つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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村田琳「反対意見の意味」知らないでなめた口を利くな。

 ひとりひとり別な脳みそ(意思)あるのは承知の上で。村田琳が「野党は国難の時に批判ばかり」とか語ったそうですが、これに関しては「なめた口を利くな」と返すことにします。

 検討違いかつ有効な手段を見いださないばかりか、自らの支持者にだけ優位な策を示し、あとは見殺しにしようとしているやり方に「国難だから仕方がない」で平伏するわけにいかない。ましてそこに私的な感情を入れたり、自らの受けを良くして仕事をもらおうと言うならゲスですね。

 こういう輩につける敬称はない。搾取者に飽きられたら捨てられる存在でいたければその道を走りなされ。当方は気づくまで待ちましょう。以上。

感染者数報道から―「見栄え」よりも「実際」の追求を。ズル止めな。

 夜になったらまた雪が降り出してきました。だいたい午後3時頃になるとcovid19・コロナ感染の東京都感染者数が速報で流れるのが日課に。実際の感染者が少なくなったのであれば喜んでいいところですが、そうではなく「クラスターを追えなくなった」とか 「感染者の基準を変えた」などというのは「それは違うだろ」しか言いようがありません。

 安倍政権からこっち8年ですか、様々な調査で基準を変えて数字を良く見せる、という手法を多くの調査で許してしまいました。調査というのは実態を測るためにあるわけですから、その実態を見られなくするようなやり方は論外。実態伴わないそれが元で、ゆるぐない人が日の目を見なくなってしまう―実態に現れなくなってしまう―というのであれば、それは惨事です。

 コロナ特措法の採決で「懲罰に頼らずきちんと補償を」という立場で特措法に反対したのは日本共産党くらいですか。前記事で述べた「自民党議席を減らしても代わりが…」述べたのはこの点です。政権与党が見ないところからの意見をきっちり反映させるように当面の戦いをし、来るべき政治戦では政権交代という形で社会をつくるために歩いて行こうと思います。おつき合いいただきありがとうございました。

攻撃手段を選ばず殴りつける、の図―村田琳氏発言について雑感。

 日曜日は雪がのっかり積もって、月曜日になったらばその雪が解けて。何とも慌ただしい日々を過ごしています。

 月曜日のTwitterタイムラインでは蓮舫氏のご子息村田琳氏の発言がやたらと取り上げられていました。「母親に影響されないで生きていく」という趣旨の発言ですか。まあ、脳みそは個人個人で別々に持ってるわけですから、自立した考えを持って生きることそのものは何の異議もございません。家族の「異動」があったから、それも踏まえての発言と思いますが、気になるのはこれを蓮舫氏攻撃に使ってる自民党支持者・権威従属主義者の存在です。

 蓮舫氏が家族の異動…実際言えば離婚ですか、それを叩く材料に利用する。ナニソレしか言葉がありません。与党追及で先陣を切っている蓮舫氏だから風当たりが強いのですが、だからと言って触れていい部分とそうでない部分ってのあるでしょうよ。家族間の環境・感情だって外部からガチャガチャ言うこってない。もっともそれも踏まえられないから平気でゲス上等言うんでしょうが、どうにも解せないものがあります。

 日曜日に行われた選挙では陣地を取り戻したり、維持したところもありました。自民党議席を減らしたところで、類似性のある政党・勢力が伸びてもどうしようもありません。「どう社会を作っていくか」というのを広げていこうと思います。おつき合いいただきありがとうございました。

「何故怒るか」、そして「見るべき違う道」へ―自民党PCR検査報道に。

 自民党の職員がコロナに感染してしまい、対応として党職員全体にPCR検査を実施するという報道がありました。石原伸晃氏の一件同様、そのこと自体には何の批判も文句もありません。

 但し、PCR検査が必要・有効なのを認識しながら、国民市民生活者に対してはPCR検査を遠ざける対応しているのが現状で、安倍→菅政権で連綿と続く『自分のお友達は優遇するが、市民に対しては冷たい態度をとる』という姿勢があるからで厳しい批判が相次いでいるのではないでしょうか。

 どの政策にしても、ストレートに対象となるべき人に対して送るのではなく、自分のお友達に一枚噛ませなければ対象者に行き渡らないような仕組みを作る。そういう行為の積み重ねが 苛立ちや不信感を募らせることになったのではないですか。

 加えて、自分のみに利益をもたらしたいと考える人達は媚びるような行動をとって、先に言った「えこひいき政治」の増長を招いている。行き渡らない人に対しては「自己責任由来の罪悪感」を植え付けて沈黙・服従させる。少し前に辛坊治郎がPCR検査拡充を要求する人をアホと言い散らかす言動を吐いた行為が代表例ですか。

