つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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維新・足立による「正社員労働者」攻撃。労働者の生きる権利再確立を。【2021総選挙に向けて】

 足立康史といえば、権力には迎合・従属しながら、それに従わない野党に対してはいじめっこのように尊大に振る舞うお方ということで、拙稿でも批判的に触れてきました。

 その方が『小泉・竹中改革はぬるい、正社員の既得権を残した(=権利をもっと取り上げなかったのが悪い)』と述べてくれました。1995年あたりに経済界が先導して“一部の正社員、ある程度の専門的社員、その他使い捨てにできる労働者”と三つの類型に分けて雇用していくと掲げて20数年。結局増えたのは生活すらままならない非正規労働者。それによる生活レベルの悪化も付随してきました。

 ところが、反動的施策を持つ方にしてみれば『これでも足らない』のでしょう。足立の言うとおり。だから分断かましながら働く条件をより悪化させようとしている。今まで「これ以上悪化できなかった」部分をさらに悪化させようとしている。性質が悪いとしか思いません。

 先にも言った通り、労働条件は次々と悪化させられてきました。「安倍政権が景気をよくしてくれた」と言っても、多数の労働者には残念ながら届いていない話。「働けてるから&食えているからそれでいい」じゃないし、25年という時間は残酷で、こういう風な状態しか知らない人も多くなっている。

 だから労働条件の良化および経済界・雇用者の横暴を許さないという戦いを、総選挙も通じてしていく必要があります。そこのところご考慮のうえ、日本共産党も加わる市民野党連合の行動にご注目ください。

「暴言」の次は「“不祥事”キャンペーン」。火の粉ははらう。【2021総選挙に向けて】

※先週水曜あたりにアップ予定でした。ズレがあるのを承知ください。

 テレビコメンテーターの「暴力革命発言」の次は、共産党議員の軽犯罪法書類送検をとってのイメージダウン攻勢。山添議員に起きた事実は飲んだ上で、最近の自公維諸勢力のとっている「野党攻撃」を考えると、まだ序の口かと。なにしろ豊島区議会の沓沢なる者の言いがかりに乗るくらいですからね。

 端からボルテージがこれです。どこまで上がるか不安ですね。あまりに上がりすぎて、警察国家真っ青の社会ならなきゃいいですが。

 70年代に国会議員から一般党員に至るまで軽犯罪法逮捕を乱発する共産党員不祥事キャンペーンなんてものくらいまして。社会運動側からの反撃でそういうのを堂々とできないようにはしましたが、追い詰められると何をするかわかんないのが人間ってもので、どこまで底が抜けるか予測できない。

 だけどもそれは人権規範が確立された社会の中では、権力の行使は抑制的にされるべきものであって、ここ二代の政権のように権力者の好き放題にしては駄目です。それを武器にして「ただ単に嫌いだから」で振りかける火の粉を振り払いましょう。

学校で学ぶことは『ものの覚え方なのか』、と思わされた近日の出来事。【FB・本体共通 2021総選挙に向けて】

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 先日資料請求を7ヶ所の図書館に出しましたが、早速4箇所から返答のメールが来ました。

 よりによって基本的な事を書かないでしまった箇所もありましたが笑

 複写料金を誤認してしまった箇所もありましたが笑笑

 とにもかくにも前に進みそうです。

 終わってみれば「これでいいんだな」思いますが、文章の完成に至るまでの道のりがと詰まったなあ、と。思うことは頭に浮かぶけど、それが言葉に出てくるまでに時間がかかる。別の部分でも、思ったことななかなか言葉に出てこなくて、宮本徹衆院議員のツイートを見て「ああそういうことか」と気づいたこともありました(3回ほど)。

 東京大学卒の宮本さんと、高校で学業を終えた私で比較対象にするのも難ですが…いわゆる学歴というだけでなく、「学業」って何のためにあるかなーっての考えてみたら、「学校は物事の学び方を知る場所」じゃないかなと。

