数日前。生活保護申請に付き添った市議会議員に対し懲罰を課そうとした議長の行動に「暴走を止める見地からの仮処分」がなされた報道に対し、「議員がついていくのは“圧力”」「本当に必要なら申請者が頑張ればいい」などというご意見がついた。官権と一市民の力関係もわからずに…いや、わかっていてあえてこう述べるのが今の風潮か。
災害による公共交通機関の破壊に対して復旧を要請する様子に対しても「JR様は民間営利企業。復旧してもらいたければお前ら―要請する側―が血を流せや」とネチネチ語るのを当たり前に見かけるようになった。
この二つだけでも「助けを求める行動を“イビりのきっかけ”にする輩」が増殖しているな、と思わされる。災害のときに「共産党員は救助されたければ自衛隊にひざまつくかさもなければ――」なんてご意見も当たり前に見かける。よらば大樹で多数派に駆け込んだ自分を正当化するために、「多数派にいないやつをなぐりつけて心の安定」を図る様子を見るのはほとほと疲れる。
失敗したら即・死というのを当たり前の社会にしたいか?個々人の自覚を促すなんて優しいものじゃない、単なる切り落とし行為にかき回されるのはもうごめんだ。ひとまずこれを表明しておきます。