つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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立憲民主党の「野党協議」に対する態度。特に“共産党排除”に関する。

https://twitter.com/koike_akira/status/1493171949060898818 

日本共産党小池晃氏見解を述べた動画つきのツイートアドレス。

 立憲には、いい加減覚えてほしい物事があります。「広い箇所から支持を集めたい」からと考えが中庸に行きがちで、それだけならまだしも理不尽な攻撃にさらされた場合に「批判も聞かなければならない」と、攻撃に耐えられず、屈してしまうことが多々ありました。

 それで批判する側は手を止めましたか?

 止めないでしょ。むしろ「つついてやれば折れる」と、目一杯飽きるまで攻撃し続ける。

 

 ここ数年、共産党も入った野党共闘を壊そうという策動が進められました。経済界・富裕層を支持基盤に庶民からは収奪施策をかまし、その不満は「近隣国」「非協力な左翼」にぶつけさせるやり方―特に後者のやり方は中毒の域に達している―で散らす。野党共闘はその打開を、という主旨から始まったのでしょう。

 “立憲共産党”なるスラングに象徴される、嫌がらせの手方を入れた野党共闘攻撃に、立憲民主サイドが屈するような態度が多くなった。地域ごとでは誠実に努める方もいますが、泉氏らの態度が「ヒザを折れ」と迫る側の態度を増長させて、14日の報道に至りました。

 12世紀に栄華を誇った奥州藤原氏は、代替わりした領主が源頼朝の圧力に耐えかね“朝敵”とされた義経を見捨てますが、今度はそれをも理由にして藤原家は攻撃され、滅亡に追いやられました。いま立憲民主が折れたら、自民公明の与党、与党補完勢力の維新、それに近づく国民民主と二重三重に構える「収奪主義者」に、国会議席は数パーセントの勢力で闘わなければならない。「必要以上に残酷に対応できる」状況になります。

 そういう意味で、立憲が自民・維新側に堕ちるか、共闘サイドでとどまるかの選択は厳しく見ざるを得ません。

いずれ、立憲民主党首脳部には「転んだ(転向)ところでまともには扱われない」のを学習して腹を据えていただきたいと願うものです。

 

 状況によっては、人生の身辺整理を始めなければなりません。俺は「堕ちる」気はありませんから。亡母とは「いつ何されるかわからない。先に逝くかもしれない」と打ち合わせはしておきましたが…。何とか寿命まで生きられるように努めます。

批判を無効化する「厚顔無恥」。悪い循環を超える。

 安倍政権以降批判にたいしては、それがどんなに彼らに都合悪いものであろうが、厚顔無恥に振舞い、無視し続けることで批判を無効化し、かつ批判者を叩きのめして壊す行為が当たり前になってしまいました。「批判より提案」もそのひとつですか。

 ここ10年来、自公政権が行ってきたことは、富裕層とアメリカなどの帝国主義に引きずられ、日本を彼らの使い勝手のよい社会に変える。そのためなら市民の利益は仮染めの愛国思考と引き換えに奪いとっていいというものです。

 その思考回路から外れるモノはもれなく「反日」「中国・韓国の手先」と扱う始末。簡単には変わらない政治・社会より、排外的愛国心は速くに染みますし、染み渡っている時間が長ければ相応の影響も。ひとつの政治戦での勝ち負け以前に「何をしても無駄」となれば足を止める人も多く出してしまう。

 自民や維新などの支配勢力は「左翼的観点から社会を見て行動する人」を壊そうとしている。自分等が優位な立ち位置に居れば居るほど従わない人の存在を許せない。数年前、ロシアのプーチン氏の支持率が9割を超えたときに「不支持の1割に対する凶暴的な目線」を何かで聞いた気がしますが、日本もそうさせますか。都道府県レベルの首長選挙で、一対一で1割超せなくなってきたのはまずいと思っています。