 そういった「憎悪拡散者」も含めて、ここ数年の行為に対して然るべき時に審判を下すしかない。怒りを元に立ち上がり、理と利ををもって呼びかけていく。それを愚直に続けていこうと思います。とりあえず今回の自民党の一件、行為自体は間違っていないが自分たちばりえこひいきするな、と指摘して項を終えます。お付き合いいただきありがとうございました。

「感染者に葬儀屋広告」すら容認する社会。

 コロナ感染の影響がいろんな方向に飛び散って、これまでなされてきたことがなされないという物事は山ほどありますが、それにしたって限度というものはあると思います。殊に2006年の安倍政権以降、一人一人の人間の尊厳を蹴り飛ばすような出来事が多くなっていることに、怒りを持ち、頭を抱えるものです。
 今日もそれを象徴するような出来事が報じられました。大阪市がコロナ感染陽性者に出す封筒に葬儀屋の広告を入れていたという一件。行為そのものも問題ですが、もっと酷いのはそういう行為を容認する…また、それを告発した人をバッシングすること。ただでさえ病人に対して「葬儀屋の広告」だけでもトサカにくるところを、それを更に上書きして「今は商業主義なんだからしゃーない」「それぐらいで文句言うな」「お気持ちヤクザか」などという意見が場を占めるようになってきます。
 「仕方がない」に毒されすぎてやしませんか。
 一方で強者に対してはとことん卑屈になる。石原伸晃氏の入院について、ひとつ前の記事で「本人の回復は願う」という趣旨の記述をしました。ただ、入院に至るまでの経過が、他の同じ症状症状を持つ人と「違う思考回路」が入っていませんかという部分が疑問で、加えて言えば新たな感染症対策を「市民国民に対しては十重二十重に罰則を科して締め付ける」。そこのところに頭にきてるのに、そちらについては「上級国民だから仕方がない」「何反発してんの」「病人叩くな」あげくの果てには「その行為が分断を生む(から黙れ)」と。見当違いの言いがかりで石を投げつけられるような気分…ため息出ますね。
 更に。どこかの新聞社が「自民党議員は即入院」ツイートに対して“ファクトチェック”と何か採点をしていたようですが、個々の細い誤差としか言いようのない部分の間違いを探して、肝心要の「強者優遇」に触れない。それを見た権威主義者に「それ全部間違いだ」と叩かせる餌にさせてしまっている。
 「隙をつくる」のを戒めるにしても、解せない。

 人間最低限の礼儀というのは必要だと思っていますが、お行儀よく殴られ続けるという立場に与しません。届く言葉というのも考えなきゃなんないんでしょうが、それだけでやっていけるとも思っていません。ここら辺の出来事も、「人間不信」かきたてるものです。
 だども、人間不信なんて生意気言って動き止める余裕はありません。ただ、ただ歩き続ける。それに専念します。
 腐ってる暇もありませんで。

24日の共産党演説会感想/発展しても力の向け方違ければ。

 こんにちは。

 いくつか項目を設けて記します。

(1)昨日手伝いをした共産党演説会。コロナの影響は演説会にも現れ、去年秋の行事より「対応しなければならないこと」が増えました。弁士の予定だった高橋千鶴衆議院議員が、国会開催などもあり東京を離れられない事態にも。

 今回は元仙台市議のふなやま由美さんが弁士。東北一の大都市仙台でも居住場所をなくすなど「困窮状態」になる人が増え、対応されていない人が多い事態に驚き。コロナ感染に関する法律の改正案で罰則強化が伝えられていますが「罰則に頼るのでなく、個々人の尊厳を守って、協力によってコロナ禍を乗り越えていく施策」をとる、「政治そのものも『人にやさしい政治を』を軸」にして、各部門における提案を話し、高橋さんからはビデオ出演で、自治体の豪雪対策に力を注げるようにする取り組み・報告がありました。

 市井の場にストレートに目を向ける行動のできる勢力を伸ばし、自己責任論で疲れきった社会を正していこうと思います。

(2)昨日午後、今日は体調を整えながらいつもの日程をこなしていました。昨夏以来悩んでいた食事管理にも考えが行くようになったのが何より。夜はIBC岩手放送で二つのリクエスト番組を合わせて4時間聴きながら野球資料の整頓してました。

 現在は1946〜63年の春秋期東北地区大会を調査項目に入れています。録ってきたコピーには野球だけでなく、他の事項も入りますので…その中で1947年の記事で「戦後2年経っても約2万世帯が住む家を見つけられていない」という記述が。

