左翼的、人権主義的なものの考え方を忌避し投げ棄ててしまおうとする動きは、年々その酷さ・惨さを顕にしています。
この数日間だけでも下記のニュースのコメント欄はその惨状をあらわにしたものとなりました。
・難病の患者が安楽死に反対する様子を報じたTBSのニュース
・障害者が「生きているだけでもいい」というメッセージを発した集会のニュース
・障害者施策に存在する「18歳の壁」を扱ったニュース
そのコメント欄・通称ヤフコメのいずれにも共通しているのが、単に普通に生きていたいという思いを「貴様らの存在は邪魔だ、迷惑だ」として諦めさせようとする意見の数々。難病患者には共に苦労したパートナーの逝去まで利用して「迷惑だから(死ね)」語り。後者2つも「所詮障害者は足手まとい。生産性のやないやつは消えろ」と言わんばかりの意見がコメント欄にずらずらと並べられています。
意思を発した方々はどう思うのでしょうか。その結果がこれか、となればもう世の中に対して自分たちが背負ってしまったものの緩くなさを話す気にならなくなるでしょうね。もっと単純に言えば「SOS」を出せなくなる。絶望感感じて生きる気力すらもぎ取られるんじゃないかと。
最も。
そうなったところでああいうコメント書いた連中は渡りに船とばかりに「だったら死ねよ」とでも言うのでしょう。そういうことを語りたがる輩が間違いなく増えてしまっていることに苛立ちを感じずにはいられません。
ウィークネスフォビアてやつですか。
弱点を補うために政治の施策として扱い、補う施策を行うわけですが、その行為を「自分の金(税金)を失うことを嫌がる」という思考回路もこの攻撃を許す要因となっているのが何だかな、という思いです。
その一方で大企業などが利益を収奪しガチガチに固めている様子には何も言わない。殴りやすい非強者に対しては非道に出るくせに、そういう大企業などには媚びへつらう姿というのも嫌悪感覚えざるを得ないです。
どうにかして自分より“下”を作ってその人たちを踏みにじることによって自分の安寧を得る、という行為でストレス発散してるのかもしれませんが、実際は自分自身の足場を掘り崩す行為をしている。己の存在する装置を1本1本へし折る行為でしかありません。
付則的に。「自分たちの税金が使われる」ことのみに着目してしまい、「金は天下の回りものっていう言葉がありますがその効果も考えてもらいたい。そして、大元のウィークネスフォビアの克服を図ることこそが必要ということを意思表示して今回の記述を終わります。
PS N党立花某に見る「叩き言論の巧妙さ」について思うところはありますが、いまの私では上手く文に表せません。