 自分も打ちのめされた口で、しばらく臥せっていて、いまも完全に起き上がれているとは言えませんが、諦めてしまったら、いままでの10年が“前章”にさせられる。

 それを考えたら諦めた、は選択できない。不屈性を体現しなきゃならない場面はいまだな、と思わされます。ものわかりよく殺される趣味は私にはありません。そればり述べて項を終わります。

「非正規」すら飽きたらない富裕層と、反共産党を優先する連合に抗し。

 労働条件が決定的に壊された起点は、1996年に経営者団体により行われた「正規労働者あは一部。専門的技術者は年限的に、それ以外は使い捨ての非正規労働者にする」という施策。それから26年、労働条件は切り下げられることはあっても、上回ることはない状態となっています。

 これで労働者の抵抗運動がなければどこまで壊されるか。

 人間の業というのはどこまで浸食してしまうのか。

 「非正規労働で労働条件を切り下げるぞ」程度では生ぬるいとばかりに、ギグワークと称した労働形式、あるいは「雇用ではなく業務委託」という形式で、より経営者側の負担を減らすということも行われています。そういう施策をする根幹的企業は、労働者に賃金を回さず、協力企業に必要な支払もせず、内部留保だけはガツガツと食べまくる始末。

 「経営破綻したらどうしようもないから」と彼らは言いますが、もうそんな程度の内部留保じゃないでしょう。在る金が腐ってしまいませんかね。最近読んだ記事でショックだったのが、「労働者として扱われる存在の人を業務委託という形にする」。こうすれば、雇用保険などを払わずに済む、と。そこから近隣の状態を探ってみたら先に記した状態が顕在化しているのを確認した次第です。

 日本共産党志位和夫委員長が「やさしい資本主義」を説いて、先の代表質問でもその立場からの発言をしました。富裕層の身勝手を乗り越えることなしに、日本の労働者がまともに暮らしをすることはできない。一つの選挙結果で結果が出なくても、その路線で歩き続けることを諦めてはわんないです。

 この原稿記事を書く直前に、「連合が日本共産党の関わる候補には一切味方しない」という方針を出したようですが、「いま在る問題解決より反共産党を優先させるのですか」と返しておくことにします。おつきあいいただきありがとうございました。

日本郵政の“格差是正”と銘打った嫌がらせと、そこからの雑感。

 社会活動をやって30年近くになりますが、第二次安倍政権になってからの約10年間は、制度の改悪を食い止めるのに必死で、改善を勝ち取る機を見いだせませんでした。その視点から気に障るニュースがまた一つ。
 日本郵政が労働者の働く条件を非正規の方に合わせて改悪するという報道がありました。日本郵政に関しては、非正規労働者の差別的な待遇は違法という判決が去年あったばかり。しかし、解決の持って行き方がこれか、と。
 今の支配層が、その位置にいない人に対して、いちびって楽しんでいる様子を様々な場面で目にしています。日本郵政が今回したことも然り。これほどわかりやすく、あからさまにその方向性を表したことに怒りを改めて覚えます。

 それまでどんな悪政を課されてもノーと言えなかった社会が、このような「貴族のお遊び」を呼び込んでしまった。目的はなんですかね…与党に与しない人たちが頭を垂れて“抵抗”を諦めてくれないか、と?
 自分の中に“芯”を持ってる人でもない限り報われなくても戦い続けるというのはしんどい、それは事実でありましょう。
 ただ、存在を失ってしまったら…今の権力者とそれに付属する者の考え方のみが“当たり前”になって、そことは違う道があるということも考えられなくなる。その事を考えると、どんな力の差があろうと行動を止めるわけにはいかないのです。
 
