1)今日、世の中は「新元号」の話で持ち切りになったようです。慣習として使う分には個人個人の自由ですが、元号を抑圧の道具として使う行為をまま見かけます。どの立ち位置であれその行為は慎んでいただくよう願うものです。
2)私自身は自らのみが関わる領域では元号を使わないので、新元号といわれてもピンと来ないものがあります。
それでも新しい時代を挑むというのであれば考えていただきたいことがひとつ。
いまの社会、自分自身が生きるので精一杯なのは認識していますが、それを「自身より反撃力の弱い人を攻撃の的にして憂さを晴らす行為」で解消をするのをやめていただきたい。その行為は、最後逃がしきれない人が多大なダメージを受けるものですが、同時に逃がした…と思った人も状況が変わるわけではありません。
3)「平成」と呼ばれた時代の大半は、「ソ連が潰れ共産主義は終わった」から「“資本主義”のやり方が正しい」とし、社会を維持するためのルール、あるいはそれに取り組む勢力の力が弱められ、一般的な位置に立てない人に対して石礫を投げつける行為が目につくようになりました。
いまはまだ反撃し改善する道が残っていますが、社会の進め方を間違えればその能力を根こそぎ潰される危険性もあります。そうなった先には「理不尽なことでも偉い人に従え」という社会しか残りません。
4)そういう社会になったらどうなるか、というのは日本でも70数年前に経験しているはずですが、当時の「潰した者」の後継勢力が安倍政権の原動力に。安倍政権を下ろしてもうん十年かけてつくられた影響もあります。腰を据えてたたかいにいくのはもちろんですが、身近なところから「不条理は蹴飛ばしていく」で相対していかな、と考えています。
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新しい時代を〜というならこちらの方に至ってほしいという願いこめて一筆入れました。おつきあいいただきありがとうございました。