つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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パラ選手「障害は言い訳にすぎない」ポスター+「消費税クレカ使用者を優遇」。思った以上に「強者の意図に従う人」が多いのが。

 21時頃に記事ひとつあげ、その後「周辺」見渡してきましたが…権力者を疑わない、中には意図を酌んだか、それとも「うるせー反対派が嫌」なのか分かりませんが、疑問持つ人に石を投げつける様子も見えますね。東京都だけでも20年、こういう政治を許してきたから「そういう社会で当たり前、それで自分は満足してるからマイノリティごときがしゃしゃり出るな」てな意思表示をよう見かけます。「“マジョリティ(という名の強者が仕掛ける同調圧力)”の気に障るマイノリティには倍にして返す」という時々日本社会に表れる感情。その感情に乗るのが上手な人が今の都知事ですからね。どんなことしてくるか、不安です。

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 パラ選手ポスターでも「都は悪くない、批判する人がおかしい」という言説がありました。別なところでも疑問を持つこと自体に否定的に扱われる物事が。「クレジットカード使用者は消費税率8%」報道。

 キャッシュレス、クレジットカード優位社会ですか。賛成する人の中にはあからさまに「クレカに対応・適応しないやつはくたばれ」と述べているのもいますが、シャレになっていません。私もクレジットカード持てない人間で、既に私自身が受けられるサービス、買い物は限定が始まっているのが現実。ネットショッピングでああこれはと思ったものが、決算手段で振り落とされる経験は何度したか。キャッシュレス化賛成の方々は「硬貨・紙幣にかかるコストもある」と現金派の方を責めますが、ちょっとまてよ、と。

 ただでさえ銭の有る無しで差をつけられ、ノンキャッシュで地域に住む人全体が安全に生きられる保障無しに、クレジットカードしか通用しない社会になったら使えない人間死ぬわな。生存競争だった時代の人間であるまいし「先端になれなければ死ぬか奴隷になれ」の社会ではない。まずはそれだけ覚えていただきましょうか。

 それを知れば「クレカ持てないやつは死ね」なんて言えませんし、知ってて言うなら「ああそうですか」思うだけです。切り棄てたい対象が、みんな素直に死んでくれると思ったら大間違いだというのを述べて項を終えます。

パラ選手「障害は言い訳にすぎない」ポスター。選手の発言なら頷首もするが、非強者をひたすらいたぶり続けてきた東京都政に言われた以上、意図を感じ、怒らざるを得ない。

 私も一応はスポーツ選手でしたから、いざ試合の場、グラウンドの場では言い訳一切利かないのは百も承知で、それを発言した当該選手にはなんの落ち度もありません。

 ただし、障害者がスポーツできる環境というのは今の日本社会では残念ながら限定的です。故にその位置にいる人は障害者全体から見れば「恵まれている」箇所にいます。ま、それはいいです。

 問題はその箇所を切り取って「障害者攻撃」に向かわせようとするポスター制作者の心胆。ここ20年、東京都は「鼻持ちならない社会の成功者」が知事を担い、その影響は各種議会、行政機関に及んでいます。個々人の人間の間でも「〜を言い訳にすんな」等と詰られるのは面白くありませんが、それを公の機関が「大声で怒鳴り」、その意識を濃くさせようという動きには敏感に反応せざるを得ません。

 最後に。私のような異議を申し立てる側に対して疑問やら反発持つのは結構ですが、意見が存在することくらいは認めていただけますかね。権力者の怖さを知らないか、変に認識されている方もいまして、それが「蹴りつける」作用果たしていることには腹据えかねるものがあります。

 以上見解です。

進歩と反動のぶつかり合い。14日の「対排外主義者」「豊見城市長選」、そして茅ヶ崎市の慰安婦題材映画上映の件。

 まず最初に、社会を俯瞰的に見て、行動するためには学んでおきたい「共産党中央委総会」ですが、体調鈍化+映像見るのが得意でないもので、文字化したのがそろった明日昼に見ることにします。どーしても選挙協力にばり報道の注目が集まっていますが、資本主義の悪弊を越えることを目的にする共産党が社会をどう見ているか、見解を見ることは、社会活動にいる方には“指標”になると思います。