 自身が抱いている思いが、いわゆる左翼的な社会変換であるならば、その思いままに歩けばいい。その道が何ぼでも楽にできるように、左翼の末席を汚す者として努めます。

覚悟―年末年始にあった件も含めて。

 年が変わりましたが、おめでたい気持ちというものはここ数年、抱いたことはありません。私個人としては、30歳代に崩した生活を取り返すように生活をし、ある程度「まともな暮らし」をとり戻せてはいますが、ここ2、3年はその取り戻した分を越えての負担増がかかるようになってきた。年末の記事ではスマホとクレジットカードについて触れましたが、その他自分の持っている生活レベルが2010年代のレベルで止まっているのが実情で、それにどう対応するか悩んでいるところです。

 年末にはかなりささくれだったものとなり、追い詰められた気分にもなったりもしましたが、「社会・政治を変える」道をあきらめてしまったんではますますひどく惨めな生活なるだけだから、開き直って生きることと考え直し。ここ10年程感じてきた「今の多数派じゃない人たちを存在もろとも叩き潰そうとする動き」…特に11月以降はダブルバインド(2つの矛盾した命令で他者を壊す)なんて言葉も生温い「オールバインド」といってもいいような、「とにかく気に入らない存在に対しては存在することそのものを否定する」言動を見せる人が多くなりました。

 正月ドラマの相棒。私自身はまだ見ていませんが、自己責任を取り上げた社会派的なシナリオに対しての批判がどんがりと。「ああ、この程度さえ彼らにとっては許されないものなのか」、と嘆息。年末年始の討論番組には左翼政党が呼ばれず、五輪のドキュメント番組では五輪反対派を貶めるシーン。しかも欠席裁判的なやり方でそれがなされた。

 資本収奪あるいは権威抑圧主義を超えていかないとまともに生きられない。この状況の中で勝たなければならない、と改めて。

 20数年社会活動してきましたが、ハードルが高く、厳しい。バカ正直語れば、折れかけている自分もいます。

 しかしここで折れてしまったら、後は惨めな死体になるしかない。それ考えればどんな状況にあっても目の前にある障害を越えないとならない、ということで歩いていくことに。

 自分たちの状況は改善されないまま、自身の首を締め上げている勢力を支持しなければならない、と思っている方々に「別の道がある」のを示す。安倍政権以降の自公政権は、それを示す野党等をたたき潰して、権力に居座っている。空気様相も変えさせられているので、それをくみながら腹をくくっていくとします。

 去年11月から、非自民の位置にいる者に対して「ヒザを折り、頭を地べたに叩きつけ、『服従しろ』と迫る」やり方が横行しています。これには絶対与せず、これで殺されたら上等、てな具合で生きていきます。お付き合いいただきまありがとうございます。

社会が自分を棄てようと、自分は社会にいることを棄てない―2021年を生きての到達点。

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 2021年も間もなく過ぎようとしています。
 社会の縁にいて辛うじて生きている人間にとって、社会が一気に激動するとそれに対応するのに多大な労力を要します。スマホすら持てるようになったのは去年から。クレジットカードは信用情報がなく作れず(借金はないが収入足りず…長年会員だった箇所を退会する要因に)、その他「お前(=私が持っている属性)なぞ除外してやる」としか思えないような出来事が相次いで人間不信に陥り、人の中にいること自体が嫌になり、例え「年内最大のイベント」だろうが、その場に居ることを拒否した。その中にいることによって起きるかもしれない「事故」が恐かったから。
 無いなら無いなりに持っていた「社会の中にいるためのやり方」を投げ棄ててしまわなければならないほどしんどい一年でした。

 一年生きるのが怖かった。

 今年ほどそう思わされた年もありません。

 そこへ来て、12月に大阪で起きた事件は、私にとってショックな出来事でした。
 私と加害者を別けたものは何だったのか。加害者氏の素性はよくわかりませんが、私の場合は以下の信条・心情を持っていたから、破壊的行為には与せずにいられました。

