つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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2021東京都議選、目線と気概。日本共産党東京都議団にも注目ください。

 東京都議選が間もなくです。どの政治戦でもそうですが、資本家・後援勢力による「市民からの収奪政治」を転換し、場所場所で生きる人のケアを大事にする社会を、ということでその方向で尽力している日本共産党を推薦してます。

 で、それとは真逆な話も聞こえてきました。維新勢力の公約が出てきましたが、その中には市民生活に関わるものをことごとく民営化するという内容が書かれていました。この勢力の創始者でさえ、コロナ感染が広まる中で病院などを減らしたのは間違いだったという趣旨の発言をしていますが、反省がありません。

 ただでさえ東京都議会は「市民のケアを重視する政策」に向き合える議席が6分の1程度しかなく、自民、公明、都民ファーストなる勢力は先に述べた収奪主義勢力の下僕でしかありません。維新が出てきたのは「6分の1しかなくなった向き合える勢力」をすりつぶしに来たのでしょう。大阪でそうしてきたように。

 しかしそれに乗るわけにいきませんし、これまで乗せられてしまった人達には気づいてもらうきっかけにする政治戦をしていかないと、ですね。政治は自分の生活に関わる、てのがわかっていても、自民党や維新勢力の考え以外は知らない人も増えています。誤解を恐れずに言えば「一から作り直す」気概で対応していく必要があります。

 ぶっ壊れでしまって何もできない私が言うのも難ですが、この政治戦何としても力を増したいのでご考慮いただきますようお願いいたします。

「多数派・強者の否定」は罪なのか。2つの事象から。

 毎日のように「社会の制御装置」に対する攻撃 が続いていて、なんだこのやろうと思う気持ちが止まりません。
 2日には野党が与党の政策に対し疑問を持つことにそのものに対し嘲笑った岡本純子の発言。3日は行政の情報公開請求に対して制限をかけるとした東京都の発表。
 どっちも共通して言えるのは「今の権力者・多数者に抵抗することを許さない」。岡本発言は野党に対しての異議申し立て自体をせせら笑い、権力者への異議申し立てをしづらくする空気をつくる呪いの言葉。情報公開請求の制限は住民による 施政者・行政監視の手段を奪うものであることに間違いありません。
 いつも不思議に思うのですがこういうことをやられても「自分は権力者側にいる」と勘違いして、その位置にいない人に対して随分なことを言う人も多く。別に非権力者が嫌いなら嫌いでいいのですか、「チェックする」をないがしろにし、沈黙させる行為が何を生んだのか。「自分の側」だけが社会にいるわけじゃない。最低そこを踏まえてもらわないと、と思わされます。

 「批判する行為を否定する」風潮。私にはくめないことで。「異論の出る背景」は学ぶ必要はあるのでしょうが、むやみやたらに迎合するのは「違うだろ」と考えます。おつきあいいただきありがとうございました。

PCR検査とLGBT、拒否派に共通する抑圧主義。変えたいのはそれ。

 Covid19・コロナ感染ですが、変異種も現れて、弱くなってくれれば良いのですがそうは問屋が卸さず、より症状が複雑になる始末。ワクチン接種が行われていますが、間に合うかどうか。私何ざ注射の針が射さるのですらストレス感じるようになりまして。かねがね言ってますが、かかったら終わりです。そんなわけでナチュラルな疎開生活をしているわけです。
 PCR検査に関してやたら噛み付く人が多いのが気になります。一番病状分かるのはPCR検査のはずですが、「PCRやると医療パンクする」と。隠すより状態判って抑えばいいのと違いますか。発覚もせず気づかないままバラバラに広げてしまって重症にしてしまう方がよっぽどひどくなる気もします。
 別の面から。LGBTについて自民党の「内部事情」とやらで、人権尊重的な法案が葬られる危険性が出ています。「LGBT認めたら“種の保存”ができなくなる」というのが言い分なのでしょうが、日陰者にして追い込むより、そのままを尊重して人間らしい生活環境をつくってやれるしてやれる方がいいでしょ。
 両方に共通するのが「問題を隠蔽することによって対面を保つ、その体面を保つために実際困ったことがあっても黙らされ、不利益を被ること当然視される」。自分等が変えたいと思うのは、こんなん社会です。それのジャマになるのが現政権なら、変えることが必要でしょう、ということです。
 拙稿からでもなにか気づいていただければ幸いです。おつき合いありがとうございました。

