つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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44歳の誕生日、人生45周目に入ります。おつきあいに感謝しています。

Facebookを基本にして他2ブログもほぼ共通の記事です。ブログでは目的に応じて記事を掲出しています)
 こんにちは。12月15日をもって私伊東勉は44歳を迎えました。34歳すら越えるか危うかったのが、なんとかかんとか10年の年月を重ねることができました。関わりを持っていただいた皆様にお礼を申し上げます。
 10年前の心筋梗塞発症時には携帯プリペイドの回線を保つので精一杯だった暮らしぶりも、いまは「当時から比べれば数段上」の生活ができるようになりました。しかし社会全体を見ると私のひどい状態だった頃の生活がまだマシだと思ってしまう状態になっているのが残念です。
 社会活動に関わってから25年、四半世紀がたちますがかき出してもかき出しても完全に水が抜けないボートにいるような感じで、何だよ思うこともありますが、存在失わないように歩き続けてまいります。

 2019年はこれまでとは違う箇所を歩く機会が多く、「俺の知らねえ物事はまだまだまだまだあるんだなあ」と思わされました。冷静に考えりゃ「下り坂」を多く見る局面多い歳ですがそれを考えると気が狂いますので、有る中で存分に生きていくことにします。
 おつきあいいただきありがとうございました。
 
 

フラワーデモ・おそれていたことが埼玉集会で起きてしまいました。

 性犯罪とそれを軽く見る、場合によっては被害者を蔑視する傾向すらある社会に「性犯罪を許さない」と行動を呼びかけるフラワーデモ。被害当事者が「性犯罪をやめよう」と呼びかける形式で、それまでこの種の行事を主催したことのない方が模索しながら運営されています。
 私自身、一度この行事に参加し、図々しくも発言までした経験を持ちます。はっきり言えば「異色」ですが、性犯罪被害者には男性もいますし、その当事者のお話も聴いて、そっから至った考えは「嫌がることすんな」。そう思うだけでも紙一重を越えさせない力にゃなるはずですが、今回の埼玉集会ではその願いすら踏みにじる行為がありました。
 不心得な参加者による「集会の目的を逸脱した暴言」がそれ。感想は「ふざけんな」以外ありません。「表に出る以上リアクションは避けられない」とご認識になられるのは勝手ですが、うつけの行動には「うつけ」という必要はあるのでないですか。運動が発展するにつれて意図的にせよそうではないにせよ妨害者は出てくるので、その行為をも乗り越えてられるように努めます。

 少し前に「譲りすぎは考えもの」という意見を述べましたが、早速その“悪例”を世耕氏のテレ朝&蓮舫氏に対する圧力で思い知ることに。長い間攻勢を食らっている萎縮効果があるにしてもあんまりな話です。目線を合わせることと立ち位置を譲ることは別な話です。そこを語りまして項を終わります。

川崎市ヘイト条例。せめて批判とヘイトの区別を/玉沢氏銃撃。

 川崎市議会で成立した対ヘイト対応の条例。ヘイトを言い放ちいい気分でいた勢力が反撃を試みていますが、所詮は致命的な欠陥を放置してのざれ言なのでちっとも効きません。少なくとも「批判」と「ヘイト」の区別がつかない限り。
 今回、川崎の条例を嫌がる人らが持ち出した理屈は「日本人ヘイトを許すな」。はて、日本人ヘイト。ああもしかして日本社会や日本の権力者に対す批判のことをいっているのでしょうか。一緒にせんといて、というのを混ぜられると困ります。拙稿では幾度か述べていますが、いまの「多数派」支持者には、強者の威を借りて虐める側に立ちたいという趣の人が中心にいて、自身が威張っていられる場を保持するために「敵」をぶっ叩く。そんためなら社会全体で培われた認識を反動的にひっくり返すことをいとわない。批判の体をとってデマを流して「敵」を叩き、「敵」からの批判はでかく短い主語でデマと片づける傾向があります。
 あとは多数派の引力で踏みつければ…というのをくりかえして8年。安倍首相の近隣以外は「権力者への奉仕者」にさせられているというのが現状。理由が何かは知りませんが、「自分は良い位置にいよう」と反対者の存在をおとしめる行為―殊に「“反対者”の逆が正解」とする行為には軽蔑以下の感情しかおぼえません。当方は「理由があって意思を述べている」のであって、「意思に合わせて理由をつくる」言論と噛み合うわけありません。
 この際ついでに述べておきますが、いよいよ「自身」に影響が回る段階になって「これは野党が〜述べる傾向がありますが、所詮は「どうせ止められない→悪いのは野党」と導く自慰行為のダシ。純粋な与党支持者より性質が悪いというのは指摘しておきます。

 さあ締めの言葉語るか…と思ったときに自民党の元議員・玉沢徳一郎氏が銃撃を受けたという一報が入りました。個々人の人権尊重の面からも、対権力闘争の面からもあってはならない行為です。この事を申し述べて項を終わります。