 で、14日には「進歩と反動のせめぎあい」を見るふたつの行為が。ひとつは「対排外主義者」。いわゆる行動右翼と言われる勢力が「移民反対」をお題目にしたヘイト言論の撒き散らし行動に打って出ました。これまではやればカウンターをくらい「負け戦」を見せてしまっていることから、これまで行ったことのない地域で籠絡図りましたが、それは許しませんでした。東北ではこれまで宮城、福島、山形と実績作らせていて、北東北にもいずれ…の危険性有しています。垣根が低くなって交流する社会になっていて、犯罪は犯罪でどんなルーツ持つ方でも「対応」すればいいだけ。排外主義者は「ルーツ」だけでない、様々なカテゴリで分断を図りに来ます。厳しく相対し続けていくのが必要です。

 もうひとつが豊見城市市長選挙。市井の場から社会を立て直そうとする立場のオール沖縄陣営山川仁さんが当選。安倍政権追従の候補が二人いて「仲間割れ」もあったようですが、得票数に気を遣うことはあっても「定数1の選挙なら陣立てできない時点でそこまででしょ」と述べておきます。何のために共闘で闘っているかは確認しながら頑張りましょう。

 茅ヶ崎市では慰安婦の方を題材とした映画がまもなく上映日を迎えますが、「ネット保守連合」はじめとした右派が茅ヶ崎市取消〜上映中止を狙って茅ヶ崎市を攻撃しています。かの勢力の攻撃を許す原因は考えれば山ほどありますが、「口を塞がせよう」という動きには抗う、「理由つければ、頭使えば他人を搾取できるという行為」とは闘う。映画上映は貫徹していただきたいです。

 気になったこと三つばりパパパと書いてきました。考慮の一端になることを願って項を閉じます。

豊洲市場の開場。現場から出る不満に思う「現場軽視の社会」への怒り。

 今晩は。今週末は快晴になりそうですね(岩手は)。ただ、気温差は如実に出そうです。そこはお気をつけてお過ごしください。

 今週の社会的ニュースでひとつエポックになったのは豊洲市場の開場。専門的なことは中澤誠さんら専門家の記述を見ていただくとして、私が気にかかるのは「事業やるときに当事者の話・意見を聞いているのか」ってこと。正直、そうなっていないと感じています。「文句言ってるやつがいるが始まったばかりじゃ不都合もあるだろ」―というレベルではない不満が語られています。実務者が「仕事をする設計になっていない」と言わせる構図になっていること自体が問題です。

 築地から新市場に〜と言い出したのが石原慎太郎知事時代で、以降十数年かけて移転の作業をしてきたようですが、いくら時間かけてもそこに“現場”の意見がなければ当事者がしんどいだけ。「当事者の意見入れるとわがままが利いてしまうから第3者の意思を入れろ」というのが定番化していますが、その結果が「金はかかったが役に立たないモノ」を生み出してますが。現場や専門家…もっと広げれば「仕事の現場」なめすぎた結果がいまこの状態を生んでいると思うとやりきれん、以上の怒りを感じます。

 人並みに仕事できねえ人間なもので、それができている労働者には頭が下がる思いでいつもいます。その労働者を虚仮にして「時々の時流に乗って金儲けするのだけが報われる」ような社会は願い下げです。それを語ってきょうの記事にします。

言論世界についてのボヤキ/再考必要な「緒方議員“のど飴”熊本市議会」問題と、破戒者のわがままを許していけない「茅ヶ崎・『慰安婦』題材映画後援」の話。

 お晩でございます。

 12日朝に出した「Twitter完全撤退」ですが、ま、いま社会を「動かす」SNSはたしかにTwitterなんでしょうが、そこにある激しい動体についていけなくなりましてね…。いずれ意思の発信の場として成り立たなくなるのでないですか。あんまり酷いと。

 自分自身が壊れてて言うのも難ですが、タイムラインで四六始終ネガティブな言葉を吐く&叩きつけるなんてのは、どこか壊れていなければできないことです。違うことばで言い替えれば、その行為で壊してしまうんです。百人単位でガッツリやりあいましたが、何ぼかでもわかっていただいたのは片手で数えるほど。俺の力不足ですね。