「犠牲」を要求する勢力にひざまつき、「助力」するのは誰だ―バッハ氏発言より。

 オリンピック実行委員会がIOCにしろJOCにしろ、尊大な態度を隠さないで様子に気の障る思いしています。特にIOCバッハ氏による「開催にあたって犠牲を〜」という言葉にはカチンとくるものが。今日になって言い訳していますが、そんなもの通るわけありません。
 ここまで来れば誰だって怒るよな…と思いきや、普段あれだけ愛国と騒いでる人たちが、一様に「あれは報道機関の誤訳。東京五輪潰そうとする中国の回し者」と言い張る。何ですか、愛国よりも反・反五輪を優先させますか。権威主義にひれ伏して従属を迫る「走狗」じゃないですか。安倍→菅政権について、野党あるいはその政権に従わない者に対して口汚い言葉を叩きつける様子を見て「意見の差異でなく“権威主義”でしかものを見ていないないな」思うことは多々ありましたが、自身が不利になることをあからさまに擁護する様子にはそう、と目を閉じるしかありません。

 この一か月内にも、自民や維新を中心とした政治家の暴言が続出。それが語られる因も「支持者の歓心を買うため」にしている部分はあるのでは。言葉のキャッチボールというのがこういう方面で発揮されてしまうのは なんだかなと、いう思いです。
 かねがね言っていますが、私は中立・中庸の立場に立ちません。左翼の側から物申すパターンが圧倒的多数です。「気をつけなきゃなんない部分」は間違いなく存在するのでしょうが、盲従・権威主義者の増長が8年間ずっと止められずにいるのを座して見逃すわけにもいきません。それを維持してことにあたります。お付き合いいただきありがとうございました。

逆張りだろうが「野党潰し」の言論に潰されていられない。

 以前は一つの国会で一つ起きれば充分だった“騒動”が、月に1度になり、一週間に一度になり、一日に1度になり、一日に複数回起きるようになって、それに対して異議の声あげればもれなく、サポーター共々逆ギレ起こしてくる。

 こういうのを続けられて何年なるでしょうか。

 ここ数日でもワクチン申し込みの不備に、それを発見した報道機関への圧力、解決の難しいパレスチナ問題に牽強主義に基づいて防衛副大臣によるイスラエル肩入れ、消費税を財源として病床削減可決…。同じ医療の問題では日雇い看護師導入についてなりふり構わぬ工作の跡が見つかってますね。

 ここにあげた問題、全部自分たちが生きていけるかどうかに関わる問題なんですがそれによって割を食う立場の人が「目の前の餌」欲しさに支持するのがどうにも。「アンチ野党」の方々がやってる行為は「野党の逆が正解」で、それが悪癖を通り越して自家中毒に至っている。これは所詮野党・反政権潰しでしかなく、消耗させようと「呼吸をするだけで批判する」行為にはつきあいません。

 重ね重ねの記述になりますが、「今の社会を根っこから見直して変えていく」勢力の存在は維持する。存在を失わない。存在していれば「変わる道」の模索できましょうが、無くなったらそれもできなくなるから。てなわけで踏ん張りましょ。おつきあいいただきありがとうございました。

入管法改悪を止めた…。増長する「力を持ってしまった排外・権威主義者」を相手に。

 入管法改悪をひとまず止めました。闘われた皆様に敬意を表します。

 この議論に付きまとうのが「“法律違反”した人間をなぜかばうのか」というものですが、権力者あるいは施政者の胸先三寸で人の扱いが変わってしまう事の方がよっぽど不条理と思います。何かの危害行為をしたんならともかく、そこら辺何もなしに生活してる人を投げ捨てるような行為・体制が果たしていいんだか。

 入管に収容させられて病気の対応もろくにされず、死に至ったウィシュマさんの一件がクローズアップをされましたが、その他にも入管行政・職員の暴力性は目に余るものがあり、そこに自国至上主義・権威主義に頼って「出て行け」と怒鳴りつける「普通の日本人様」の存在が鼻につくようになりました。