「対権力強者」で抗おうと思ったら自分から譲る行為を慎んで下さい。

 10年前に一定の力を持っていた人が「一刺し」でガタガタにされ、大きいキズを負った…ていう話を聞きました。別カテゴリでもそうですが、いったん大きい断層ができると、対応に大きな力が必要になるという様子を見かけるので、ほんに「維持」する取り組みだけでも大変なんだな、と思わされます。

 今年もあと20日ばかりですか。「社会活動がしんどいからやめる」というSNS記事を見かけたのが一年前の今ころです。「“敵対”がつらい」「対立より協調」を理由にしていましたね、その方は。今年一年通じてもそのキーワードが頭に残りまして。一定の経験なり学識、あるいは経験を踏んでも力学的に不利な側が優位な側に抗うのは楽でなく、そこに「闘うためのとっかかり」を壊す、あるいは自ら手放させる圧力がかかる→結果闘う術を無くしてしまう光景をこの7年、嫌というほど見せつけられてきました。
 一例挙げれば「公選法“違反”」呼ばわりですか。2010年代、SNSで腐るほど叩きつけられてきた「公選法“違反”」呼ばわり。これまでの公選法改悪は自民党以外の政治勢力の口を塞ぐためにしてきたことで、その中で最大限できることを模索してきたのが実情なはずですが、時間は「階級闘争の歴史」を押し流すのでしょうか。あえて言えば「圧力に屈する」行為が散見されるのが非常に残念です。
 自分から手を縛られる行為を“是”としますか。
 私も社会活動して25年なります。25年もあれば、大分変わることも多いな、と思わされることはありますが…ありますが、それだけで収められないモノもあります。納めるために自分を変えちまう、という考えができませんでね。なんとか心を折らせようという動きはなんぼでも見えますが、そのリクエストには答えてやらずに生きていきます。
 おつきあいいただきありがとうございました。

誹謗につきあわず「9条のできること」示していく/気候変動の話少し。

 案の定と言うか。

 アフガニスタンでの銃撃事件を受けて9条護憲派に対して否定ないし転向を促す一文がずらずらと現れています。特に元北海道議O、政治評論家K、小説家Kの発言には軽蔑を覚えます。ああまで否定論ぶった上でお悔やみ言われても「お為ごかし」にしか見えません。

 9条は直接の実力行使を防ぐ力はありませんが、その実力行使を起意させない、あるいはネガティブなことがあってもそこから戦争に持っていかせない作用を果たしています。日本も富国強兵からの帝国主義的増長→国家破綻という経験、あるいは武力の応酬につながりかねない行為を非戦争で収めた韓国・北朝鮮の経験に学べないものでしょうか。

 近隣への猜疑心をこじらせ、神経とがらせ過ぎてあらゆるモノが敵に見えてしまう、あるいは敵意を向けさせる行為をしてしまう。日本も陥ってしまっている“渦”をはらっていかにゃ、関わる人をすべて傷つけるだけ。不法行為をはたらいた者には相応の罰を受けてもらうのは当然。しかし、その罰は「戦争」によってなされるものではありません。問題解決に軍を使わないという9条の役目はこんなんではないでしょうか。

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 今冬初の積雪はいきなりハデに積もるものとなりましたが、それでも「いままでは8メートル積もっていたのが4メートルになった」などと、気候変動の影響をうかがい知る新聞記事も見ました。自分の半分くらいの年齢の方々が「自分等が良く生きる環境を」と行動されていますが、私ら「元半分の歳」メンバーも気づいたどっから歩いていくとしましょう。

 おつきあいいただきありがとうございました。

中村哲さんの件。

 凶報を聞いて一晩、二晩。

 悔しい、しか言葉がない。

 中村哲さんはじめ、この件で犠牲になられた6人にお悔やみを申し上げます。

 こっからどう歩くか。

 撒いた種を生かす方向で。

 諦めないでいきましょ。

社会保障受給権利―生きるのに「条件は無用」だ、の中身。

 医療費の高齢者2割増加案が打ち出されましたが、ヤフーコメントなどによる反応では、すぐさま「生活保護受給者の医療扶助を廃止しろ」というご意見がズッカリと乗りました。受給者の多くは病気などで収入を得る力を失った人たちだというのは少し考えればわかることなはずで、それを知っていて石を投げつける行為には唾棄の想いしか抱きません。その考え方は高齢者・生活保護受給者両方とも救えません。

 で、社会保障受給者に関する施策対象者の話になると「日本国籍限定にしろ」とか「“不良”受給者は対象から外せ」とかいう言葉が飛び交いますね。それに対抗するように出る言説が「日本の社会に関わり、税金も払っている」ですが、ある発言者の一言にハッとさせられました。

 「日本はそこにいる人に人権が認められている。それだけでいいはずだ(要約)」

 …これまで是としていた「税金〜」論も甘かったようです。ドイツナチス政権時代にあったT4作戦で、虐殺対象から避けるために「ある仕事ならできるから対象者にすんな」てな対処法があり、少なくない人が救われましたがそれだけでは「まだ甘い」のだと思い知らされました。

