つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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逆転の芽を手繰るとすれば―労組大会参加後思ったこと。

 23日は「もうひとつの主題」の中心的行事がありましたが、社会活動でも個人加盟労働組合も総会があるので、行動としては後者をメインとした行動に。土曜日は3月開催予定が延期になっていた東日本大震災復興のつどいが久慈で行われるので日程としてはかなり混むものになりました。

 いまは「歴史反動・資本収奪主義」安倍政権が力を持ち、その力に依存して専横ぶちかます輩もいて、正直左派言われる存在はかなり誹謗されているのが実際です。それでも確信に持っていいのは「存在を失っていない」ということではないでしょうか。「その気になったら」の力任せも許していない。「発言出力のデカさ」はあるのでしょうがそれでも破壊は許していない。

 自分等が優位に立ちたいがために“存在意義”“手法”の根本を叩きに来ていますが、それぞれの意味を認識できるようになったら…「逆転の芽」はそこにあると考えます。おつきあいいただきありがとうございました。

「必要なもの」を壊し、「やったふり」で補う行為が救い様ない状態を生む。

 GOTOキャンペーンを実行する段になってその事務局がない、という様。すみません、これをどう擁護すればいいでしょうか。自分の中にある良心も壊してまで意見の違い以前の愚行につきあいたくないです。「それでも擁護する」のは勝手ですが、そのどうあがいても結果を引き受けるのは社会全体です。ご考慮を。

「通常状態になる」ことの必要性と、それすら収奪する社会に―高校野球や三浦春馬さんの件から。

 昼間は掃除洗濯余計なことして再洗濯という1日を過ごしていました。見ていた高校野球(盛岡三―水沢商)はシーソーゲームで最終的に水沢商が勝ちましたが、途中盛岡三が2本塁打で水沢商を突き放しにかかりますが、都度都度水沢商が気負わずに姿勢立て直して逆転に持っていったのが勝因かな、と見ています。
 ネガティブな場面突きつけられたあとにどういう姿勢を見せるか。私にとっての正解を発見したのは数年前の人気マンガ『黒子のバスケ』。ウインターカップ決勝で序盤からゾーン(身心最高潮状態)に入っていた火神が相手エース赤司に勢いぶった切られた際、先輩のチームメイト水戸部&(通訳※)小金井に声をかけられたことで、余計な気負いがなく通常状態に戻れた、というシーンがありました。それ以来バカはバカなりに「気負わず通常状態に」というのを意識するようになりました。
※→水戸部は完全無口。友人でもある小金井が“通訳”する。

 三浦春馬さんの逝去が伝えられました。以前から思っていたことですが、いかな人気商売とはいえ「忙しいときは詰め込むだけ詰め込む」という「通常状態になる暇すらない」傾向には疑問を持っていました。身心を守るセーフティルールは無いものか、と。ひいては社会全体も「回転」が早すぎないか、と。言うなれば「鉄板の上で踊らされる被支配者」…もう少し「回転」緩められないものか、と思わされます。
 今週は週後半に「労働組合」「被災者団体」ふたつの所用が入ります。どーいう状況になっても存在することを棄てなければ打開の道は手繰り寄せられる。「“日本社会”に降伏しろ」という同調圧力には決して応えてやらずに、しぶとく生き抜きます。おつきあいいただきありがとうございました。

野党共闘の“軸”を間違わずに。

 近隣の出来事でふたつ。

 れいわの“命の選別”に関する騒動。

 共産党後援会で志位委員長による「共闘する意味」の提起。

 数だけ考えるなら維新でも「有象無象」でも混ぜればいいのでしょうが、それやったんじゃ最終的には大政ならぬ“大勢”翼賛会ですね。資本主義の悪癖「収奪」とそれで益を為そうとする輩の暴走を止めさせる共闘を軸にしましょ。

紙一重だが全然違う―ヘイターによる誤情報のばらまきについて(続き)。

 動画も見つけましたが、私の意見は変えません。普段から四六時中憎悪的思考をしている輩に信頼持つほど甘くない。大体本当にカウンターがいった言葉か?逆の立ち位置なら平気で同等以上の行為しますわな。カウンター参加者からは「言葉だけ丁寧にして他の行動で威圧・脅迫したこともある」という経験も綴られていました。百も千も「ゴミ」を撒いておいてたったひとつ返されただけで過剰な反応すな。

 そこまで言うならこうしますか。

 目的がヘイト拡散である以上、その場でとった行動は、たとえ生理的現象だろうがすべて批判の対象でしかない。そういう目線でしか見ない。

 それでいいですね。

紙一重だが全然違う―ヘイターによる誤情報のばらまきについて。

 川崎と沖縄でヘイト拡散を図っている勢力に対してカウンター行動が行われていました。川崎では対ヘイト条令が施行されてはじめての行動。ある種を抹殺に導くような行動には歯止めをかけていく―この路線はきっちり進めましょう。
 で、この話かたりでおかしいキーワードが出てきました。曰く『カウンターの連中が挨拶をしただけで文句を言う』と。は、なんだそれはと思ってくるくる基を辿ってみたら何らかのソフトを使って新聞風に伝えたデマ記事。もとのデマ記事もデマ記事で酷いものですし、そうと分かっていて「挨拶をしただけでヘイト扱いした」とわめき散らすに至っては何を言わんかや。          以外に感想の言葉はありません。
 今までやって来た革新全否定の結果、見事なまでに反動収奪思想の拡大となり、「実は生きにくい社会」を作り出しました。小賢しく生きられる人はそれでいいのでしょうがそういかない人も今のところ多数でして。ヘイト吐いている方々は「反多数派は騒ぐだけでなにもしない」とか述べていますが、当方は「有る事実に対して批判している」のであって、今回のようなデタラメやらかす輩のように「批判するがために事実を捏造する」ことはしません。事実も踏まえないででかい声出しゃ勝ちなんてのは勘弁被りたいものです。

