つなげ“希”動力-伊東勉のストラグル日記。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

考えと決断を「自分の脳みそ」以外に預けていいのか─SNS言論に。

1️⃣ 相変わらず1日12時間以上は起きていられず、頭も「考えること」自体がしんどいという状況で。そういうぼやぼやとしている私ではございますが、書く記事は私自身が学んだ末に物事考えた結果を記述しています。残念ながら学がないせいで使う言葉は専門的でもないし語彙も少ない。それでも必要なことは述べていくというスタイルは変えないで対処をしております。

2️⃣ 最近、SNSを見てるとAI検索が~とかGrok検索が~という記述を見ます。まあそれらを使うのは一概に悪いとも言えないです。例えばある文書書きをしてる人が労力を少なくするために使う(“頼る”でないことに留意)様子には「なるほどそうか 一つの手法ではあるんだな」というのを認識させられたりもします。

3️⃣ ただ。譲っていけないのはAIやらGrokがひとつの意思を示したとしても、最終的な「決断」は自分自身でなされるべきもの。そこのところを無視して、検索で出てきたものを「正解」として、そのまま自身の意見として出してしまうというのはいかがなものか、っていう思いを持ちますね。

4️⃣ 色々な意味で科学技術が発展して、物事を進めるスピードが早くなっています。バカ正直に言えば私はそれについていけません。元々34歳で人生閉じているはずが、言葉選ばないで言えば無駄に生き延びて、社会にただ食らいついているだけ、というのが現状ですが、それでも押さえておかないとならないものってのはあると思うのです。

 文章を自分自身の力で完結するというのも一つ。

5️⃣ そこのところを気をつけないと、そのAIやらGrokやらに現れた意見がどういう過程を経て形成されてきたか─ある強い力学が瞬間的にかってしまってそういう言葉が出ているかもしれない、というのも考慮しなきゃならないんじゃないんですか。

 そういう意味でGrokを頼って文章を表す人が多くなってきたもので、上記の疑問を抱いてこの一文を書かせてもらっていただきました。時代遅れの低能人間が~とでも言いたくなるのかもしれませんが、頭の片隅にでも置いてくださいな。

 とりあえずは以上です。