 いま気になる箇所が二つばり。

 熊本市議の緒方ゆか氏の一件。ある程度各方面からの発言も揃うようになりましたが、緒方議員が完全に正しいかのようなまとめ方には疑問を持っています。「あれはあれ、これはこれ」という形で考えられず、緒方氏以外議員の失態だけで全てを諮られることに納得しないものがあります。

 もうひとつは茅ヶ崎市の「慰安婦」を題材にした映画に対する右翼の攻撃。「後援」という言葉に突っかかっているようですが、言うなれば“過剰”にとらえすぎ。『多様な意見を発する民主主義』の後援、程度のものですが。いまは公的施設借りるのに「後援」がないとうまくいかないケースもあり(それで潰された行事あり)はっきり言えば「遠回しに上映自体を妨害している」ようにしか見えません。

 付足すれば、日本社会の批判を「日本(人)ヘイト」なる言葉で難詰する方もいますが、「根っこから何か間違ってません?」としか言い様ないです。

 ここにあげた事象を細かく語るには心身追い付かないので、触りを語るのみにしますが。様々考えていただければと願うものです。

 今回の記述は以上。お付き合いいただきありがとうございました。

Twitterの復帰を完全に断念します。

1)表記の通り、私伊東勉はTwitterアカウントの復帰または再建を完全に断念します。

2)2011年3月よりTwitterアカウントを取得し、私の保持している電子機器環境に応じたアプリ使用で意思を発信し続け、一時は約3000人の常時講読者(フォロー)に見ていただいていましたが、激化する言論の状況についていけず、更に議論の正否以前のふざけた態度には容赦しなさすぎた結果、「他者への過剰な攻撃性」という名目でアカウントを凍結・没収。後継のアカウント、更には別用途で使用していたアカウントまで凍結。しまいには登録しようとしただけでセキュリティが発動してしまう始末でもはやどうにもなりません。

3)Twitterは「簡単に意見を送りやすい」SNS。同じSNSでもFacebookはある程度素性がわかる分抑制もかかる余地もありますが、匿名でいられることが多いTwitterではそれがかからず、ざっくりと現れる悪意に対応する余地を失いました。これ以上は元々しんどい私の身心を破壊して、最悪生存さえ危うくしてしまうことになります。「陣地を保つ」必要もありますが、生存と引き換えにしてまで対応できません。

4)最後に。記述に対する私の反応についてですが、もはや常人の範囲で対応することができなくなった。「悪意に対してより強い怒気」を、自分の精神を破壊するレベルで行いがちになってしまう。その上下動に疲れてしまいました。その上で相手はどこにでも逃げられる、自分は逃げ場がない、ではやってられません。

5)今年5月に本体アカウントが永久凍結して以来、拙稿では「復帰も模索」と記してきましたが、本日をもってTwitterからは完全に撤退する決断をしました。発信はブログを中心に行います。これからもお付きあいよろしくお願いします。

                2018年10月12日 伊東  勉

「部落」や「沖縄基地」問題で、「当事者以外は皆罪を背負っている、だから協力しろ」と迫る一派がいるが、そんな態度で迫られたらいっさい話はできない。距離置きます。

 小金井市議会での共産党対応が端緒となり、この議論が大手を振っていますが、正直、白けてしまいます。原罪意識持たして物事を進めようとするのは「●●協会」と変わらない。手法についての議論は進めればいいでしょうが、原罪意識に基づく圧力手法で迫るのであれば、私はいっさいの協力を拒みます。

「沖縄基地」問題で本土引き取りを主張する方々に乗れない理由。

 いわく「本土引き取り運動を進めるには、本土の基地反対運動をする人がジャマ」。

 いわく「〜運動についてこれないやつらは振り落とすしかない」。

 前者。味方につけとくべき人を切り棄てるの?

 後者。何を逆上せているかわかりませんが口が過ぎる。

 「ついてこれない愚か者は切り棄てる」のが手法の真ん中に来るなら、いっそ切り落とされた方がマシだ。