10年単位で襲いかかられている苛政は、抵抗する力を失った方の生きる気力をへし折る効果を持ってしまっています。長谷川豊の「透析患者は死ね(事実の提示)」、某落合など若手論評家や官僚の合作による「終末医療の高騰」論、犯罪加害者が持っていた属性への攻撃等々挙げればキリがありません。私なぞ、生まれた事情が事情(本来なら堕胎のところ母がキレて拒否→出生)なもんで「死んでくれ」という現れに対しては過剰ともいえる攻撃性をもって噛みつきにかかります(だからTwitterアカウント没収されんだよ)が、その行為は皆が皆できることでもありません。
数年来、安楽死を積極的に勧める方のツイートを観察していますが、気になる傾向が見えています。積極的に安楽死制度の設立を望む人が、制度により追いこまれる人の存在を平気で攻撃するように。酷いのになると「圧力に負けて死ぬならそこまでだ」、と。さらに時間が経たら、反対派を「反日」「左翼」と言い出した。
思いましたね。この方々、「安倍政権が率いる日本の“足手まとい”を殺す」ために安楽死制度をつくりにきている。反出生だか「死ぬ権利」だか知りませんが、そーいった言葉でオブラートに包んで、その実こういう形で退場を迫る行為を露にしてきた以上、ますますいまの日本の、いまの世相で安楽死を認めるわけにいきません。
生存権までぶっ壊される世相を作らされ、追いこまれる状態にさせてしまいましたが、屈するわけにいきません。ナチス政権のドイツ、あるいは帝国時代の日本など、「お国のために“足手まとい”は死ね」という社会を実行させてしまった反省の上にある生存権は絶対に守る。国会が21日からはじまりましたが、その想いを胸に闘い抜きます。