しばらく前に書いた記事ですが、問題は尾を引いているのでそのまま記載します。記述日:4月2日
1️⃣ 3月に声明的な文章で吉田あやか三重県議の件について触れました。
あれから1日経ったわけですが、殺害予告に関しては圧倒的多数は批判していますが、これを「どっちもどっち」論にしたり、あるいは「吉田(全然敬意のない敬称)の行動が起こした『自業自得』/『自作自演』」と銘打って、何としても「生理用品の整備を求める吉田さんが悪い」イメージを植え付けたい人が多すぎます。
2️⃣ 思い出したのが、しばらく前に起きた動画配信者・最上あい氏殺害事件。彼女の場合は金銭のトラブルがあったと聞きますが、「殺したら解決しないでしょ」としか思わない。それでも「殺されて当然だ」という言葉がかなり振り撒かれましたね。酷かったです。
3️⃣ 吉田さんの一件は「政策」の一つなわけですよね。それで生き死にの問題に持っていくのかっていう強い疑問が。怒りにとらわれた人間が何するかわかんないってのは、自分自身も陥ったこともあるからわかんなくはないです。しばらく前にそこら辺の記事も書きましたから。
でも、「ナプキンを置くかどうか」だけで生き死にの問題に持ってくのはさすがにない。繰り返すけど。吉田県議のとその主張を黙らせるようなことはやめろよと思う次第です。
4️⃣ 最近は人権的思考、あるいは「社会保障で誰かを庇護する」思考自体を無駄遣いと嫌う風潮が続いていて、それにどうしても「解せない」と思う自分がいます。
1兆円社会保障削っただけでもだいぶガタついたのにその4倍削りにくるわけですから、削る対象悪魔化して平気で見殺しにできるような精神状態に持っていかないとできないということなんでしょ。その意に与みせずに「もう1回作り直す」と。小林多喜二の作品でもありましたよね。「もう1回だ」と。
もう1回、社会保障などを人権主義社会を作りにいく。これを旗印に歩きます。
