つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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大阪の餓死事件。魔女裁判的目線でいたぶる奴等に嫌悪感。

 45歳最初の記事は「大阪の母子餓死事件」について触れます。現有処制度の足りなさ&自助を押し出す菅政権については少なくない方が触れるでしょうから、私は別な角度から「餓死に至らせたもの」について話します。

 餓死事件を扱う記事の中で殊に障ったのが在日外国人をターゲットにした難癖。もっと正確に言えば『生活保護受給者は“在日外国人”』、『今回の母子のような犠牲者は“日本人”』と設定した上で、『在日〜には生保を渡し日本人には渡さないのは差別だ』と言い立てる。

 亜種として『怠け者が左翼の力を借りて』〜『真に助けが必要な人』パターンもありますが、どっちにしろ言えるのは困窮者を助ける意思を実際に持たないまま、嫌いなやつを殴る道具としてのみ使うもの、加えて言えば助かる道を導けない「魔女裁判」でしかない戯れ言です。

 生活保護対象者のうち実際に同制度にたどり着けたのは2割程度。難癖騙る者いわくの「左翼の力」がなければ2割は0割になるでしょう。そして貧困が「なかったこと」にされてしまう。「なかったこと」と認識した施政者は、貧困状態にある実態を無視した行動をします(富裕層・オトモダチ優遇)。

 ある種の権威主義者は、その権威に寄りかかりたいがためにジャマ者を潰す。先に書いた一群の発言もその立場から為されたもの。2010年代から露になった「粛清傾向」は退けないと生きる足場を無くす。てなわけでこの路線とは妥協なしで対峙していきます。

 おつきあいいただきありがとうございました。

何とか45歳を迎えました。

 10年前を考えるとよくここまでたどりついたものです。44歳時は母がなくなり、この他にもコロナ禍で行動に制限課された一年でもありました。

 社会活動面での目標は「強者による収奪主義を跳ね返す社会をつくる」。収奪主義を進める勢力の首領ともいえる安倍晋三を首相から引きずり下ろし、同じく維新勢力が狙っていた「大阪の基礎自治体破壊(都構想)」を食い止めましたが、宿題は限りなく存在する状況です。2001年“9・11”以来の短絡的に力に走る社会への転落を跳ね返すのは楽ではありませんし、新たに課された宿題については模索しながら人生の歩みを進めます。

 45歳期もおつきあいよろしくお願いします。

貧困問題に「やらずぶん殴り」で対応する東京都。そこからの雑感。

 コビッド19・コロナの影響が満遍なく降りかかり、これまでならある一ヶ所が難儀な状態になっても他でフォローする、というやり方が通じません。あらゆる層への救援活動が難しくなっているのが今の状況です。加えて、本来なら一番それに尽力しなければならない政府がその役割を果たさない、やったと思えば支持勢力への利潤をかますやり方しかとれない(=現場に回るモノが少なくなる)。ほんだから余分に怒りを買っているわけでしょう。
 やらないだけならまだしも、余計なものをかまして怒りを買う、という意味でよりむごい行動をしているのが小池百合子が知事にいる東京都。貧困状態に置かれている方への救援活動を都庁前で行っていたNPOに対し、排除の意思を表す行動をしています。関東大震災における朝鮮人虐殺犠牲者追悼をしないばかりか、細やかに行った追悼行事に対しても懇意にしている反動主義団体をぶつけてぶち壊す真似をしてくれましたが、この貧困の問題でも自ら救援の手を出さないばかりか、さしのべている人の行動を妨害する。
 「ふざけんなクソッタレ!」以外に言葉の紡ぎようがありません。

 90年代からの政界再編とやらで、資本主義から次の段階を目指す政党が力を弱められ、万が一日本共産党が壊された場合、「自民党から派生した政党しか存在しなくなる」状態になります(民主党系列の政党も自民党出身議員が祖)。20世紀に権力の座についた共産主義国言われるところが、市井の姿勢を酌む民主主義ができているか言えば落第点しかつけられない勢力が多く、「共産主義なんざ」と軽く見られる様子が見られますが、いまの資本主義社会の欠点含めて資本主義から先に進もうとする視点を日本社会から無くしたら、「20世紀に権力についた共産主義国」よりもむごい社会にされてしまうのと違いますか。
 ここしばらく、「存在を失わない」ことを第一義に行動してきたのはそーいう意味もこめての話です。いまの“主流”に乗って悪ふざけする面々を越えるために歩き続けるとしますか。
 いつもよりも長めの一文となりました。おつきあいいただきありがとうございました。