 そこから70数年、経済力を持つ現在になって尚、「政策の選択ミス」で市民がゆるぐない状況に追いやられる事態が起こっていることに「何だかな」思いながら電子切り抜き(←なんですかそれは)していました。

(3)東日本大震災からも10年経とうとしています。時間の流れが早く感じるようになりました。1日1日置いてけぼりを作らないようにして望みたいところです。近い友人に何か無事でいることを知らせるハガキでも出したいとこですが、どういう風にしたらいいのかが現在構想中です。まず皆さん元気で過ごしてください。

 お付き合いいただきありがとうございます。

「殴る相手」を間違えないで。石原伸晃氏入院報道から。

 石原伸晃議員のコロナ感染。まずは無事は願います。そうでなければ「後の反省」もできませんから。

 で、「殴る相手間違えないで」語った理由ですか。いまは石原氏本人でないでしょう。感染防止・医療体制の実効性を確保できず、しようと思えばペナルティにしか頼れない菅政権と、この事象すら「野党叩きのネタ」としかとらえられない方々じゃないですか。特に後者、「何しても『野党が悪い』に持っていく根性」にはへき易としますが。

 そのような行動とられる方は「自分が不利になってもぶん殴る快感の方を選択する」という性向のようですが、その軛、切った方がいいと思いますよ。以上。

2021年1月22日、核兵器禁止条約発効。

 1月22日、核兵器禁止条約が発効となりました。広島・長崎に原子爆弾が投下され75年。核兵器も被害の実情、酷さを知らしめる被爆者の運動…「二度と原子爆弾の被害を生まない」という意思を持って行われた行動の積み重ねが、核兵器の使用を禁止するという条約を発効させたことに嬉しく思います。

 核兵器の威力に依存する人たちは「核兵器を持ってる国が入っていない」「実効性に疑問など」と疑問生じるのでしょうが、ここをとっかかりに まず市民レベルの段階では核兵器を使わせない許さないという合意を作っていく。戦争も昔は「権利」でしたが、生み出す損失を鑑みて「戦争の原則違法化」が進められてきました。安全保障言われるものは「戦争を回避すること」を基本にして、その上でどうやって紛争を解決していくか、という箇所を強めていただければ、と思います。

 あわや生きたまま火葬されるという状態から助けられ、100歳に届くか、という今も核兵器をなくすと活動された方と出会った経験があります。自分が起きた難儀さを他の人にさせたくたない―他の社会運動でもそういう思いで当たっていきたいです。

2020年代を「いじめっこ優位」の社会にさすのは止めよう。

 2005年からSNSをはじめ、今年で17年なります。様相を見て思うことですか。他者へのつながりが容易になった面はありますが、それが必ず良い面に表れるとは限りません。容易に=障壁の低さ、そこに「匿名性による防御性」が手伝って、「陰から石を投げつける」ことが容易になりました。
 権力強者が煽って某方向性にいる人をぶん殴れる…最近では学校教育におけるハングルの扱いで、片山さつきが煽ってますね。片山の煽りに図に乗った連中がそれ以上の攻撃をかましに来る。権力者が認める陵辱行為ほどブレーキの効かないものはありません。そこら辺の成功経験がより陵辱行為を増長させる。2010年代はその酷さをこれでもか、と見せつけられました。
 権力者の擁護だけに厭き足らず、「虐めに反撃する者」「いじめから防御する人」を壊しにかかる―ここ十数年で調子に乗った  は、このフェーズに乗り出しています。政治で言えば共産党、立憲、社民各党を潰すようなものですか。
 そうなった場合、今までの安倍・菅政権がしてきたことは「まだ前章」にさせられる危険があります。政権を変えろ、というのはそういう部分からでも必要なもの。始まった国会の論戦、自らの生活と結んで見ていただければ、と願うものです。

 今年に入ってから「もうひとつの主題」で取り組まなければならないことができたので、当方の更新頻度が落ちています。記事が更新されたら「まだ生きているんだ」と思って見てやってください。おつきあいいただきありがとうございました。

1月17日、阪神大震災から26年。

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 26年。

 そんなに月日が経ちましたか。

 これまで45年生きてきましたが、「阪神」と「東日本」の両大震災は自然災害の厳しさを多大な犠牲の上に示されたものと認識しています。起きたことから学び、それに対応すんべ…と思いはしますが、その道は険しいものです。諦めてしまうのは簡単ですが、ここでも諦め悪く生きていくとしますか。

 あの日、犠牲になられた方に向け黙祷。