて」なんて言えない。用心はしつつも活路拓きましょ。個々の施策では安倍政権・支持勢力の支持率は劣る―しかし“親分”に学んだのか、最近は各々の持ち位置でも「強者のワガママ」が通用させられる局面もあります。こんまま行ったら、角生やしすぎて自分に突き刺さる逸話のごとく社会が自爆する。防ぐには角削る必要あり。今の社会の流れは速く、かつ“実力”に応じてその量も多いのも実情でしょう。それを逆転しようというなら、ひとつひとつの機会をとらえて「丁寧に起こして回る」しかないわけで。新たな取り組みも模索されているので、それを為すことで、芽をつかんでいきたい。

 私自身が味わった貧困なり心身の不調。故に降りかかる生き辛さを他人に味合わせたくないとはじめた社会活動も20うん年、よく放り出されずに続いたものです。心臓止まらなきゃ歩ける、黙れの圧力には屈しないで生き続けることを述べて項を終わります。

年末の近況/「大相撲」と「ウーマンラッシュアワーの漫才」雑感。

 年末皆さんいかがお過ごしですか。気がつけば今年もあと3日。改めて今年の目標立て直し(無駄足やめろ)てなわけで時々タイムライン表れます。お付きあいよろしくお願いします。

▼年末になって寒さ厳しくなりましたね。11月からの体調不良が顕在化してしまいまして、必要な所用をなんとかするだけで精一杯でした。様々な日程が詰まりに詰まり、SNSの記述もとうとうすっからかんになっていました。その方がタイムラインも平和でいいのでしょうが。

 その所用…仕事の部分で言えば今日で完了です。カレンダーの巡り合わせかシフトが休みに重なり更に新聞休刊日も。いつもは年末年始要員なものでポッカリ体空くと何していいか分かりません(笑)。このあとSNSでは社会人野球の記述二つ入れます(Twitterでは @benitoh96_bbで)ので、それが終わるまで今アカウントでは散発的な記述で(←制作はしたがアップは31日)。

△今回触れるのはテレビを騒がせているお題2つ。

 まずは暴行事件に端を発した大相撲。

・暴力が幅を利かす体質

・今の社会に合った存在のあり方

 この追及は必要ですが、他にも様々ある社会的な問題をすっ飛ばして、番組の報道枠をほぼ独占して報じる必要があるかと言えばそれは疑問です。

 続いてウーマンラッシュアワーの漫才について。

・口をつぐみがちになるテーマを表したことは評価

村本大輔氏はツイッターでの発信も多くなされていますが、氏の意見については同意できるのとそうでないものの差異が激しいので各々に対応。

・あまり誰それの威光に頼っての社会活動はしたくないので、拙稿では積極的に扱う気はありません。ウーマンラッシュアワーや村本氏についても是々非々で対応します。

  以上

「存在するために」新調したSNSスタイルと「何でも等しく表現されてしまう」危うさと。SNSの1年の様子を思い返す。

 ここからはしばし「1年を振り返る」記事を記していきます。まずはブログ、ツイッターFacebookなどSNSからです。

 今年の9月に拙稿SNSは大転換をすることになりました。「野球」と「社会活動」の部分の分離です。ここら辺のいきさつは以前に記しましたのでその部分を重ねることはしません。更に11月からはリプライで言い争うことを止めました。様々な意味で、私に応えるようになり、無理押しは私自身の存在する場所を失ってしまうことになるためです。最終記事でも触れますが、私自身の存在を失うわけにいきません。その存在の根幹となる位置を失うわけにいきません。それが「都合いい」というならどうぞ好きなだけ仰いなされ。

 そのお陰かどうか知りませんが、ここ二ヶ月ほどは余計な負荷もかからずにいます。罵詈雑言に対する「浮き輪」的な存在は、それにつきあわずともできますし。だども、この数年の社会の破壊は、私の予想を遥かにすっ飛ばしたものでした。

 それを考えさせられる事態が昨日のタイムラインに乗ってきました。ヘイトデモに抗議するカウンターデモ参加者の自宅に正体不明者が襲来。分かっているのは動画サイトの撮影者だ、という程度のものですが、警察も出動し、結構ないざこざになったようです。人体に影響なかったことだけが幸いです。

 ある程度の力の均衡が保っていた緊張感。それをぶった切って日本社会の私物化を進めさせられた。当事者(安倍政権)も大概ですが、それに乗っかればわがままに振る舞えると、阿漕な態度をとる「ネット右翼」の態度にもイガイガずうものを感じていました。そんでもって10月の総選挙も勝ちましたから、増長には止めどころがないな…というのを強く感じさせられています。もは、ネットの上だけで放たれる言葉で済まない、それが実際の社会で力を持ってしまう。その力の得るやり方も虐めっこ宛らだからな…。

 連中のやり方は「相手の嫌がることを延々とし続ける」。対象者には救い様のない状態をつくる。もっと言えば「延々と“遊べる”対象」でいられればいい、と。今日も集中砲火食らっている人相手に「凍結させるな、玩具がなくなる」と述べていた虐めっこいたな。どこから絡まった糸を解しにかかればいいのでしょうね。

 「存在するために逃げる」ことも立派な一手段。それしなきゃ私は首くくってますよ。逃げると同時に「存在し続ける」ことも重要。存在できなくなったら何もできません。環境・状況変わって、もう絶対愚行はできないので、このスタイルは堅持しますが、しかし一方では「黙らない」。ゆるぐねえどさいる人の…なんと言いますか、縄ばしご?その存在で居られるようには努めてまいります。SNSに関しては以上です。