今度こそ後悔したくない−10年前の父の件から。

 今回記事は7月7日にFacebookに記した記事を転載します。


 前回の記事では母の最期の1日についてふれました。なぜ「母の最期を悔いなく迎えさせる」ことに力を入れたか。それは父の時の「悔い」があったからでした。
 父と母は私が中学生の時に離婚。その後父は大船渡を離れ埼玉の蕨市に移ります。高校の修学旅行の時は東京駅に来てもらって涙の再会を果たしましたが、その後高校卒業の時に一度貰っただけで以後は音信不通になります。それから15年が経ち、父は働けなくなって社会保障の世話になることに。その際父が居住していた自治体(千葉県)から連絡文書が来て所在地はわかりましたが、間もなく私が心筋梗塞で倒れます。これでは何もできません。
 2010年。部分的に社会に復帰していた私は「機会を見つけて親父の所に行ってやろう」と。その機会は9月と設定し、別件の用事と併せて父の所に寄ろうと思っていた矢先、父がなくなっていたことを知らされました。2日違いで祖母もなくし、その際の対応でゴタクサも起き、居住地から父の遺骨は持って帰りましたが何か抜けてしまったような気持になり「別件の用足し」に行くのも断念。もっと早くに機会を見つけて一度でも会ってやれば良かったと激しく後悔したのを思い出します。
 それから約半年後に東日本大震災。先に語った「別件の用足し」は社会人野球・クラブ選手権全国大会に出場した高田クラブの試合を見に行くことでしたがそれはかなわず、震災では高田クラブメンバーからも犠牲者が出て、陸前高田市も、大船渡市も…。私自身も3月11日は大船渡にいる予定でしたが、なぜか母がきかなくて大船渡行きを断念。ここまで書いたことを全部まとめて「何もできなかったこと」に悔しさを覚えました。
 だから「今度こそ何もできなかったと後悔したくない」。そういう思いで2010年代を走り抜けてきました。侠気心が先走って「常識外」の行動もすることがありましたが。
 ここまで触れてきた経験を踏まえて、父にはやろうと思ったことができなかった。だから母の時には「悔いなく」…と思ったわけです。人間100パーセント納得ずくで最期を迎えられることはないのでしょうが、納得行く人生を歩んで行こうと目標を定めて生きることはできるのではないでしょうか。これまでの不摂生がたたって「重し」がいくつもあるというのが実情ですが、最後まで歩みきった母の人生を見習って、最後まで生き抜くというのを意識しながらこれからも歩いて行きます。


 母を悼む一文シリーズはここまで2つ記してきました。あとひとつ書いてこのシリーズを終えます。

まぶされ続ければ社会全体狂う。だから抗うのを止められない。

 まず、土曜日で初七日むかえました。ブログではもうひとつ、ふたつ記事をあげますが通常の記事製作も再開します。
 自分が社会活動から離れている間、自分の存在意義にかかわる箇所でひとつ(れいわ比例候補経験者による「命の選別容認」発言)、一人間としての善悪すらつかない公職者による圧力・扇動がひとつ(豊島区議会の沓沢及び呼応者)相次ぎました。前者はここうん十年垂れ流されてきた嫌悪的感情が社会全般に撒き散らされた結果、後者は左派相手なら何してもいいと、最低限を投げ棄てた愚行…なんだかね、と頭を押さえたくなります。
 れいわに関してこれまである程度目をつむってきましたが、大西氏の発言そのものよりその後の支持者による擁護に鼻白む思い。一歩間違えれば“左の維新”になりかねない危惧を持ちます。沓沢一派の請願者圧力は問題外。クズ上等を是とする団体…にすら適応できず、より下劣に退化し、一般人であろうが手続きによらず私刑をかます輩がいつまでも謳歌できると思わないでいただきたい。
 90年代に勃興した日本会議勢力を甘やかした結果、00年代に維新を生み出し、その維新を増長させた結果10年代に“日本第一”名乗る桜井一派や“NHK〜”名乗る立花一派を蔓延らせました。既に沓沢一派のような“下には下”も生まれています。人間の弱さは承知の上で、それでもどっかで歯止め入れないと20世紀、19世紀なんてレベルじゃない「文明社会以前」にされてしまいます。そうなりますと俺なんざ簡単に屠殺されますので、煙たがれようがアカ言われようが最期の時までこの路線には抵抗します。
 それが俺の生まれた意味です。
 
 おつきあいいただきありがとうございました。

母の葬儀も終わりました。記事本格再開は日曜日を予定します。

 今日は。母の葬儀も9日に終えまして、一区切りがつきました。気にかけていただいた皆様、ありがとうございました。

 拙稿の本格的記述再開は日曜日を予定しています。

隙間ない社会は…

 窮屈だ。

 今日も一ヶ所、ぼんやりできる場を失った。

 香港の「脱出も禁止」にやいのやいの言う人いるけど、いまの日本社会も「定型外を許さない」圧力は凄まじい。クレカ持てない人を人非人扱いするとか。

 俺は生き抜いて「定型外」も存在していい、という証を残す。嫌なら物理的になくしてみろ。