 『社会が自分を棄てようと
 自分が社会を棄てない。』

 野球方面で関わった方ならその様子を垣間見たかもしれません。本来なら小学生野球部時代で野球と縁切れていてもおかしくなかった私。だけど、
 親父に喝入れられて中学で継続し、
 中学で続ける意味と位置を見つけたから高校野球もできて、
 社会人野球も高校野球での同級生の活躍する試合見たから北上のチームに入り、
 帰郷後も「入りたい言えば入れるわけでないチーム」に押しかけで加わり、
 更に義侠心からのお節介焼きもしたりして

 …28年。長かったな。
 ここに書いてきた通りの行動をして来たから、辛うじて社会のなかで生きてこられた。3年前からある種のお賢い方々によって「お前なんざ要らない、いじめてやるから自ら退場しろ」てな類いの言葉を投げつけられたけど、得俵にひっかかって食い縛っても来た。
 場所に残っていれば見返す機もある。
 それでどーにか生きていきます。

 あと、兄貴。
 兄貴の「厳しさ」にはこんにゃろと思わされることもあるが、「無理をおしつける」人間ではありません。愚弟にとして感謝申し上げます。

 お付き合いいただいている皆様。いつか直に向かえる時が来るまでお元気で。2022年もよろしくお願いします。

               伊東 勉

 

「表現の自由」は、欲望を振りかざすための道具か。トラウマ案件も。

 自分の人生のなかで、一番最悪な精神状態に陥ったのは、ある自治首長選挙での候補者の専横。それに怒って共闘から離脱した勢力が独自擁立をしたが、先方は「こちらの中にいる『離脱した勢力の構成員』は奪い取る。人質にすればいい」とのべる始末。そこから先は…今日は書きたくない。

 「表現の自由」に関わる問題で、ジェンダー課題の対処から目の敵にされている勢力が、今日「コミケ街宣」という行事に参加したが、その行事の中にいる者の言葉が、先に書いたトラウマ案件を思い起こすには充分に作用した。

 「〜〜党はこの問題については敵だ。

 それでも中には僕たちの言うことに従う、党内で虐げられている者もいる

 それを味方に引き込んだ(以下略」

 …。

 さっきの部分につながるものがありまして。彼らの思考回路以前に、「手を突っ込んで都合のいいようにする」態度が障りました。

 今後私は、彼らの立ち位置による「表現の自由」に与する行動を拒否します。道具として使われることは厭わないが、程度があることは知れ。

46歳の誕生日を迎え―先輩の気骨から己を省みて。【FBと当ブログ共通記事】

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1)46回目の誕生日を迎えました。毎年毎年、誕生日までたどり着けるかなと不安になりながらも、なんとか工夫こらしてたどり着くことができました。
 コロナ感染の影響もあり、人とのつながる機会を失い、さらに自分の属性が“不利な位置”に立つことも手伝い、11月以降、ここ3年間もってきた人間不振に拍車をかけるような出来事が続き、人の前に出づらくなる状況が起きていました。
2)正直、このまま自分が壊れてしまうんじゃないかと思うようになって、それでも「いとーくーん、参加してよー」という気のいいおっちゃんの誘いに応じて参加した寄り合いで、ある人生の先輩の立ち振舞いを見ました。
 北上市和賀町は人口約1万人、かつては一つの自治体だった町ですが、北上市と合併。数年前から診療所が存在せず、病院に行くだけでも手間がかかる状態にあり、診療所を再び設置しようという運動が起きてるのですね。その運動の呼び掛け人の一人とはじめてお会いしましたが、自分の3分の1ぐらいの体躯ながら気力は満ちていて、発言では「自分も歳かもしんないけど、せめて次の人に(住み続けられる街を残すという)橋渡ししておきたい」と。自分たちが大変な状況にあるなら、それをどうにかするために社会に働きかける、という意思表明。
 その根性の座った様子に自分は圧倒されました。
 しょげてる暇はねぇなと。
3)人生の先輩の立ち振舞いを見て、「負け」という結果を叩きつけられて、どう気持ちを持って行っていいか分からず、次々投げ込まれるネガティブな事項に折れはしないまでもギザギザになっていた精神状態が少し収まったような感じがして、「あーこれでまた歩き始めることができると」心境に、平らで穏やかな気持ちでもっていくことができました。
 どんなにゆるくない状況でも、あきらめないでいること、どんなに細くても「次の橋渡しへの道」を作っておけば、改善する道を残すことができると思わされた寄り合いでした。
4)今年は自分の好きなものであったはずの野球すら拒絶するような精神状態になって、社会活動も今書いたように心をへし折られそうになったりもしましたが、まだ道はあるということで頑張り続けようと思い直しています。
 社会のいろんな部分が激しく揺れ動く状態になって、ともすれば「維持しなければならないはずのもの」が振り落とされそうになっている状況の中で、「それでいいのか」と世に問う砥石のような存在で踏ん張り続けるのが自分の役目として、47週目の人生も歩きます。

