つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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ジンバブエとカンボジアの政変。別な圧政から解放されても道を間違う様子に。

 今晩は。昨日今日の大船渡の所用終えて帰宅しますが…雪は止みましたが、道路は凍ってしまいまして、帰宅中には一台横倒しになっているのも見ました。特に橋の部分はツルツル行きやすいので、ほんに皆さん気を付けてください。タイムラインは断続的に。お付き合いよろしくお願いします。

▼社会活動で気になっているのがジンバブエカンボジア。いまジンバブエでは長年独裁者として君臨していたムガベ氏が、その位置を追われそうになり、一方でカンボジアでは国を破壊した独裁者の後に権力を握った者が野党を排除する案件が起きています。ムガベ氏もいまでこそ独裁者ですが、昔は違う圧政から庶民を救った英雄と言われたりもしました。カンボジアポル・ポトの圧政の経験を考えればそれを繰り返すような真似はできないはず。それでも長年権力の位置にいて、当たり前と思うようになると何かが麻痺するのでしょうか。

 ここで鍵になってくるのが「憲法」。考え方の差異などはあれど、ある一定水準からはみ出た政治をさせないという権力に対する取り決めが憲法の役割ですが、いまの安倍政権は「やりたいことの枷」としてしか見ていない。故に変えたがる。

 この様子を見ると更に別な光景を思いつきます。

 「反対意見をないがしろにした強行」が、社会をも壊した例としてのスターリン時代のソ連。何分党大会の代議員を始末して、意見潰してしまいましたから。こんなものを「民主集中制」の特長なんてとられたらいい迷惑です。

 何にしても、省みる機会を失わすことは将来の「破壊」生むでしょう。考えるポイントとして2つ。

1)「社会の中」にある異議申し立てにどう向くか。

2)権力についた側の「暴走」をさせない社会をどう作るか。

 正直、いまの日本は他者を笑うことはできません。他山の石とせずに、とらえていく必要有りと申し項を終わります。

「謝罪したそばから攻撃」−そこから更につけ上がり。私伊東の愚行は詰られてやむ得ないが、対抗手法を見出だしたい。

 今晩は。

 冬が近くなり、雨も冷たくなりました。天気予報も下り坂で、明日のリアスカップ、無事にできるでしょうか心配に。そんな中でちこちこ書きためての記事です。お付き合いよろしくお願いします。

 17日付けの記事で言うのも難ですが、18日の赤旗紙面を見て、半分は驚き、もう半分は「来ると思った」と思う事象が記載されていました。プリントバックによる労働組合に対する敵対行為。今年始めに和解したが、舌の根も乾かないうちに「こう来ましたか」。こういう事例をあちこちで見るようになったのは気のせいですかね…国会でも散々暴言ぶちかました議員が謝ったそばからケンカを売る行為をしていまして。そのまた別箇所では「ごめんなさい」のすぐ後に憎悪掻き立てる一言を放つ。ここまでくると、謝罪すらなんの効能も持たなくなる。大体、謝ったすぐそばから殴りにかかる行為。重ねられたら怒るしかないでしょう。

 まとめていえばここまでに記載したことにつきますが…何なんですかね。重ねて述べていますが、9月以降の拙稿タイムラインでは攻撃的な記述を多くしていましたが、事実上それが無意味、かつマイナスの効果しか生まなかった。ここまでタイムラインではこの形で書いてきましたが、実際はこの言葉では収まらないくらいに様々なものをズタズタにしました。

 が、ヘドをはきたくなるような言葉を使う連中はちっともこたえない。なんの反応もない。「傷つくのは自分の方ばりでおもしろくない」という感情でよりこじらせて、酷い様になりました。

 直接やり合うのは疲れました。

 でも「泥投げつけて面白がるやつら」に屈したくない。

 どこかでキズになってますかね。「自分が気づいてやれなくて救えなかった、災禍を見届けるしかなかった」数々の行為を。特に9月の「関東大震災朝鮮人虐殺否定と関連しての憎悪掻き立ての行為」。更なる変異を許したらマズいと思う気持ちが強くなり。