 私の場合は大船渡市盛小学校の情緒障害対応学級から始めて、なんとか高校卒業まではたどり着いた人間でして。社会人なってから大学卒業の人達と職場一緒にすることも多かったのですが、考えや行動の処理能力が一歩上回ってるなあと思う経験を度々。なんとか見様見真似、ない脳みそ振り絞ってついていった結果ある程度の「社会で生きる術」は身につけましたが、社会は広いもんだなという現実は度々突きつけられます。

 ただ。

 ものさしというのはひとつだけでなく、力を持った後社会にどう向き合っていくかというのはまた別なものがあります。少なくとも「自分の権力を維持するためだけに物事捻じ曲げてまで他者の存在を潰そう」というのは違うんじゃないでしょうか。ひるおび・八代氏の発言に呼応した加藤官房長官に言っています。

 何歳まで生きられるか分かりませんが、せめてその部分の“筋”保って生きて行こうと思っています。だら話にお付き合いいただきましてありがとうございました。写真は北上市更木で見かけた花壇。

八代英輝の『共産党は暴力革命』論は確信犯的デマ。当然反撃します。【2021総選挙に向けて】

 9月10日のTBS・IBC岩手放送で放送されたひるおびで、八代英輝弁護士が日本共産党に対し、現在も暴力革命をする勢力であるとデマ発言。正直、70年代で行われた論争で蹴りはついてるはずが、90年代も2000年代も2010年代も同種のデマが生き残り、2020年代にもまだ残ってしまっていること、そのものに疑問をもつ次第です。
 私は2019年3月3日に『足立康史の「共産党破防法対象団体」発言。共産党の模索・苦労も、公安調査庁の身勝手も知らず、卑怯ゲス上等で安倍政権以外の存在を許さない社会づくり進める輩こそ嫌悪する』のブログ記事で暴力革命論云々の部分について見解書いていましたので、参考になればと思い一部編集の上再録します。

 「共産党破防法対象」といい、野党共闘の分断を図りに来る者有り。。そしてアンチ野党、アンチ左翼がそれにくっついて声高に叫ぶ、と。維新の足立議員(志位和夫委員長ツイートにリプライ)までその輪に加わって。
 そうか、そんなに「自民党の息がかからない勢力」の存在が邪魔か。八代の浅はかさには頭に来るが、元々こんな攻撃はずーっと食らい続けてきました。
 
1)共産党について
 
 革命言えば武力という思考回路が幅を利かせ、機械的に日本に持ち込ませようとしたソ連、中国の外国勢力や、それを唯々諾々と受け入れようとしていた者もあり。しかし日本には議会もあるし、それまでの他国の経験が犠牲をつくっている様子も見てそーいう実力革命路線はとらず、議会などで多数を得、その活動を通じて社会を変えていく「多数者革命」スタンスを構築。その過程の中で実力革命を思考していた方は日本共産党から出ていって、結局は市民からそっぽ向かれることになりましたね。
 ここまで示した経過のなかで「共産党の正規の方針でない分派がとった愚行」をもって、日本共産党全体が破防法対象にされること自体が不当としか思いません。
 
2)公安調査庁について
 
 共産党を貶め、破壊したいと思っている方々が「ほうら公安調査庁の発表物にこんな記載があるよ」と言って、顔面に汚物を押しつけるがごとくの言動を発していますが「だから何?公安調査庁の側の言い分でしょ。その見解はあたらない」としか思いません。
 さらに言いますと、いまや公安調査庁の調査対象は「社会にある物事全体」。96年正月でしたか、そのことが露になった記事を見て嗤いしか起きませんでした。ん十年共産党見張っても工作しても「証拠なし」。不要論も出るなかで生き残りのために対象を拡大した、と。そんなふうにしてからも20年以上、共産党破防法適用させて壊滅に持っていく“材料”は見つからず。金の無駄遣いもそろそろいい加減に。
 