 十数年前ですか、関東に住む高校生が「不法滞在の外国籍の子」を理由にして放逐されそうになった一件。それを後押しした在特会なるものができてしまいました。排他主義的な思考を持つ者が「普通の日本人様」にはびこってしまってることに怒りと虚しさを覚えます。

 彼らは総じて安倍・菅政権を支持し、それと違う道に行こうとする人に対して辛辣な言葉を吐きます。なぜかを考えてみると「安倍・菅政権のもとでなら自分達の身勝手な主張を受け入れてくれるのでは」という思考回路から来てるのではないでしょうか。自身が横暴振るうために、非多数派あるいは非強者に対してとことん殴りつける。反撃すればそれを抑え込もう、黙らせようとする。

 でも、いつまでも黙ってるわけにいかないですよ。嫌なのは嫌と、この不条理な状態どうにかしたいと思って行動した力が、圧倒的な力の差を覆したわけですから、そこに自信を持ちたいと思います。

 一方で、これは「根っこ」までもぎ取らないと終わらない。今、1年前に政権を放り投げた人が、3度目の登板を目論んでいるようですが、それは絶対に許してはいけない。ワクチン接種申し込みシステムの不備に対するざれ言はもとより、その前にあげたツイート(口癖の「ジューシー」を自らネタ化)も「挑発行為」でしかありません。富裕層・反動主義者のおもちゃにさせられるつもりはありませんので、これからも「苛政は止める」で歩き続けていきます。

 お付き合いいただきありがとうございました。

高橋洋一「笑笑」でさえ庇える時代に。ここから変えていきますか。

 オリンピック参加の議論が大荒れになった理由は、一般市民に対するコロナ感染対策をおざなりにしている一方で、オリンピック開催の為として、存在する医療資源をさらに吸い上げようとしていることが原因です。過日、嘲笑いながら「さざ波」と述べた高橋洋一のように自分が優越的な地位にいると思ってなめた行動をとる人間も出ました。指弾されるのは当たり前で、擁護される筋合いはない…と思われましたが、11日の昼間には高橋氏と思いを同じくする勢力の支持者が相次いで「笑笑」も含めての全面擁護も。

 ここまで来ると、1‰の情けもかける必要はないですね。「殺すか殺されるか」の争いにしたいようですから。丸川五輪大臣が「オリンピックは分断を乗り越える絆を示すものとして開催したい」という趣旨の発言をしましたが、高橋+αの件と併せて「笑わせるな」としか言えない。彼ら彼女らの言う「分断解消」は「反対派の弾圧」の異名でしかない。自分等がしている「分断を促す行動」直す気がなければ、それしかできないでしょう。

 この政権を倒して、今までの権力者に収奪され続けてきた日本社会を変えていくことでしか、今の社会が陥っている隘路を抜け出す道はありません。まあいろんな戦い方があってその戦い方どう組み立てるのかって部分で難儀するものもありますけど、「何をしたいか」「何を訴えたいか」というのを入れて社会に働きかけることを第一義に行動していく。自分も、それを実行するには遠い位置にいても、追求していきます。

 おつき合いいただきありがとうございました。

池江選手アカウント発言から。「スポーツは社会の中でしか存在しない」は鉄則。

 オリンピック開催と、それにまつわる発言を基にした議論が過熱しています。ここ数日間で出された「医療関係者のボランティア協力要請」なるもので一般の医療機会が妨げられることで批判が起き始め、加熱を決定的にしたのは「ワクチンのアスリート含めた関係者への優先接種」。
 そして8日深夜には、池江璃花子選手アカウントでの発言が続きました。思うところはありますが、彼女の発言だけをもって何かに言っても意味がないので置きます。ただ、池江選手をはじめとした代表選手を盾にして、オリンピック招致以来の収奪行為を正当化しようとするオリンピック首脳と、それに結んだ自民党勢力に対しては厳しい視線をむけてもむけすぎることはありません。
 この記事は8日朝に下書きをつくり始めましたが、アップする時間までに後景・背景が見えまして。市民に対するコロナ対策の鈍さに反比例して、「オリンピックを守り、反対派を叩き潰す」策動の組み立てが早い。池江アカウント後、次の日にはスポニチがが一面見出し。中止求める署名で行動した人の中で直接行動した件も下地にあったのでしょうが、先に触れた右派言論人の「囲い込み」と。
 ただ、何をどうされても忘れないでいただきたいのは『スポーツは社会の中にある』ことからは離れられないこと。前回のブログでも言いましたが、それだけは意識してほしい。社会と切り離してのスポーツなんてありえない。社会が医療にアクセスしづらいときに、それを助長する出来事があればどう見られるかを考えていただきたい。そこから意見発するのは当人次第で。

