私伊東は、京都ウトロやコリア学園に放火した輩の名前を記述しません。加害者に対しては“NoName”と記させていただきます。ある種の属性に対しその消滅を企てるような輩には1人間として見る価値はない、という意思を「NoName」に込めます。
で、その“NoName”が法廷で何か言ってましたか。自身の身勝手な理屈を正当化し、自身がいなくなろうとも「命を奪う人は出る」とのたもうた。
“NoName”のしたことは完全に否定しなければならない。
世にある難儀さを、より殴りやすい立場の人にぶつけて良しとする。それを続けたら、一番に惨たらしく壊されるのは「逃げる力の無い人」。
その位置に近い人間としては、座視することはできません。きょう公示される参院選は、そういうのと闘う力をつけるための場。できること果たして、目標達成に向けて歩きます。