3)「利用者」の愚かさ
 
 「共産党破防法対象団体」と言い募る連中は、それまでの社会変革活動にあった悪弊を越えようと取り組んだ取り組みを見ず、その過程の中で起きた出来事を都合よくつまんで「共産党が」とネガティブキャンペーンを張る。くだらないとしか思いません。足立は元々「卑怯・ゲス上等」の者ですし、鈴木貴子も「ムネオハウス」問題で父・宗男を失脚させた共産党を嫌い、民主党から自民党に移籍する際の手土産としてああいう質問主意書を出した。自慰行為でひとつの勢力の存在を茶化されるいわれはありません。怒るのも当たり前と。
 
4)まとめ
 
 安倍政権ができて以降、この政権および後援勢力が果たしたい「大日本帝国回顧の体制」には届いていません。力ずくでそれをしようにも踏み出せない「反撃する力」はまだ残っています。共産党など、現在の野党がいなくなっても、いまの民主主義や社会保障制度などが守られると思ったら間違い。「御国のために市民は使い潰されろ」という思考回路は帝国時代もいまも変わりありません。そんなわけで、誰が何言おうが足止めることはしません。

 拙稿書いていて気づいたんですが、同じような記事が何回もあるのですよ。それは=して『同じことを書かざるを得ない状況になっている』、つまり、問題が解決していないんです。それに気づいたときに愕然としましたね、改めて。
 社会活動や野球調査で時間とれず、再録も入った記事も出ると思いますがご容赦ください。おつきあいいただきありがとうございました。
【お知らせ】11日に日本共産党岩手県委員会主催のオンライン演説会が昼12時より行われます。ユーチューブでご覧ください。
 
 

「強い引力」を「見殺しも仕方がない」の免罪符にするな。【2021総選挙に向けて】

 社会の右傾化というのは、右派と呼ばれる人、中立を標榜している人だけに影響が来るわけではありません。左翼と呼ばれる人に対しても影響は出ます。

 最近、左翼的・反政権的な考え方を持つ人が「近隣外国人が嫌い」とか述べたり、社会的弱者を叩きに行ったりする人がいたりする様子を目に。

 これも社会の右傾化が招いた一つの現象、というやつですか。

 社会全体がある方向に強烈に引きずられて、上記に書いた事象が起こる。「世の中の“主流”に交わらないと存在さえ認めてもらえない」から迎合的な態度をとる。あるいは「世の中の大多数から弾かれるのが怖い」、と。そういう心境があるという存在だけは認識しますが、それに慣れてしまうと次に待っているのは「取り残された人達への虐殺」でしかありません。

 「広い支持を得るためにラインを下げるべき」という意見ががあるのは承知しますが、それでも譲ってはならない線はあるはずです。そのことを認識しての行動を、と思います。

『農業』『生活苦』―収穫期と食べ物から見えた光景。【2021総選挙に向けて】

 秋になり、農作物収穫という時期になっています。ただ、最近はそれを素直に喜べない社会状況にも。
 とかく、政治のなかで『売れる農業』というのがもてはやされますが、その前に『この国に住んでいる人の腹を満たす』という物事が投げ捨てられていないか。農業従事者の高齢化というのは伝えられていましたが、最近はそれを通り越して農業の放棄という光景も見られるようになっています。
 畑が何も作られなくなって荒れている箇所を見る頻度は多くなっている。それぞれ地域で農業やる人を作り出している取り組みがありますが、政治・社会がそれを応援する仕組みになんないと。『食べ物はあって当たり前』というもんじゃありませんから。

