つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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権威・事大主義に寄りかかり社会を壊した結果が「弱者は殺せ」容認の現況。これ、許すんか?

 安倍政権が続いていた時、拙稿では「ここで苛政を止めなければ『安倍政権時代がプロローグだった』と言わせてしまう社会になってしまう。止めなければならない」と書いてきました。
 残念ながら、その方向に進ませてしまっているのが今の社会。高齢者に対しては安楽死だ集団自決しろという言葉が喝采を持って迎えられ、障害者が施策拡充を求めれば「殺処分しろ」と言われ、“女性の駆け込み寺”となっているNPOに対しては、下卑た手法で攻撃がなされている。そして、今の社会を「より痛みのない方向に向かわせようとする運動」全般に「そんなことは無理だ出来っこない諦めろ」と石礫がぶつけられる。
 諦めないで抗い続ける、と思い直しながら歩いていますが、それが簡単でないというのはここまでに記した状況の通りです。それでも踏ん張り続けなければ、より悪くするだけですから、自分からギブアップするわけにはいかない。
 そんな中で、ここ十数年の「負け続け」に耐えられなくなって、自分の持っている武器なり、存在意義を手放しにかかろうという人も出てきました。今までやってきていることに自信がもてなくなったから、「変われば振り向いてくれるだろうと」いう安直な考えには否定的にしか見ません。
 いままで、特に民主党→立憲がそういう態度とってどうなりました。「しめしめこれで邪魔が一つ消えてくれた」と喜ばれるのがオチじゃないでしょうか。

 以上の文面から希望見いだすのは難しいでしょ。保身のため「違う考え」を壊した結果が今です。何もしなければ、「いまの路線を悪化させるしか道がない」。
 それに抗するにはどうしたらいいか。「いままで壊してきたものが、果たしてそのまま完全に打ち棄てられていいものか」を問う必要があります。
 前回記事でも書きましたが「楽に生きられるなら権力に寄りかかっての独裁でいいや」というご意見が増長しつつあります。人間弱さはつきものでしょうが、強さを求めるなら「多数派が狂うときにそれを阻める存在」という形で表す。それを〆にして今記事を終わります。