つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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昨日の続き。八方美人ならぬ「八方醜面」にしかとられないでしょうが。

1)昨日の記事。
 具体的に書こうと思えばできましたが、能力もないのに軋轢に手を突っこんで、亀裂深めさせて、自分も壊れてしまうのが明らかなので、具体的記述はやめました。その当事者が「軋轢が起きる要素」をSNSで紹介していまして、ぶっちゃけ言えば私も「加害者」に当てはまります。そんな私が具体的な記述はできない。
2)起きた「軋轢」はあってならないことで、被害者の回復はされるべきで、加害者に関しては相応の罰を受けろと思っていますが、そこに無体な出来事が重なってしまいました。そこの部分、自分の考えの範疇を飛ばしすぎて、先の理由もあって語る言葉を持ち合わせていません。
3)辛うじてひとつ語るとすれば、それを押し進めた人たちはその分の評価を受けて厳しく断罪されろ、と。
 同時に。理屈で言えば被害者が紹介した“事象”はその通りですが、“無体な行為をしている人”には通じない。いまは熱くなってるから、こうだと言われて「そうですね」とはなりません。
 ならばいっそ、「カタストロフィ的にぶっ壊れる」のが解決の近道じゃないですか。
4)自分、「理屈で行動」手段を覚えるまでは、激しい気性を持ち、すぐに癇癪を起こしてブレーカーを落とすタイプの人間でした。その後に起こる「破壊された光景」を何回も経験して、それが嫌になって、理屈で物を考えるようにした。「理屈」も「直情」もわかるから、目にした案件についてああいう書き方・対応にした。
 何でもかんでも割り切れると思えない現実と
 それでも一つの方向性目指す意思と。
 両方握ってその中で生きていく。
 当事者にしてみれば「都合いい」「言い訳だ」言うでしょうけど、途中で言いましたよね。生半可に手突っ込んで当事者も私自身も壊すわけにはいかない
 壊れる怖さわかってんだこっちは。それを保身と罵りたければそれで結構です。無駄に死ぬ気はない。
 その中で必要なこともしなきゃならない。
 思うように行きませんな社会は!
 …簡単に行くようなものでもねえか。
 同じ日本という国内だけでも8桁、9桁の意思がある。割り切らなければやってられない部分、あります。そのなかで生きるしかない、です。
 
 この文をどう取るか読んだ人にお任せします。おそらく、私の意思表示としては一番汚いものですから何とてもおっしゃってください。禅問答的記述ここで終わります。