つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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安楽死議論から―否定よりはポジティブさが良いのは確かですが、否定の言葉の中に発せられた危機感というのも考えてください。

 1月も一週間過ぎました。あり、全日本実業団駅伝やったの昨日でなかったっけ?とかとぼけている内に七草粥の時期に。自己管理できている兄貴にして「正月食い過ぎたー調整必要だー」とか言っているのを聞いて、「そーいや七草粥って精進料理みたいな感じだが…そういうことか」と。調子整えなおして正月明けの喧騒に向かいます。

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 年末年始、安楽死についての議論が一気に広まりました。SNS・Twitterで見る限りは賛成の方が多く、「反対派を強く批判した上での賛成」も無視できないくらい存在しました。直接の論はまた別に記すとして、今回は「反対意見そのものの存在」について。

 野党支持者が突き当たる問題として「現状の否定を指し示す場面が多く、それがひいては否定する対象の賛成者にダメージを与える」ことがあります。無機質的なアンチ野党の存在も拍車かける基になっていますが、「安倍政権批判だけでなく『何がしたいのか』を聞きたい」という意思から放たれる部分もあったり。まあ、たしかに後者の部分について言えば6年前の共産党躍進はその行動があたったものもありましたからね。うなずく部分もあります。

 それでもポジティブな物言いのみが果たしていいのか、というと疑問。どーしても制動(ブレーキ)も利かさないとならない場面もあり、特に安倍政権のとる復古反動施策にはブレーキしか利かしようないものが多い。多いけど、反対そのもののが否定的にとられるいまの世情にはどうにも頷けない。

 先に述べた安楽死も「いまの苦難を安楽死で救う(大主旨)」ことが肯定的にとらえられ、それを否定し反対する行為が「反対するジャマ者」としかとられない。圧力による強制安楽死の危惧すら「反対するための口実」としかとられない。実際そういう悪意を受けた私から見ると「無邪気にとらえすぎ。それが巡りめぐって生存権の否定につなげられたのでは話にならない」てな思いでいますが、いま安楽死の議論のメインにされる方はその部分を避けています。

 反対することの拒否感が物事をあらぬ方向に引っ張ってしまう―ちょっとどころじゃない危うい空気を覚えます。賛成者のなかには「多少意に沿わぬ強制死が出ても仕方がない」なんて言葉かたる方もいますが、そこまで行くと鼻白むものがあります。

 ポジティブもいいけど、無邪気にそれを適用するのはご勘弁願いたい、と述べて項を終わります。