つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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「渋谷区の炊き出し妨害」から見る生存権を守る闘い。

 今晩は。
 今日のメーンエクスプレッションは「渋谷区の野宿者対応に見る貧困への向き合い方」を題材にお送りします。

 私かこの道に踏み出したのは、人生の中で長年の付き合いになった「貧困」のゆるくなさを知ってるがゆえ、そーいう思いさせたかない、という事が大きな理由でした。それから20年。その闘いの道が簡単ではないということを思い知らされながら、歩みは止めまい、と歩き続けてきました。

 その成果は先の総選挙で出しましたが、まだ緒尾であることも現実です。これからもしっかり地歩進めようとした所に流れてきたニュースに、緒尾どころか、更に後退させようという流れ、それに乗じた収奪勢力の貪欲さを思い知らされました。

 渋谷区で、行政機能が止まる年末に炊き出しを行おうとしていた団体が、公園使用を区に求めたところ、杓子定規的な規則をあてはめられて不許可、公園は封鎖、役所としても対応せず仕事納めをしました。この対応に批判の声も出ましたが、一方で区の対応を肯定するばかりか、ホームレスや支援団体に攻撃の矢を向ける輩も以下のように続出しました。


▼全てのホームレスが社会的弱者かどうかは疑問の余地があると思う。

▼渋谷区の公園閉鎖そんなに酷い話かな。だいたい、ホームレスの連中は好きでホームレスやってるんだよ。

▼渋谷区の判断に敬意を表したい。わが国は共産主義社会主義ではなく、資本主義なのだから勤労者の国であって、浮浪者がのうのうと公園で生活をしたり働いていない人間が憲法25条により生活保護を受けることが当然の権利だと主張されるのはとんでもない勘違いだ。

▼公立の公園では勝手になんでもできるわけではないのが当たり前.東京新聞が担ぐならもしかして公安から監視される団体なのではと憶測してしまう.

▼…そもそも団体は許可申請出してたの?出してないのに文句を言うのは筋違いじゃないの?それとも許可申請を出せない理由でもあるの?
義務を遂行してから権利を主張すべしと、学校で習ったろ?

 これら投げつけられた“意見”に対して、今回の行動の柱で奮闘されている「渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合」以下のじれんのTwitter(アカウント@shibuyanojiren)での応答記事を以下に引用させていただきます。
(引用開始)
Q:公園使用許可申請をしたのか。
A:公園課とは12月16日、25日と交渉を行いました。しかし、吉武課長は「炊き出しをするなら許可を出せない」と繰り返すばかりでした。それでも26日許可申請を出しましたが、26日付で不許可の通知が送られてきました。

Q:規則を守れ。
A:渋谷区立都市公園条例には「たき火の禁止」はありますが、「火気使用禁止」はありません。実際、ガスボンベ等の火器を使用したイベントは過去なんども宮下公園で開催されています。こうした恣意的なルール運用より、ひとりひとりの命のほうがはるかに重いと考えます。

Q:あんたんチの庭でやれ。
A:私の住まいには庭がなく、仮にあったとしても150人近くの野宿者の方がいらっしゃると近隣の道路を封鎖してしまいます。宮下公園をはじめとする「公」園では、炊き出しをしつつも通行のじゃまにならない形で行うことができます。

Q:働かせろ。
A:野宿者のほとんどが、高齢者、50代・60代で仕事がない方、何らかの病気や障がいを持つ方です。また私たちの炊き出しは、野宿の方も調理に参加しており、「家事労働」という言葉もある通り、日々生きるために働いています。また缶集めなどの都市雑業も立派な労働です。
(以上引用終了)

 以上“多様な声”とその回答を見てきました。様々ね、今回の行動を否定的にご覧なっている方もいますが、まずはこういう状態におかれた方に対して「先ずは生きさせる」ことがなぜできないか。「真面目に生きている俺たちの足を引っ張るな」てな感じでキリキリに追い詰めるのはなんなのか。文句語る前に、彼らをそういうどさ落としこんだ構造に目を向けらんないかな。
 『好きでなった』―じゃねえ。度重なる“リストラ”でクビを切られ、そういうどさ落としこまれただけでなく、そっからの復活の道も見えない。結果、「その状態でいることに納得させられてしまう」ように見えるだけ。そこにあるゆるぐなさを見ずに、おもてっ面でだけで見下して「そんな“脱落者”処分しちまえ」て感じで物事見られたら困ります。

 最初にも語りましたが、私の人生は貧困と共にありまして、その悲哀というのは十二分に味わってきました。しかし、このホームレス問題もしかり、その他貧困関係の話然り。同級生の中では抜けて貧困だった私の経験してきたそれがまだマシと思えるような事象が次々と明らかになり、しかも明らかになってもその対応に冷たさを―政治、行政、市民間でも―感じます。その因を探れば、たどり着くのは収奪主義。庶民から富を吸い上げ、その富をため込んだ富裕層は決して自らは再分配には応じない。吸い上げられた庶民は、他人を助ける余力をなくすだけでなく、“劣る者”を蹴落とす事で均衡を保とうとする。

 そうやって「邪魔者を駆逐し、庶民を黙らせる」やり方が、いつもいつもまかり通ると思ったら大間違いで、不条理に抵抗する動きも起きています。先に紹介した渋谷区の炊き出しも、不屈に行われています。
 憲法25条に示された「最低限の文化的な生活」、生存権を維持し、実現しようという動きをとどめる事を許しません。自分が歩み出した道は「貧困のゆるくなさをこれ以上拡大させたくない」。先にも語った通りその道のりは楽じゃありませんが、引いたら生きる場を壊される。粘り強く闘い続けることを表し、この項を終えます。