 正直、傷つけることのみを目的とした一文は「相手にするだけバカ」。しかし、文章が…文字が現れているだけでもう既に世の中に発信されているわけです。それを見過ごしたままにしておくと、発せられた文章は頭の中にスルッと入ってしまう。そんなこんなの言論状況の結果が「言っていいこと悪いことの区別もつけられない連中の全盛」に繋がってしまったかと思うと、悔しさ以外の何の言葉も出ません。

 私自身が失望買った結果には「自業自得」としか言い様ないからだけど、ほんに何か手がないか…

▼ここ3ヶ月の世の中の流れから思ったことをガサガサ書いてきました。私の態度が態度だからフォローしていただく資格はありませんが、あるテーマの検索が変な方に誘導されているのも事実です。少し前に「自分の周りがその空気に侵されていく」という悲痛な意見を目の当たりに。ある程度の「行ったり来たり」も、その限界点を超えると取り返しつかない事態を招く危険があります。自分の人生の基本は外さずに生きますが、方法の模索はこれからも追及します。17日分はここまで。お付き合いいただきありがとうございます。

国連の「高校生発言」に圧力をかける「核大国・中国」「妄執的政権支持者」二つの潮流。

 今晩は、伊東です。

 今日はワンテーマで。

国連核兵器廃絶を訴えようとしていた高校生に圧力をかけたのは中国…数年前のアジア政党会議の時にとった「大国主義的態度」から不安視はしていましたが、いざこういう形で現れると怒りと反感しか覚えません。本当に「巨大な爆薬庫」に堕ちたいか?

 この件に関して“も”当て付け…来ますか。どーせ「ちゅーごくもこーこーせーも…」てな類いでしょうが…「こいつ殴りたい」最優先のやり方、どうなのよと。“キライな奴”を叩くのに執着するあまり、「その意見、まま通したらただのクズですね」というものに力を貸してしまう、おろかな行為に助力してません?

 原爆の被害を受けた国の市民が、まして先長く生きようという若者が、その障害になる核兵器を無くすべ、ど。そう訴えるのを邪魔するなら、政府はその盾になりなさいよ。助力するから批判されるんでしょうに。ちとね…「理由があって対象を批判する」のと「対象を批判するのに理由をこじつける」行為がいっしょくたになってないかな、と思う場面が多いです。似ているようで実は大違い。無茶な難癖は大体ここさ来ますね。頭痛いです。

 増長と萎縮がどこまで続けられるのか。どんなに「安倍政権に逆らうな」言われても、実際に生きる足場壊されてゆるぐないのは“あなた達”だし、その苦しさから逃れるために「マスゴミやパヨク」攻撃したところで、実際どんな作用果たしているか言えば「脱出用のハシゴをせっせと壊す」様なものです。

NPBトライアウト―行為の重大性と、それでも止めてわんない再起の道。

 今晩は。SNS分離してからカテゴリ分けの考え方がこわばっていて、そこに総選挙だったでしょう。いきなりプレスかけられたような感覚になり、様々あって様あ見ろてな状態になっていました。今日は題材は野球、記述内容は社会的なものになります。お付き合いよろしくお願いします。

 今年のドラフト会議。指名された選手のプロフィール見てみると色んなルーツを持つ人が増えまして。名前見ただけで「色んなどっから来ているんだな」というのがわかるものに。改めて「自民族中心主義」の狭苦しさ、アホらしさを感じます。

 今日はドラフトとまた違った緊張感を持つトライアウトが行われました。

 記事の中に驚きの名前がひとつ。

 今年8月にバファローズを契約解除になっていた奥浪鏡選手の姿があったことです。奥浪選手は無免許運転→さらにその途中に事故。はっきり言えば許されないものであるのには間違いありません。