もはや「いじめっこの扇動者」と化した安倍政権・同調者。折れてたまるか。

 今晩は。昨日は吹雪でしんどかった道路、今日は雪の量でしんどい状態になっています。降るのは仕方ないから昨日みたいな風と複合にならないで、という思いです。例によって系統的な記述は明けてから行います。お付きあいよろしくお願いします。

▼社会のぼっ壊れ(ぼっこれ)ぶり。10年程度前なら数ヵ月に一度レベルの愚行が毎日のように降ってくる。この数日間だけでも「はすみとしこ氏による派遣叩き」→「日テレによる生活保護叩き」→「ストライキと否定的感情」とありました。社会の困難解決は多数者も含めた広い認識が共有されて為されるものではあります。しかし、そこに「引き換えの従属化要求」が乗っかると…昨日だけでも「官製春闘経団連による内部留保取り崩し要請」「少数意見が少数派にいたままでの要求に対する半ば脅し込みの否定論」を見ましたね。

 「少数意見が少数派で〜」の部分。要は、少数側の立ち位置にいる人間の否定です。「少数の側にいると虐められる。要求実現は多数派の中にいて成されるべき(要旨)」とおためごかしくっちゃべっていますが、体のいい「飼い殺し&変節の要求」でしかないでしょ。

 そこに追い撃ちかけるように、安倍首相の食事会に応じた芸能人(番組司会者のひと中心に)に批判起きていますが、芸能界の重鎮クラスの人が、政権批判者を「カッコつけ」と“反

撃”。

 んー。カッコつけ。

 カッコつけてるつもりはありませんが、自分の「信条」逆らえんでしょ。意識的でも、そうでなくとも「多数者にまつろわない者のヒザを折らせよう」という空気はすざましいものがあります。すでにね、得ている権力・実力で言えば今の与党側が多く、それ以外は「(本来なら)誰が政権にに就こうが壊してはならないもの」が何とか維持されている程度。安倍政権はこれまでの日本政治なら内閣ぶっとばすような事態をいくつも起こし、都度都度厳しく、激しい糾弾に遇いました。そうされて当然ではありますが。

 ここ1年くらいは周辺も含めて「誰が見てもおかしい行動」とることも。童ぁどがとるすねた行動をひどくしたようなレベルですが。安倍首相の周辺−ぶっちゃけ言えば昭恵夫人−見ると、政治の私物化に関わっていながら己は検証の場から逃げ、その一方でか「人虚仮にしてないか」という行動を同時にとる。なんなんですかね、あの「落書き写真」は。面白がってインスタにあげるな。愚行はたしなめなさいよ。

 …これだけ「何なん?」いわれることたくさん起き、しかもその一々に取って付けた擁護のご意見ていると、精神麻痺することも無くはありません。慣らされずに定点維持しながら歩いていきます。お付きあいいただきありがとうございました。

九州商船ストライキに関する雑感/ラジオチャリティミュージックソン。

 こんにちは。いやはや、ゆうべは夕方から夜半にかけての吹雪にはまいりました。車が吹雪に打ち付けられてドア開けるまでに多大な手間。幸い止んでいる時間もあったスキに厳しい部分の仕事回りました。タイムライン暫しお付きあいよろしくお願いします。

▼25日朝に触れた九州商船ストライキ。25日中に解決の動きがあり、ストの解除に至りました。特に強い公益性が求められるからこそ、そこで働く者に対して当たり前の環境整備する所を致命的に壊そうとした経営側の行動に批判の目線を送るものです。今回はある程度の歩みよりがあったからストの解除に至りましたが、今回の件に至るまでもいくつもの重大な事態が起きています(佐々木りょう弁護士 ツイッターアカウント@ssk_ryo モーメント参考に)。根本からの解決を願います。

 このストライキは離島地域である五島列島への路線を持つ会社で行われたもので「船を止めたこと」に対して労使両方に批判を寄せる方を見ました。労働争議に関しての労働組合の保護・権利は他に述べている方もいるので割愛。船が止まることに納得せず、労組批判を展開される方もおられました。拙稿では「両者への批判は、結果から言えばこの結果を生み出した経営側に優位に働く」「投げつけられる“泥”は甘んじて受ける」上でストライキを支持する態度とりました。

 「組合に失礼な態度とられた」という声も聞きましたが、ストライキ寸前の気が立っているときに水ぶっかけても…という感想。ただ、広い層を味方につけるという意味ではこの部分の対処の改良は目指す必要あります。何にしても、複雑な環境の中で活路を作った皆様にはお疲れ様でした、と。また、この件を悪用に持っていかせない(労働組合の権限・保護の縮小)取組は考えていただきたいと考えます。

▼気がついたら12月24日も過ぎ、ラジオチャリティミュージックソンも終わっていました。今の環境で「自身以外のことにお金を回す」のも大変ですが、IBC岩手放送分だけでも約900万円。こちらも厳寒の中関わられた皆様、本当にお疲れさまでした。

 年末だというのに兄貴は出張、母は「毎日出勤だ(※透析とデイサービス)」、私も仕事あり…で中々にごたくさずうています。皆さんも気をつけて歩いてくださいね。拙稿お付きあいいただきありがとうございました。