 その一方で『貧困から空腹でいる状態が当たり前になっている』という記事も目に。日本で餓死なんてありえないと言い、さらに『餓死に至るような奴は何かが足りない。自己責任だ』で片付ける人がいますが、もうそんな社会状態ではないということを理解された方がよろしいのではないでしょうか。
 収入の半分近くを何らかの公的負担で持っていかれてる状況、それでもってリターンは少ない「何しろ赤字があるから仕方がないね」、ではなく、ここの部分でも政治が生活を守る手立てを打たなければならない、それができる勢力に力を持たせなければ…ということを強く思わされます。
 

「収入減負担増」の現況。やるのは報道占拠でなく国会開催だ。【2021総選挙に向けて】

 過日、日本共産党の宮本徹議員のツイートに興味深い記述がありました。「不燃布マスクの無料支給」という記事、言われてみてなるほど、と。

 コロナ感染を防止しつつ、社会的な行動をするにはどうしても外に出ないとなりません。そうなると必要なものはマスクですが、それとて毎日毎日となるとそれなりの費用がかかるもの。コロナに感染しないため、防ぎ止めるために必要なものだけど金はかかる。「そんなもん自己責任でやればいいじゃねえか」という声も当然ありますが、ではもう一つ、考えていただきたい事象を。

 収入、減ってますよね。

 仕事が少なくなったりなくなったり、特に今は非正規で働く人が多いから時給制という人もいて。そういう人たちは収入ががた減りしているものと思われます。収入の…言い換えれば、「経済力の差で守られる命とそうでない命の“区分け”がなされる」行為をを存在させてはならない。「それが自然の摂理」とほざく■■がいますが、日本国憲法25条・生存権はそれを許してならないものです。残念ながら。

 そうであるならば、政治は本来市民一人ひとりが生きるための施策を打つ存在ですから、そうであるならば国会を開いて対策をとることが必要ではないですか。権力を握り続けたいから国会を開かず、メディアをジャックしてそのまま総選挙に流れ込んで選挙だけは勝つ、で権力を握り続けようとする。

 もう、そういうやり方を許してはならないです。

 いやしくも政治に関わるのであれば、「国会開いてやることやれ」。そのことを、今権力を持ってる与党勢力には考えていただきたいものですし、できないなら「代われ」と申し述べるものです。

関東大震災98年、「虐殺の反省」を潰す輩との闘い。【2021総選挙に向けて・序】

 ここしばらく、自分の持っている媒体共通の記事しか書けていない気がしますが、どうかご勘弁ください。

 さて9月1日ですが、関東大震災のあった日、防災の日です。調べものをしている最中に、1964年に起こった新潟地震に突き当たり、その時は新潟で予定されていた国民体育大会が中止になるなど大きな影響がありました。地震大国日本では地域社会生活を脅かすような地震が度々起きており、その中でも破壊的なものとして代表的なのが
 1923年の関東大震災
 1995年の阪神大震災
 そして東日本大震災
 10年経ちましたけども壊されたものの大きさというのをまざまざと感じさせられています。
 そしてもう一つ忘れて欲しくないのが地震そのものなく、地震で困窮状態になったところに人の弱さが現れて害をなす行為」津波でも「津波は二度人を襲う」と言いますが、地震も同じことが言えるのではないでしょうか。
 関東大震災では在日朝鮮人の虐殺が起こり、例年その追悼式が行われてきましたが、ここ数年、追悼行事に妨害が入る事態になっています。
 人数の違いを理由にして虐殺そのものをなかったことにしようとする勢力が、小池百合子知事の力をも利用して、慰霊祭に対抗的な行事をぶつけてくる。昨年は「両者相打ち」という形で慰霊式典そのものを潰しにきましたが、あまりにもひどいやり方のため異議申し立てが起こり、慰霊式典を潰されること自体は避けられました。
 しかし、依然として朝鮮人への虐殺があったことそのものを葬ろうという意思は消えていません。「震災犠牲者と同時に弔われるのだけでもいいじゃないか」という声も意見もありますが、震災とは別なところで起きた犠牲であり、その場、その社会にいる人間の弱さが引き起こしたものですから、きちんと省みる場を置き続ける。そうしなければ、隙を見つけて虐殺を正当化したり、なかったことにしようとする輩がのさばるわけで、それを許してはいけません。
 現に、近年起こった災害でも「再来」起こそうとした勢力はいたわけですから。