 そんでも「道は閉ざすな」というのも、同時に考えていただきたい気持ちもあります。今回のドラフト指名選手の中でも1人、スワローズに指名された沼田拓巳投手。一度MLB機構に行った際は踏まえる手順を誤り、社会人野球・JABAからの除名に至りました(この件は後述)。その後約4年、MLB傘下→日本独立リーグと渡り歩いて、150キロオーバーの本格派投手として台頭、NPBからの指名につながりました。MLB傘下から解雇されたときに「折れてくれるなよ」と願いましたが、ここまでたどり着いたのに安堵しています。

 奥浪選手について書かれた記事を見ると、事件の以前にも「ここまで成長するにもなかなか大変だった」趣旨の記述が。それを足りないと言ってしまうのは簡単ですし、したことも重大で相応の罰は加えられるものですが、再起までは否定してわんないでしょ。それが受け入れられるかどうかは本人の行動次第。

 NPBに入ることそのものが簡単なものではない、けど多くの人から見られてもいる。そんで「やったこと」―それはきちんと償って、乗り越えた上で奥浪君が「次の道」へ歩みを進められることを願います。野球の世界も、痛苦の経験何度もありますからね…。去年NPBから離れた山口嵩之君は今年に入ってから入社した会社で頑張っていることが記されています。フェズント岩手から独立リーグに挑戦した庄司君もいまは関東で元気でいるようです。ひとつの挑戦は終わっても良ぐ生きていられればいいです。以上、記述終わります。

PS→沼田君の記述の部分で追記。記事の書き手によってはJABAの除名をネガティブに書かれる方もいますが、21世紀始めの野球を取り巻く環境激変(企業チーム減、クラブチーム増)を経て各方面に配慮した上でのルール設定を外した行動の「結果」であったことを記しておきます。

国会質問時間は「与党1:野党2」も実質削減。

 今晩は。野球の記事書く際はどうしてもこっちの方の記述が薄くなります。

 国会の質問時間についての話ですが、報道によれば「与党1:野党2」という配分になりそうな話ですが、正直も不正直も不満です。質問時間削られたのには変わりありません。国会会期にしても舐めた態度をとり続けていますからね。本来認めていけないものをふっかけて、さんざんイラつかせて、その上で実利と「同情」を得る。同情…「与党も譲って“やって”いるんだし」、という類いの。「権力」に対しての甘さがあちこちで目につくな、と。

 別のツイートで「子どもにとって身近な反抗持つ相手が先生や親、マスコミ…だが、その認識も古い」と。また別なツイートでは「安倍首相を“自らの代表者−スポーツの日本代表、とか−”として見ているのも」と。ふむふむと思いながら見ました。総選挙終わって3週間の観測範囲だけでも、「所詮は“オトモダチ”だけにしか目線をやらない権力者」でしかないことが明らかになっている安倍政権。それが何で長生きしているのかいえば「それ以外の存在の否定」に突っ走っているから。選択肢をひとつにすればいいと。意見立ち位置違うからこそ、踏むべき手順踏んで広い賛成をとったり、反対意見少数であってもそれを可視化して「負の面が出た時の修正に生かす」―なんてこと、やらないんですね。何も、何もとやられてばかりいると、折れたくもなったり。

 でも、折れたら終わる。

 SNSで特に顕著ですが、「その場かぎりで勝っておけばいい」てな空気が蔓延しているのが。特にツイッターは日本語140字ですから。目に入る範囲ですべてを表せない。個人の力には限度も。それでも「折れていられない」です。

 季節風というやつですか。天気がほんに変わりやすくなってきています。お体ばかり気をつけてまいりましょう。お付き合いいただきありがとうございました。

葛飾区議選・排外主義者の当選許す。生活保護受給者への攻撃を懸念/国会質問時間の件。仕組みを見ながらのお復習。

 お晩でございます。毎々日ごとに陽がくれるスピードが早くなって、洗濯物も乾きづらい季節になります。家事にひと手間、ふた手間かかる季節になりますね。皆様はいかがお過ごしですか。今日は野球の方の記述を優先します。お付き合いよろしくお願いします。