エコエネルギーの進歩と逆行する日本社会。

 発信しなきゃと思っていることが多いのですが、諸々の事情でそれがかなわずにいます。来年は東日本大震災から10年なりますか。年明けてからは関連する記事をいくつか書いていきます。

 10年の積み重ね方には良し悪しがあり、あちこちの原発再稼働の報道は「悪し」になりますか。大体始末の方法がない、の一点で不適当。事故の際の破壊力と併せて「勘弁してくれませんか」の一言につきます。

 エコエネルギーについて。2011年のあるラジオ番組で各種発電に対して、これでもかと欠点並べられたことがありましたが『技術の発展で乗り越えられるだけ「対処法無し」よりマシ』と思い、経過を見守ってきました。

 今時点で象徴的と思う報道が2つ。ひとつは「(世界的に)エコエネルギー製作のコストが下がってきている」、もうひとつは「岩手で予定されていた海洋風力発電が日本企業の事業撤退で中止」。鉱石エネルギーからの脱却をめざす箇所がある一方で、国全体が冷淡に扱うがゆえに進めない箇所―ぶっちゃけ日本―もある、と。

 「あそこが嫌いだからその逆行けばいい」というのがいつまでも通用されると困ります。「自分等の暮らしに有用かどうか」の基準で見られないば、いずれバカを見るのは自分自身、物差しの使い方・見方を検討いただければ、と思います。

最強硬に振りきって解決の道を閉ざす事例が相次ぎ。この場合放置するしかない。

 いわゆる「エアリプ」的に記してきた二つの案件。そこに関わるすべての当事者と、それを利用して革新的、民主的な活動をぶっ壊したいと願う反共主義者には軽蔑しか覚えません。様々アップロードせなアカンものがあるのは承知していますが、軽蔑しか覚えない輩の行動ではそれをされたくないです。いずれとことん壊れるまで喧嘩すればいいのではないですか。

群馬・草津町に対する人身攻撃及び恫喝には与しかねます。

 やることが「持っている権力に寄りかかってマイノリティを潰しにかかる■■」と変わらないんです。脅迫や恫喝は。その行為が「権力に寄りかかって非多数者をなぶる■■」と戦う道をなくす。ご考慮を。

とことん壊れるまでやれば。その醜さは教訓にする。

 ある問題について思い立った言葉はこれでした。何でもかんでもオープンにすることに解せない思いでいましたが、「オープンにしたら“敵対勢力”の手も入る」危険性を指摘されていた一文を見て「なるほど」と思いました。

 「ある問題」についてはどっちも味方しません。自身の行動の結果生じた惨状を見て愚かさを思い知ることです。そして「生じたor生じる欠陥」は早めにどーにかする方向性で物事考えるという気風をつくっていきましょ。

ある出来事について。

 すみませんが両サイド及びその地域ともに支持も応援することもできません。

 弾圧、牽強、愚行かます側も、なりふり構わず…を超した行動した側も。そして過剰に熱くなり地域内の誰にとってもイラつきの残る結果になった。

 系統だった経過説明がほしい。でないとどの立ち位置の人にもくめない。特に位置の近い方にはそれを強く望みます。

12月になりました。記事製作の間隔空きます。

 11月までは何だかんだ言いながらSNSの記事をつくってきましたが、12月に入ると一気に日程が詰まってしまい、製作環境が失われます。年末のまとめ記事をどう書くか(野球は書き残し記事も)、てな段階ですね。「どーしても」という場合は集中して記述しますが、そうでなければマイペースで記します。

「高齢者1000万人殺せば」…永江一石発言。お次は何だ。当然蹴飛ばす。

 永江一石(@isseki3)の2020年11月30日15時11分ツイート。「誤解されるのを承知」の後に「基礎疾患ありの高齢者が1000万人死ねば現役の社会保険料は下がり、景気は爆上げ。現役世代の手取りが10%増える(要旨)」と述べ、それに賛同する&反対者を袋叩きにするツイートがこれでもか、と並んでいます。
 若者のためとか医療費のためとかおためごかしはいい。自分が生きたいためか知らんが他者に死を要求・命令する姿恥ずかしくありませんかね。ここ数年進まされている「弱者は死ね」路線にまんまと乗って。
 その虐殺思想は、いずれは自分にも廻るでしょう。虐殺施策は対象を限定したところでその壁は破られる。自身に刃が向けられる前に気づかれては、と願うものです。