 池江選手アカウントの記述だけであれば様子見て…とも思えましたが、それに引っ付く「愛国」牽強主義者が議論壊してしまいました。この手のやり方はねのけるのにあとどのくらい時間が必要でしょうか。とりあえず生きているうちに活路見いだして次の世代に回したいです。おつきあいいただきありがとうございました。

国民投票法の改悪「可決」に納得しない理由を並べてみました。

 国民投票法の採決が行われ、日本共産党以外が賛成したという報道を耳にしました。立憲民主党の態度にも、のみ込めないものはありますがひとまず置きます。キレて体調崩して死にたくないので。

 そもそも国民投票法が何かいうと、端的に言ってしまえば「改憲を進める」ための法律案でしかないわけで。いま現在の多数派が有利になるようなルール設定(例えば資金力の豊富さを糧にCM工作ができる)、あるいは護憲派の側に多い属性の人を押さえ込むようなルール設定…「国民投票しやすくするために投票の方法を改善した」から賛成しろ、とも言われましたが、先に触れた「CM効果」を回収するための仕組みで、純粋に多くの民意を受け止めようというものではありません。

 改憲を目論む勢力が、一見平等を装った体をとって、ルールを自分の有利な方向に設定する。そのやり方を根本とした法律だから、んなものに賛成できるわけなく。

 他にも「護憲派国民投票を信じないのか」という声もありますが、ここまで述べた通りそもそもが改憲に優位に導くように仕組まれたものである以上、その全てを否定するという考えを取ります。「なんで賛成しないの」には「なんで賛成しなきゃなんないの」としか返せないです。

 「コロナ対策のために改憲が必要だ」などという新聞記事・世論調査が載っていましたが、じゃあ今までの同種の事態ってどう対応したのですか。災害などが起きたときには、何をどうしても「必要な物事をやる」が第一に来なければならないのですが、そうではなくて「憲法を変えたいからそこに世論持っていくためにコロナの対策をサボる」と言うのであれば、もはや問題外。憲法改悪という民主主義の形をとった反動クーデターに与する気はありませんので、そこんところは愚直に維持して、対応していきます。

オリンピック開催の可否について(210506Ver)。

 オリンピック開催について殺気こもった意見応酬がなされています。オリンピック開催の意味は、色んな種目・立場の人間が一つの場で交流することにある、その一点につきます。オリンピックにまつわる商業主義、あるいは政治の道具にされている状況が目に余る東京オリンピックについては冷たい視線でしか見ていませんでした。

 そして、コロナ感染症の拡大期の中で「ボランティア」という名で市井の人から医療資源を取り上げようとする行為に至っては、もはや敵意しか向けるものがなくなってしまう。ここ数日、オリ・パラ選手にも怒りの矛先が向いた意見を目にしましたが、これはひとつの現れではないでしょうか。

 オリンピックを主導する方々が自らの保身のために選手を差し出しているように見えて、気分悪いことこの上ありません。一方で選手側もスポーツの尊厳を守るためにメッセージを出していただきたい、とも思います。何がどうしたって、スポーツは社会の中でしか存在し得ない。そのことを頭に入れてください。

 社会活動をしている方にも考えてほしいことが。安倍→菅政権が何で力をつけてきたかといえば、「キズ負った人間を自分の持ってる権力の中に取り込み、自らの走狗にさせてきた」から。その性質を考えると、不用意に「蹴り出す」行為は慎んだほうがよろしいかと。私もバランス感覚とりながら、意思を示していく所存です。