 苛政も、ふざけた行為も、10年単位でそれが続けられると調子に乗ってしまうもので、国を壊しかけた大日本帝国時代の反省を元にして作られようとしていた社会は崩されようとしている状態にあります。
 報道によると、菅内閣は10月に総選挙を打つ気でいますが、この数十年進められてきた権威主義・収奪主義社会を打ち返す戦いを着実にして行く。それにつきます。お付き合いいただきありがとうございました。
※“政治戦の臨戦態勢”のため、原則、タイトルに【2021総選挙に向けて】を付記します。

東京五輪などを踏まえ、スポーツとの関わりについて見解申し上げます。

 今日は。スポーツなどに関わる別ブログ記述をやめて1ヶ月近く経ちました。先日の記事で、東京五輪についての見解を書きましたが、そこに至るまでの積み重ねも手伝って、スポーツにが嫌になり、その精神状態のまま人の中にいるのも怖かった、ということで、しばらくブログの記事も書かないでいました。
 一応物音を切り分けて、整理整頓し直してようやくまとまったので以下にその見解を記します。
1)スポーツ全般に関して。
  応援しなければ非国民
  特定の民族・立場は反日
 ―2010年代の五輪・世界的スポーツイベントでは、上記の考えでなければ「許されない」雰囲気が醸し出され、その場所に身を置くのも嫌になり、全日本的なスポーツ界に関しての信頼を完全に失いました。「身近なスポーツ」に関しては、理由を別にして見届け続けようとは思いますが、それを超えた部分はもはや視界に入りません。
2)自分が関わる身近なスポーツについて。
 郷里の岩手・大船渡に対する想いもあり、その部分での関与・応援は続けていこうと。また同じ労働者…働きながら地域にも関わり、家族など身近な人と支え合いながら頑張る身近なスポーツマンは応援する、という想いは残っているので、完全に身を引くことはしません。
3)都合がいいと言われればそれまでですが、応援し続けられるものとそうでないものと切り分けて、応援し続けられるものは頑張れと言い続け、そうでないものに対しては「本来あるべき姿に戻る」までしっかり監視していこう、と考えがまとまりました。以降はこの方向性でスポーツに相対していきます。
 
                2021年8月17日 伊東  勉

戦後76年の8月15日によせて。

 大日本帝国ポツダム宣言を受け入れ、玉音放送でそれが知らしめられたのは76年前。1870年代から絶え間なく他国への侵略を図ってきた覇権主義は、それを維持しようとわずかばかりの“恩恵”と引き換えに、日本国民にも、植民地となった各所人民にも、大きなダメージを与えました。

 広範囲に付き合いの広がったいまの社会。本来共存共栄の方向で営まれなければならないはずですが、ある箇所の牽強主義がきっかけで場の雰囲気を悪くする―そういう事象がいくつも見られるようになりました。

 「紛争事を終わらすためには、どこかで“損と屈辱”を受け入れなければならない」のですが、十重二十重に対立と分断が持ち込まれてややこしくなっているのが実際。人間の脆さをくみつつ、問題解決を図る取り組みの仕方を構築することが必要ではないでしょうか。それを実効あるものにするには、権力者の研鑽と市民からの突き上げが必要か、と考えます。

 いずれにしても、戦争が引き起こす惨状に思いを寄せ、人間の脆さを認識した上で社会に向く。反動・懐古主義者による「帝国復興」の企みを排して、一人一人の市民が良ぐ生きられる社会を築くことで、二度と国をぶっ壊す事態をつくらない、これを任務として頑張ります。

              2021年8月15日 伊東  勉