 生存することを行動の第一に優先しているので、特に野球は今まで通りの活動ができなくなりますが、今年齢期もお付き合いよろしくお願いします。
              伊東 勉

巻き戻せるうちに。(前回「反・権力批判の中で」記事の後半)

 前回の記事の続き。
 この一か月の言論状況は、私の精神状態に良くない状況を生み出しました。
 「悪感情が浮き出てはそれを抑える」のに必死にならなければならなかった。根っこから存在否定に来ているからそれにどう相対するか。「存在する」方向で開き直っていれば良いというのは頭でわかっていても、へし折るとする圧力も強く、過程の中で負の感情というものが芽生えることもあります。
 元々私が社会復帰を絶たれた心筋梗塞も、負の精神を強く持ってしまったところから始まり、取り戻せない位置に至った時に天罰でも降ったのか心筋梗塞。実行を免れましたが、あのまま実行してしまったらその後の人生、無くなってしまったのだろうな、と度々思い起こされます。
 その時の経験が入ったのかどうかわかりませんが、頭に血がのぼった時に『それを実行してしまったらどうなるか』というのを考えて怒りを鎮めるようにしました。数日間は残りますが、それでも治ればその時のイラつき度合いは減らすことはできた。
 
 しかし。
 
 2019年あたりからその『循環』作業が効かなくなってしまいます。それまでは『個々の部分』で責められていたのが、存在そのものに責められるように。そして、えげつない手も使うこともためらわなくなった。そのやり口に私の処理能力が追いつかず、幾度も暴走を繰り返し、その怒りを落ち着かせる時間も、サイクルも増えてしまいました。
 今はまだサイクルを取り戻せているからいいのですが、これが途切れてしまったらどうなるか…自分でも考えると怖い。“サイクル取り戻すために引っかかるもの”が残っていればいいのですが、それも串の歯が抜け落ちるように一本また一本失っているのが実態です。

 SNSタイムラインでは「池に落ちた犬を叩く」がごとくの言動も見受けられますが、「社会が自分を棄てようとしても、自分が社会を棄てない」という気位で歩いて行きます。おつきあいいただきありがとうございました。

反「権力批判」の中で。―前―

 11月以降、ブログの更新を大幅に減らすこととなりました。ブログ制作の時間が取れなくなったというのもあり、別な面からで言えば「書く」という行為にしんどさを感じてきたというのもあります。

 総選挙で目指した目標には届かず、さらにその後行われた立憲民主党の代表選挙では野党共闘に消極的な人の当選。そして、この一か月の野党・反権力の根本的否定の件―これらが重なって様々気力を削がれる精神状態。傷口に何重も何重もカラシ塗られるような状態で、これまでも様々しんどさを強いられる経験はしてきましたが、今回が抜けていると思っています。

 だからといってこの戦いの道を閉じてしまうという選択は絶対にありません。「1と0」は大違いです。そんなもので、悪あがき言われようがなんと言われようが、とにかく存在し続けて機会を待つと。そんな感じであきらめずに歩いていこうと考えています。

 ここから先が文量増えてしまったので、「後編」として、改めて記載します。