10年前に一定の力を持っていた人が「一刺し」でガタガタにされ、大きいキズを負った…ていう話を聞きました。別カテゴリでもそうですが、いったん大きい断層ができると、対応に大きな力が必要になるという様子を見かけるので、ほんに「維持」する取り組みだけでも大変なんだな、と思わされます。
今年もあと20日ばかりですか。「社会活動がしんどいからやめる」というSNS記事を見かけたのが一年前の今ころです。「“敵対”がつらい」「対立より協調」を理由にしていましたね、その方は。今年一年通じてもそのキーワードが頭に残りまして。一定の経験なり学識、あるいは経験を踏んでも力学的に不利な側が優位な側に抗うのは楽でなく、そこに「闘うためのとっかかり」を壊す、あるいは自ら手放させる圧力がかかる→結果闘う術を無くしてしまう光景をこの7年、嫌というほど見せつけられてきました。
一例挙げれば「公選法“違反”」呼ばわりですか。2010年代、SNSで腐るほど叩きつけられてきた「公選法“違反”」呼ばわり。これまでの公選法改悪は自民党以外の政治勢力の口を塞ぐためにしてきたことで、その中で最大限できることを模索してきたのが実情なはずですが、時間は「階級闘争の歴史」を押し流すのでしょうか。あえて言えば「圧力に屈する」行為が散見されるのが非常に残念です。
自分から手を縛られる行為を“是”としますか。
私も社会活動して25年なります。25年もあれば、大分変わることも多いな、と思わされることはありますが…ありますが、それだけで収められないモノもあります。納めるために自分を変えちまう、という考えができませんでね。なんとか心を折らせようという動きはなんぼでも見えますが、そのリクエストには答えてやらずに生きていきます。
おつきあいいただきありがとうございました。