▽東京・葛飾区議選。「外国人生活保護排除」を訴えた鈴木信行氏の当選を許してしまった。 いつ

 「外国人の生保排除」※これ自体間違い

 が

 「生保受給者を“外国人”呼ばわりして排除」

 に行くか。排外主義者でもある鈴木氏および後援勢力の動向は厳しく見ます。

◇…国会質問時間の件。与党は「職権」で押し通したいようで。与野党比でも問題ですが、そもそも質疑時間そのものも激減。質疑時間のみに注目集まっていますが、そもそも法律の制定過程の中で野党が互角に渡り合えるのは質疑だけ。あとは与党側が圧倒的力を持つ仕組み。

 国会の報道で「森友・加計」が多く扱われていたから、「もりかけしかしていない」という言葉を投げられていますが、国会は約20の部門別委員会に別れて、それぞれの場所で質疑をしているので「もりかけしかしていない」は誤解。

 続いて「野党は与党の文句しか言わない」というのもよく出ますが、議案は「出された法律案に対して賛否を問う」ものであり、「ひとつの問題に各党案をたたかわせる」ものではありません。故に傍目からは「与党の〜」言われますが、仕組みがこうなっているのをご理解ください。

 で、質問時間ですか。「与7:野3」だの「与5:野5」だの言われていますが、この時間の中には「答弁時間」も入っている院もあります。半々と考え、議院内閣制で内閣≒与党と考えると発言時間は

与7野3→17:3

与5野5→15:5

与2野8→12:8。

 …と、ステップ踏んで説明すればこの通りですが、これでも「めんどくさい」。一目で入らなければならないこと考えると「なーに議席数比例にすればいいじゃん」に押しきられてしまうんですね…。

 こんな無体がまかり通るようになった社会。与党&同支持者の増長。ここ数年、安倍政権一強言われる社会ですが、選挙をすれば…票数だけで見れば与党非与党の差はないんです(補完勢力混ざれば変わりますが)。それがこんな差つくのは小選挙区の特性。“向こうさん”に言わせれば「ゲームの特性つかんでそれに勝っただけ」なんだそうですが…。

 他にも自衛隊基地の写真撮影に関するトラブルがあったり、葛飾区議選での排外主義者の当選と生活保護受給者への攻撃激化の危険性など、気にかかることはありましたが、記述時間の都合もあり、今日はここまでにします。お付き合いいただきありがとうございました。

思いと実力の差、物量の差を見せつけられても。

 今晩は。今日は前置きなく本題いきます。

 「能もないのに何でもかんでも突っかかる。バカか」

 自称賢者様からよく浴びせられる言葉ですが、この常套句、飽きました。

 無能は黙れ、低能は黙れ、無知は黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ…。

 黙っていたら「配慮」してくれるのか。そうじゃないだろ。黙った分だけ踏みつけに来るだろ。嫌なものは嫌だ、下らないものは下らない、しつこいのはしつこい。それら語って何が悪い?もちろん相手に届かす話の仕方は必要でしょうが、明らかな攻撃の意思しか見せない者には噛みつき返してもいいのと違いますか。

 「トーンポリシング」という言葉を最近覚えましたが、そんな上品な言葉で言うより「言葉の暴力による封じ込め」で片着くのでないですか。

◇その一方で。人生通じてですが、人生の手法、一人間としての実力をつけきらないまま世の中に出てしまった。これだけ悔いを残している。社会活動などをするときに「お前は〜だから、実力ついてからやれ」、と。ま、当たりでもあり、不正解でもあります。

 実力をつけろ…は間違っていません。

 ただ「現状を見て、意を発する」行為を封じていいのか。

 突っかかってはコテンパンにのされてくるから、その姿見ればみっともないと思うでしょう。している自分でも「まとも」な行動とは思っていません。それでもね、黙ったままでいると図に乗る。どっかで分からせないと、気づかせないと、それが“標準”になる。

 …と。思いはありますが、個人でのみそれを続けるには限度あります。定番的なデマやら何やらに専門で対応する部門、あってほしい。もはや個人の善意だけでどうにかできる範囲を越えています。まともに「論戦」すれば消耗する。無視すればつけあがる。

 どうしたらいいんでしょうね。