こんにちは。12月24日はいかがお過ごしですか。年末進行で忙殺する中ですが落ち着いた時間も取れればと思います。なお、写真(後に追加します)のケーキはスタッフが美味しく召し上がりました。
>スライムくん「このおぢちゃんひどいよーぼくのけーきえ゛ー」伊東「食えんからしゃあないでしょ苦笑」
◇あまり絡めたくもないが…「アパホテル社長」「小泉進次郎」という単語がスポーツ新聞に。「侵食の危険性」ちょっと気を付けて物事見ておきます。しばらく前までなら「ここまでは…」というのが、次々破られているから。
頭に血が上っている状態のときに「正論」ぶちかまされても「それがなんですか」としかならないのはままあります。目にはいるものしかとらえられないから、そこから外れたものにハイそうですかと即応はできない。そうなったら投げられた泥は受け止めるしかありません。場所が場所で代替手段に乏しい、だからストライキはやめろ−という方向から批判する方も多く、ある種「抉る」ようなことを言われる方も。立ち位置から言い返すこともあり得ますがそれは止めときます。ただ泥を受けるしかない。
泥を受けるしかない。
受けても‥‥‥です。
ただ、ひとつ言わせていただければ「中立」「両天秤」あるいは「どっちもどっち」…どれでもいいですが、両者均等でモノを見るというのは、結果としては強者・権力者に優位に働く。それだけはご認識願います。ストライキの問題だけでなく、他の社会的問題でも。特に80年代以降、労働組合運動の破壊が進められてからずっと、経営者側・雇用者側が優位を握る状態が続きました。それを可能にしたのが「労働争議は迷惑だ」論。そこに勤勉の短所の方が重なって「便利な社会」になりました。その便利さは労働者の負担で成り立っているのを忘れて。
ストライキで影響被る人が怒りのツイート・発言するのは止められませんし、直接押し潰しにいくような真似はやめましょ。傷口広げるだけだから。
ストライキ支持者はその立場で述べていくだけで。
場所がらのしんどさがある、ということは留めますが、それが「何してもいい」には…あまりつなげられたくないです。経過は見守っていきます。
◇いま、高校バスケ一関工業の試合を見始める所ですが、背番号が自由番号制になっていたのには驚きました。32だの24だの、ロースターには99も!市民リーグで4番着けていたものとしてはなんとなく複雑(※専門外の競技で監督していたのでその部分考慮していただいての4番です)。
外はさめさめと雨が降り続き、ホワイトクリスマスとは縁遠い気候になりました。年末気をつけて歩きましょう。お付きあいいただきありがとうございました。