 社会保障の棄民施策は14年辺りに決められた方針・閣議決定によるもので、最近は「代案」すら出さず削る方向にだけ力学が働いています。政権を変えなければならないと行動する理由はこの部分でも、です(閣議決定閣議決定でなければ覆せない)。

 おつきあいいただきありがとうございました。

存在することの必要性―JR労組のたどった道から。

 今年に入ってから「反収奪、反貧困」の立ち位置を維持するを強く意識した記述をしています。いまはまだ利いている楔があるから抗うこともできますが、追い詰められた人間は何をするかわかりません。今まで使ってきた手法で逃げ切れない、となれば「それ以上」をためらわないのがいまの権力者。当人の姿勢とそれを甘やかす存在と併せて。

 更にもうひとつ言えば、これまでに書かれることのなかった文面が露になったこと。社会問題に関わる記事で「多数派と違う位置にいることで自身の生活に影響が出る」ようになった、との記述が。様々な手段で「ひとつの考え」に誘引する動きがあり、そこに深く絡めとられた人はそうでない存在を敵視するに至る。アンチ野党の方々が「日本の反政権はぬるい。もっと痛めつけられるのが常道」と語っていますが、この手の行為は現れたら「制動なければ多数派・他力派の重みで一気に傾く」ものです。

 2日TBSラジオ「session-22」で国鉄民営化→JR労組の行方について語られていましたが、印象的だったのが「生き残る」ために多数派に組み込まれた結果、最終的に組合自体を壊された…という話。正直、“自分”所も言われている部分ありますけどね。様々考えさせられますが、「痛覚神経のない社会」の怖さにゃ気づいて、と思います。

 自分の思考回路とは別に「良すぎる物わかり」には疑問を持っています。度々そういう方から「争うのはおろか。少数派は多数派の補助に回れ。敵対するな」言われましたが、それは結果「善意の少数派踏み潰し」になりませんか。考慮いただくことを願いまして項を終わります。

空白・余地の縮小と社会の空気。

 11月に入って、よく寄る店の営業時間短縮を耳に。ちょうど削減される部分に寄っていたもので「時間調整どうすんべな」と困惑してますが仕方ないかな、とも。夏に寄った埼玉の古本屋さんが語った「夜に人が寄らなくなった」と語っていたのを思い出します。夜に起きるのがしんどいのは夜勤十うん年やっていた私も承知なので、夜寝られる社会になったのはいいのかな、と。ただ、またひとつ「居場所」がなくなったのがな…とも思ったりします。

 昔、24時間営業の店がコンビニ含めても多くなかった時代、店は閉まっていても、代わりに人が集まれる場所は存在していました。大船渡で言えば立根、越喜来にあったオートスナック。北上市には国道4号線北端、南端近くにありましたか。どの街にも何ヵ所かそういう「避難箇所」はあったものでした。

 いまはそーいうのが見当たらなくなっている。

 金がそんなになくてもボーッとしていられる箇所が消えつつあります。

 「時代」かなんか知りませんが、息苦しいですね。

 あるひとつのレール以外は極端な異端視を食らう。以前に増してラジオでさえも聴く時間が減りました。そんでも、存在できる条件がある限り一所懸命生きるのみです。おつきあいいただきありがとうございました。

適応力が仇に―中曽根→安倍政権の「市民生活破壊」施策。

 前回記事で中曽根康弘氏の逝去についての雑感を記しましたが、批判者に対して「お悔やみも言えないのか、黙れ!」と青筋たてて怒鳴る方が。彼らの大多数は土井たか子氏など社会・社民党議員逝去時には喝采を浴びせた方々。批評と嫌がらせの区別、つきませんか。

 更に「中曽根氏の施策批判を安倍批判につなげるな」というご意見にも疑問点つけざるを得ません。明治維新以降1945年まで続いた帝国・全体主義の立場に引き戻す政治を行ったのは両者共通。なぜ「つなげるな」になるのかわかりません。つながらざるを得ないでしょう。

 中曽根氏は一般人じゃなく首相経験者。権力の側にいて生殺与奪を握る立場にいた以上、行為について何のかの言われても仕方がない。それ以前に嫌がらせと批判の区別がついてほしいと思いますが、それは高望みでしょうか。

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 気がつきゃ今年もあと一ヶ月。心筋梗塞起こして10年、もう少しで44歳を迎えます。資料整理していたら1949年の記事で今でいうハンセン病患者施設で戦争末期から数年にわたり患者保護を放棄していた記事を見ました。中曽根→安倍政権と続く市民からの収奪による国家主義の帰結はこんなんだ、というのを見た思いです。当然こんなん繰り返したくありませんので、“洪水”に流されず、変な適応力見せずに抗っていきます。おつきあいいただきありがとうございました。